見出し画像

道を求めて順番を待つ霊たち

「玄関のところ、右側に女の人が立っていて…」
とは、クライアントさんであるSさんのセリフ。

もちろん、Sさんが見たその女性は生きている方ではありません。
確か、Sさんは以前も階段上ってすぐのところで待っている人を見たかと。

その方はSさんと一緒に入って来て、Sさんのセッションが終わるまで、おとなしく待っていらっしゃいまして…と言うか、施術の時に担当の人に来てもらって、上がってもらうわけですけど。

うちのクライアントさんの中で「視える」人は、時々そんな風にドアの外で待機している人(霊)を発見してしまいます。

それと言うのも、私は仕事以外ではまず「上げる」ことをしませんし、クライアントさんに依頼されての仕事でないとしないから…かも。

先日もそうですね。
「部屋には、あげて欲しいおじいさんがずっといます。 アルマさんの所に行くまで待ってるそうです。」と言うメールが。

※昔からのクライアントさんは、ほとんどの方がアルマの方の名前で呼んで下さいます。

こういうのはわりとよくあることですね。憑依している霊の場合もあるし、クライアントさんがいらっしゃる日・時間帯にドアの前で待機してらして、順番待ちをして下さっている方もいたりする。
クライアントさんの縁者の方だったり、お身内の場合もあったり…まったく無関係の拾われてきた人だったり… その場合は、どうしてここを彼らが「知る」のか、解りませんけれど。

ここ最近は瞑想中にも、その存在をアピールして来られる方も多いです。
でも、四六時中アンテナを張っているわけでなし、なるべく普段はスイッチを切って、感じないように…視ない、聞かない、感じない…を徹底しています。だって、スイッチ入れっぱなしで一日中そのモードだったら、キリが無いですから。幸いにも、とっくの昔に目を「閉じっぱなし」にして使わないように封印してしまったので、セッション中だけに限定していますが。
それでも、「なんとかして下さい」的にアピールされることは避けられません。これはもう無視するしかないんですけどね。

待てない人には、一時的なその場しのぎではありますが「道たる場所」を作って、そちらからどうぞ…とはしたんですけれども。仮の霊道だから、どのくらい持つかなあ。そして、マンション内に創らざるを得なかったから、他の住人の方には迷惑なことかも知れない。
私が転居することになったら、ちゃんと解体して撤去しないとですが。

そうですね。閉じた目をまた開けばいいのだけども…まだそこには抵抗と「恐怖」があるのかも知れない。これは一種のトラウマなのかなあ。
制限があると、色々と弊害もあるし、困るというよりは、役立たずな感は否めないですよね。
今の仕事の幅が広がると言うのかな…予期せぬ死で身内や大事な人を失ってしまった側からすると、心残りもあるわけで…聞きたいことがあったり、伝えたいことがあったりなど、そんな風に亡くなった人と話したい人はいるわけだから、そういう人の願いも叶えて差し上げられるだろうに。
そういう人の力になって差し上げたい、お役に立てるのにって、そのように思う気持ちはあるのだけれど。

今みたいなまどろっこしい、間接的な方法では無く…直接的に存在を視覚・感知して、対話をすることを復活させられたならば…とも思うのですが。
もう恐ろしいもの、怖いもの、醜いものを視たくないとか…このことに付随してイヤな想いをさせられてきた過去の状況に対するダメージ。そういうのが障壁となっているのかも知れない。なかなか超えられない壁ですね。

けど、ここを超えられたらいいのだけれども。
そんなにも深い傷なのかと、自分でも思ったりします。

まあ、自分自身やこうした特技?に対する不信感は、だいぶぬぐえるようになったけれども。視ている世界を疑ったり、自分自身を卑下したり、軽んずることも無くなりましたがね。
それでもやはり、色々とありますね。まだまだ…てんこもりに。

もし、こちらの記事を読んで頂いて、面白かった、参考になった…とそう思って下さったり、サポート下さいましたならば、心から嬉しく思います💛