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毛を吹いて疵を求む~人の七難より我が十難

愚痴のようなボヤキ、お小言的な内容になりますでしょうか。ちょっと思うこと、ありましたので。他にも書きたいこと、温めていること、リク頂いている内容はあるんですけれど、とりあえず。

さてさて、シーザー・ミランと言う、有名なカリスマ・ドッグトレーナーさんがいます。メキシコ人ですが世界一のドッグ・トレーナーになりたいがためにアメリカに密入国して、アメリカ国民になった人です。ナショナル・ジオグラフィックで「ザ・カリスマドッグトレーナー〜犬の気持ちわかります〜」と言う番組が製作され、日本でもいくつかのシーズンが放映されたこともあるので、見たことがある人もいるはず。

彼の哲学・方法は独特なもので、国内外のドックトレーナー団体などから批評・批判されるなど、賛否両論いろいろありますが…何よりも彼の仕事の成功率の高さ…毎度レッドゾーンにある犬たちに対して魔法のように起こしている奇跡そのもの。飼い主と犬たちを幸せにしている結果がすべてを語っているのではないか…と私は思ったりします。

彼が言うには、飼い犬が問題犬となってしまう原因のほとんどは、飼い主の行動と発している「エネルギー」にあるとのこと。この場合のエネルギーとは、やはり「氣」のことですね。

飼い主が「穏やかで毅然としたエネルギー」で犬を扱えば、犬は穏やかで従順になり、逆に「恐怖・興奮・心配・弱気・いらいら・怒り」と言ったマイナスの精神状態で接すると、犬は飼い主を群れのリーダーとは見なさず、攻撃的になり、飼い主や環境と調和しなくなります。

彼のこの、犬と飼い主に対する助言は、そのまま人間同士の関係に当てはまります。彼の語録には本当にためになるものが多く、多くの人間関係の問題に対して応用が利きますから、もし彼の番組を視聴することが可能であるなら、一度見てみることをお勧めします。

で、本題。

今はもうご縁が無くなって(当方でお断りして)しまった方なのですが、仮にAさんとします。Aさんは、職場や仕事、職場の人に対して、ものすごく愚痴と不満の多い方でした。職場や同僚、上司が自分を評価してくれてない、辛い、しんどい。仕事もつまらない、やりがいがないと延々と仰られる。そこまで苦しいのなら、他にやりたいことを探して転職すれば?と言う話になります。大手企業に勤務していましたから、それなりに福利厚生や給料は良かったでしょう。社名を言うだけで、「あの会社にお勤めの…」と言う話にもなるし、それは両親にとっても自慢の種でもあったから、なかなか転職する勇気を持てなかったようです。

いつもいつも、来る日も来る日も同じ話ばかり。延々と不平不満、愚痴の無限ループです。とは言うものの、自分が変わらずに他人や周囲が変わることを期待していたって、何も変わりはしません。Aさんが転職を決意するまで、ものすごく時間が掛かりました。でも、ようやく前向きに行動しようと決心して転職はしたものの、当人の考えのスタンス、根本が変わらないことには、同じことの繰り返しからは逃れられません。

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話が飛びますが…職場と言うのは、色んな人が集まる場所です。確かにその業種や業界独特のカラーとか、社風とか、このような傾向の人たちが多く集まると言ったものはありますが、だからと言って必ずしも相性の良い人ばかりではありません。ウマやソリが合わない人も当然いることもあるわけで。たまたま温和で大人な人たちばかりが集まっているところもありますが、何処の職場にも問題児だったり、一人二人はクセが強かったり、当たりのきつい人というのはいるものです。

そして、その職場の常識と世間一般の常識が必ずしも一致しているという事も無いです。大手で名のある上場企業だからと言って、しごくまっとうで正論が通じる組織と言うことも無いのです。今でこそ、コンプライアンスだのなんだのって言われて、倫理観や企業の自浄作用が働いているように錯覚出来ますけど、朱に交われば赤くなる、長いものに巻かれろ…的な、なあなあな慣習や悪習など、見て見ぬふりなことはいくらでもあったりします。

会社ってのは、業務や仕事内容に関しては、自分で考えて創意工夫をしたり、問題意識を持って解決に導く姿勢は大歓迎と言ったスタンスのとこが多いですが、人間関係や会社のやり方などに関しては何処も保守的なもので、そこを引っ掻き回されること、問題提起されることを嫌う傾向があります。

田舎の常識は都会の非常識(都会の常識は田舎の非常識)みたいに
業界の常識は世間の非常識(世間の常識は業界の非常識)みたいな
その会社(企業)や業界でしか通じない常識もあったりするし
世間一般の常識を持ち込もうとすると嫌われたり、
会社や集団の和を乱す、扱いにくい社員とみなされることもよくあること

ことに人間関係に関しては、「波風を立てないでくれ」「理不尽な目に遭っているのは知っているし、あなたが間違っているわけではなく、相手がおかしいというのは、上も皆も全員が解っているのだから、そこはあなたの方が大人になって、忍耐で我慢してやってくれ」的な…社畜的従順さと犠牲的精神を求められることの方が多いです。

ですので、被害者的立場にある人が理不尽な扱いを受けていることに対して、加害者側にリアクションを起こしても、得てしてリアクションを起こした側の方が「忍耐足りず、職場に波風立てて騒ぎを起こしたもの」とのマイナス評価でレッテルを張られるとか…そのようなことも多々あるのが日本社会の実状。現場で同じ思いをしている人は同じ立場でもあるから、「よくぞ言った」みたいなことを口にしても、自分までとばっちりを受けたくない…と、どちらに付いた方が有利か…で小聡く動くもので、味方が必要なときに力になってくれるとは限りません(知らんぷりされることは多いもの)。

ようするにどちらが正しいとか、間違っているとか、どちらにモラルがあり、正義があるのかなんて、ほとんどの会社組織にとっては関係ないことなのです。企業たる会社側が気にするのは、何が会社にとって有益で不利益なことであるのか、です。だから、会社にとって不利益をもたらすのがどちら側なのかというところだけで判断し、処分ないし、対応をします。多くの会社にとって大切なのは体裁ですから

誰が不利益を被っているのか…と言うのは、同情する点であって多少の考慮はしても、それに対して会社としてはここまでのことしか出来ませんよ、あとは当人同士で何とかして下さい…とと言う風に大概なります。企業側に設定されたコンプライアンスやガイドライン(社内規定・社則)に沿っての対応になるので、労基に違反してさえいなければ、文句の言いようがないことであり<人間関係を円滑に進められないのも当人の未熟さ・能力の無さという評価なので

人として正しいか正しくないことをしているのか否かなんて、そこを会社は問題にはしないのです。もちろん、聞き取りなどの際には、大人の対応、模範的で隙のない、共感的な受け答えをしますけれどもね。

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話を戻します。

Aさんは転職する度に、同じ問題にぶつかることになりました。職場の人が自分を評価してくれない、自分を認めてくれない、ソリの合わない人がいてしんどい、愚痴が多くて感情的で怒鳴り散らす人がいてイヤだ、私のことを嫌っている人がいて、態度が冷淡できつくて辛い…などなど。

どうしたら、その人たちと上手くやれるか、どうすれば置かれた苦境的立場から脱せられるのか、職場環境を改善できるか…と言うことを考えたり質問するより、とにかくその人たちに自分がどんな酷いことを言われたのか、相手がどれほど酷い態度を取ってくるのか、相手の理不尽さ、いかにおかしい人たちであるのか…これらをとにかく私に理解させようとして、逐一説明したがるのです。まあ、こういうのって女性あるあると言うもの。心情的な共感ようするに同情的な意見・見解や慰めを求めるアレですねっっ

でもね。Aさんに対して、そのような態度を取る人がいると言うのも、理解出来るんです。別に占いとか、エネルギーを読むとか、そういう五感的な感覚に頼らずとも、目に見えない世界に理由を求めずとも、普通にAさんと時間を過ごせば理解出来ること。はい、多分ほとんどの人が解るかな。

「ようするに、こういうところなんだけどなー」って、溜息が出てしまうような、「あーあ」ってとこ…Aさんにはそれなりにありました。はい。相手がAさんにキレちゃうのも解るし、イライラされたり、イジメのターゲットになったり嫌われたりするのも、彼女と接してみれば、めちゃ解っちゃうってとこ。仕事仲間ではなく、クライアントさんとして接している私の立場からも、見えてしまう。カードをシャッフルしてめくらなくてもね。カルマのレッスンとか、そんなこと考えずとも、ロコツに丸見えなんです。

会社と言うか、職場ではほとんどの人が大人な態度で接してくれるから、とくにそこを指摘することなく、スルーして下さっているんでしょうけど(組織においてはスルースキルが必須で、重要かつ評価されるトコでもあったりする)。

でも、彼女の中では「自分を嫌う人、冷たくする人は悪」なのですよ。自分は悪くない、相手が悪い…というわけだから。なので、いかに自分には非が無いのかということを証明したくて、自分の立場を正当化するために相手のあら捜しをして、とにかく責める。相手がしていることがいかにおかしいことなのか、それを理解させるために…とにかく全部を説明してくる。自分の方が正しくて、相手こそ間違っていることをしている側だと、私は被害者なんだって、その同意を求めてくるわけです。

でも、うちのようなサービスを利用するにあたっては、そういうのって意味ないんです。目に見えない世界の常識とこの世の常識はイコールでは無いんで。どちらが正しいとか正しくないとか、そういう判定(ジャッジ)を霊的な世界での理屈や法則に求めるのであれば、すべては「因果応報」「身から出た錆」の一言で片付いてしまう世界でもありますからね。そういう単純なものでもないけど。

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「話を聞いてくれ」ってことで、愚痴をこぼしたいだけだったら、別にうちみたいなとこを利用する必要は無いんですけどね…同意してくれるだけの相手が欲しいのだったら、気の合う友達に言った方が味方にもなってくれるだろうし、同情も慰めも得られますからね。お金だって、お茶や酒代だけで済みますし。

そんなんで、セッション枠2時間のほとんどが、いつも彼女の説明(自己弁護)で終わりそうになってしまう。なので、まったく前に進まない。自分は悪くないと思ってるから、こちらのアドバイスが納得出来ないし、聞く耳持たない以前に、霊的な世界からの現象説明にも腹を立てて、怒って食ってかかってくる(じゃあ、来んな!って話になりますのよ)。

なんで自分は嫌われてしまうのか、職場で嫌がられてしまうのか、上司から扱いにくい人と認定されやすいのか…そこ考えないと、なんですよね。そこを認めて、受け入れ、向き合うのはとてもしんどいことですがね。相手も性格的に難や問題がある人たちではあるけれど、その人たちがAさんにイライラして、イヤだって思って、きつく当たったり、冷たくしてしまうのにも理由がちゃんとあったりするのです。

例えば見た目だったり、言葉遣いだったり、ちょっとした受け答え、コミュニケーションの取り方だったり、仕事の進め方や態度やあれやこれや。

私が「こういうとこなんだよなー」って溜息ついちゃう点は、人をアンサーロボットのように、自分が聞きたいことだけ聞いてきて、こちらが答えるとそれに対するお礼の一言もなく、そのまま言いっぱなしの聞き捨てがお約束で(次に再訪した時に「先日のメールの件ではどうも」も無く)。ようするに、コミュニケーションが円滑でないと言うか、一方的過ぎて不快な気分ににさせられちゃうとこ。一言足りないというのか、まあソレ。

セッションでも、自分の意に染まない回答やアドバイスだと、むくれたようにふてくされた顔で黙りこくってしまうとか、歯を剥き出して眉間に皺寄せて、怒りの表情で睨んでくるとか…ねっっ汗 

それと常に全身から出ている攻撃的なオーラ(エネルギー)かな。ここで冒頭のシーザー・ミランの話に繋がります。まさに「恐怖・興奮・心配・弱気・いらいら・怒り」のマイナスのエネルギー

はい、ホントそういうエネルギー出していましたから<Aさん いやさ、エネルギー以前に態度や言動に出てるけど。

「穏やかで毅然としたエネルギー」とは無縁で対極のもの。

そんな風にケンカ越しもしくは被害者意識100%で接してくる人に…「私のことを認めろ、私の問題を何とかしろ! 私は正しい、相手が間違っていると言いやがれ!」って、ホンネがただ漏れで言葉のはしばしから漂ってくる人に…どうして他人が好意的に接することが出来るでしょう?? 

他人から敵対心を引き出しているのは…周囲が自分を嫌うように仕向けて、相手を攻撃的にさせているのはあなた自身なんですが?? って奴なんです。

原因のほとんどは、飼い主の行動と、発している「エネルギー」にある

ようするに、原因のほとんどは、その人自身の行動と、発しているエネルギー「氣」にある。氣…オーラとも言えますね。そして、そのエネルギーは性格であり、考え方であり、思いであり、資質であり、その人が創ってきたエレメンタル(想念体)全部。

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また少し話ずれて、霊的な世界の常識は現実社会の常識とは違うという事。この世の常識での意見・見解・対処法が必要で、そちらが欲しいのであれば、そのようなところで意見やアドバイスを求めて、現実的に対処すればいい。もちろん、行動に移す際には、現実社会のルールに従う必要がある。それが霊的な、見えない世界の理屈や法則がバックボーンにあることであっても。

けれども、その現実的なモノの見方ではないところのモノの見方、非科学的かつ別次元からの情報やアドバイスが必要で、それを求めての私のとこのようなサービスを得ようと言うのなら、そこに現実社会の常識的見解を求めるのはそもそも間違いで、畑違いなんですね。レストランに行って、ヘアカットをオーダーするようなもの。

Aさんみたいなケースもそうですね。彼女が置かれている職務上の立場や職場でのトラブルを常識かつ現実的な尺度でジャッジして、どちらが正しい間違っているかの判定を下すのは、そういうのは人事や労務士や弁護士さんや労基の仕事。彼女の気持ちや立場に同情して「お気の毒に」って気持ちに添って話を聞いてあげたり、一緒に憤ってあげるのは、いのちの電話みたいなカウンセラーさんの領域。もしくは身内や友達のすること。人としてあるいは社会的に見て、どうかって思う事をアドバイスするのもね。

でも、あなたの性格や態度に問題があるんですよ。因果応報です!とか、カルマのレッスンですよ、あなたが考え方を変えないからですよ、こういう種類のエレメンタルをたくさん創って、自分の人生や未来をこのようにリクエストしてクリエイトしているからですよ、こういう学びがあって今の状況に導かれているんですよ…って、それを伝えたり、アドバイスするのが私のような職業人の仕事。もとより、そういうアドバイスに聞く耳を持てないなら…そのような視点からの見解に不服があるなら、そもそも利用する意味もお金を払う価値もないでしょってハナシ。

自分の思い通りに人生が行かず、自分が正しくて相手が間違っているという立証を、霊的な世界からの回答から得られないことに怒りを覚えるのであれば…もうそのままに自分を貫いちゃって下さーい! ではありました。

お前が悪いと指を指せば、3本の指は自分を向いている
by シーザー・ミラン

何処まで行っても「私は悪くない!」って人でしたからね。そうするってーと、相手の方も「自分は悪くない」ってことで、「お互い(自分は)悪くない、悪いのは相手だ」と他人を責める人同士でどっちもどっち。似た者同士ですよ。まさに引き寄せの、鏡の法則。汝の敵は汝なり。

その人にとっての障害となる人、敵となる人、自分の人生に問題を運んでくる人はかつてのその人自身ですからね<自分が他人にしたことが全部自分に戻ってきているだけなので

そして常識的な面としても、正義が常に勝つってわけでもなく…問題行動の多い、人間的におかしな人が、必ずしも会社から不要な人として処分されると言うこともなく、正しいことを主張している人の方が会社からして煙たがられて冷遇されるということも往々にしてあるものです。例え、ブラック企業では無く、ホワイトであったとしても。

だからこそ、個人として、そのような中にあって、かくあるべきか…ということが、その都度問われることでもあります。自分の良識で、自分が納得できる行動をとること、自分と自分の人生に対して誠実に生きるということがどういうことかと、それを問うて、行動・実践する勇気の必要性が。

でも、その段階において、周囲に自分の主張の方が正しいのだ、相手の方が間違っているのだ…ということを証明しようとするのは、得策では無いと言うか、そこに中心軸を置くと、世間一般の正義では無く、自分にとっての正しい行動や物事を見誤ることになります。

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話が脱線しますけれど、正しいことが認められ、間違った方が裁かれるのが世の摂理で真理、常識であるならば、「食品偽装事件」や「命のビザ」で人々のためになる人道的な決断や行動をした人たちが報われなかったはずはないのです。でも現実は違います。(霊的な次元での見解はまた別のもので、どうしてああいう結果になったか…と言うのにはそちらの世界からの理屈があるのです)

だからこそ、正義を貫こうとする人は尊いのです。誤っていることを正そうとし、おかしいと思えることに声を上げて、人々のために戦える人は貴重なのです。

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