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Joan Baez - We Shall Overcome / 勝利を我等に - 1960

ジョーン・バエズと言えば、
プロテスト・ソングの女王になりますかね。

結局は別れてしまったけれど、
一時はボブ・ディランの公私ともなパートナーでした。

熱心なクェーカー教徒で、物理学者の父を持つ彼女は、
白人側の公民権運動家であり、それを先導する歌を歌い、
反戦運動のシンボルみたいな人でもありました。

「Kumbaya ‐ Kum ba yah / クンバヤ」1963 

クンバヤとは、
南部アメリカ英語で主に黒人たちが使う言葉。

英語の「Come by here」(カム・バイ・ヒア/こちらへ来て)が訛ったもので、「主イエスにここに来て下さい」と、祈り、願う歌。

1950年から60年代の公民権運動で歌われた、黒人霊歌(ゴスペル)で、デモの際の行進曲としてよく歌われて、シンボルでもある曲。

1959年にやはりプロテスト・ソングの大御所ピート・シーガーが、ウィーバーズで取り上げて有名になりました。

こちらが本家本元バージョン。
Pete Seeger(The Weavers) 1963

ジョーンはその後にレコーディング。
もちろん集会の時の持ち歌でした。

そして、ジョーンは日本では、2ch用語のドナドナされるの語源?にもなった、「ドナ・ドナ」を歌ったシンガーと言った方が解りやすいのかな…

「Donna Donna / ドナ・ドナ」1961

ジョーン・バエズが歌ったことで有名になりましたが、
元々は1938年にウ〇ライナ生まれのショロム・セクンダ(作曲)とベラルーシ生まれのアーロン・ゼイトリン(作詞)の、
二人のユダヤ系アメリカ人がイディッシュ語(ユダヤ語)で作った、「DanaDana」と言う曲で、1940年にミュージカル Esterkeに使用されました。

1956年にアーサー・ゲヴェスとテディ・シュワルツによって英訳され、1961年にジョーン・バエズがタイトルのスペルを変えて歌いました。

皆さん周知の通り、牧場から市場(食肉)へと売られていく、
子牛の悲しい運命(現実)を歌った歌です。

世界中でカバーされていて、
日本でもたくさんカバーされていたりしますね。

でも、この場合の子牛とは、実はユダヤ人差別のことを言っている歌でもあるのです。子牛の運命をいつだって何かあったときには自分たちのせいにされて、虐殺や迫害されるユダヤ人の運命になぞらせているのですね。

上記の記事は「ドナドナ」が創られた後の虐殺事件ですが、それ以前にも勿論あったわけです。記録がないだけで。

「House Of The Rising Sun / 朝日のあたる家」1960

そして、アメリカン・トラッドのこの歌も歌っています。
ボブやアニマルズよりも早い時期になるのかな。

The Animals 1964 

Bob Dylan


「Love Is Just A Four-Letter Word / ラヴ・イズ・ジャスト・ア・フォー・レター・ワード」1968

ディランの曲です。提供したというよりディランが作っている隣にいて、「完成したら私が歌うから」と宣言されて横取りされた曲ww

他者に提供した曲をセルフカバーすることも多いディランですが、この曲だけはレコーディングしてないんですよねっっ

まぁ ディランを世に出したのは実質彼女だから…
(イブ・モンタンにおける、エディット・ピアフみたいな存在か) 力関係ではジョーンが上というか~恩人でもあるから、そう言われたら、何も言えないというか、逆らえなかったのでしょうww

「Forever Young 」1968

オリジナルはもちディラン。ジョーンはたくさん当時の恋人であった、ディランの歌を歌ってます。確か全曲ディランのカバーというアルバムも出していたかと。

「Farewell Angelina 」1965

ジョーン・バエズは、本当にたくさんの人に影響を与えたフォーク・シンガーで、プロテスト・ソングを歌い、ディランを表舞台へと発掘して、公民権運動や反戦運動に恋人のディランと共に身を投じて…

強い信念を持ったアメリカ人女性として、その類まれなる才能とともに評価されるべき存在なのですが…

それが故にちょっとやらかしたこともあるというか~
ちょっと勘違いしているとこがあるというか~
色んな所から煙たがられるようなところがあったりしますね。

ライブ・エイドの時には、ウッドストックの時の栄光そのままに、自分のために開催され用意されたステージであるかのように女王面してふるまって、観客から総スカン食らっちゃってましたしっっ 
20年も経てば、オーディエンスも変わるわけで…
ただでさえ、流行廃りのある音楽業界で、何しろ次世代にもう移行しているわけですから。はい。
時代はもう、フラワーチルドレンやヒッピー文化では無いというのにね…学生運動とか反戦運動の時代はとうに過ぎ…だったのに。

確かにその道の先駆者であり、公民権運動において白人ミュージシャンが声を上げて、黒人たちを鼓舞し続けたことや反戦運動の盛り上がりを助けたことは、賞賛と評価に値するべきことなんだけども…

時代はもう変わっていたのでね。

わきまえるべきとこもあったわけですよ。

なんかなー 視野が狭くなっちゃったのかも知れませんね。

ライブエイドの時の彼女はとにかく悲しかったです。
痛々しかったっていうのかなーっっ

昔の栄光にしがみついているのが何ともっっ

「We Shall Overcome / 勝利を我らに」1960

「世界を変えた歌」の一曲に数えられる、
この歌も元々はゴスペルです。

ジョーン・バエズと言えばこの歌でもありますが…彼女のテーマ曲みたいな? そして、2010年にバラク・オバマ政権が誕生した時、その就任式でジョーンが歌ったのもこの歌。
その時の映像はこちら…

Joan Baez Performs at the White House

感無量だったでしょうね。

でもって…この歌は、黒人のメソジスト牧師でゴスペル音楽作曲家のチャールズ・リンドリーが1901年に発表した、
「I'll Overcome Someday」が元ネタで。

チャールズ・リンドリー

Charles Albert Tindley「I Will Overcome Someday」1901

例によって、ピート・シーガーが、公民権運動の高まりの中運動を象徴する歌として広めたりしました。

Pete Seeger「We Shall Overcome」1959

その後のベトナム反戦運動にも使われて、日本でもたくさんの人がカバーしていますね。
あらゆる反戦運動、平和運動、社会運動の場で歌われています。永遠のスピリチュアル・ソングといったところかな。

てな感じで、御年80歳になりましたが、二年前にはアルバムを出しワールドツアーも開催。2019年には引退しました。
感染症禍の直前に勇退といったところ。今後はゆっくりと、心安らかな日々を過ごされて欲しいものです。


F2blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。

「My Favorites〜音楽のある風景」
 2021/01/28 掲載記事より転載

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