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他人は写鏡〜痛みは過去からの宿題

生きていると、どうしても、不快なことや不条理なことにはぶつかりますし、理不尽なことや自分の力ではどうにもできないこと、抗えない力に屈服せざるを得ない状況にも遭遇します。

世の中良い人ばかりではないので、好きになれない人、受け入れられない人に出会って、嫌悪感すら抱く関わり合いたくない人とも避けられず、関わっていかなくてはいけないことも多々。

人生とはまこと悩み多きもの。

ですが、その悩みの状況を受け入れるも受け入れないも、当人の選択次第・・・ではあります。

ようは、その出来事や相手に対して、自分が反応しているだけだということです。

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仏教の説法のひとつの小話ですが…

あるところに仏陀(シッダルダ)のことを嫌っていて、ものすごく敵意を抱いて意識しているというか、彼に対しての憎悪と侮蔑の言葉を周囲に吹聴し、
当人にも浴びせかける人物がいました。

その人物が、ある日また仏陀のことを待ち伏せして、あれやこれやと彼に罵詈雑言を吐きかけて、非難批評の罵りを弾丸のように浴びせるのですが、肝心の仏陀は一向にそれに動じないというか、涼しい顔をして、それを聞き流しているのです。

いやさ、左の耳から右の耳にスルーという具合で。

その仏陀の自分を相手にしない態度に、
「なぜそうして平気でいられるのか!! 無視するのか!!」
とヒートアップしてさらにキレたんですね。

すると、
「誰かが贈ったギフトを相手が受け取らなかったら、
 その贈り物は一体、誰の物であると思う?」
仏陀のその問いに男は、
「それは贈り物を贈った人物のものだろう」
と答えて、自分の発した言葉にハッと我に返りました。

はい。仏陀が男の言葉に反応しない限り、その怒りの波動(罵詈雑言や誹謗中傷の言葉)は、決して仏陀のものにはならず(その影響を受けず)、それはそのまま、それを仏陀へと発した言葉と怒りの念の送り主である、その男のところに戻っていくのです。

仏陀は本当にこういう切り返しが上手いですね。相手の悪いところを責め立てて非難したり、問題点を指摘してチクチクやらず、誰かを傷つける言葉を発することなく、その人に自分の行動の誤りや矛盾を気づかせ、それとなく知らせて反省へと導く…

この、当人に気づかせるように仕向ける話術がもう…流石ですぜ、プロですぜ! (「聖おにいさん」のアナンダなら、ここ涙流しながら拍手してるとこだと思う)

天晴だ仏陀! (なんて上から目線なんだ私っっ)

こういうテクニックを習得するのって、私にはあと1万年かかっても無理なような気がする。

ちなみに螺髪はパンチパーマぢゃありませんぜい。           チャクラです、開いたチャクラ。

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さて…そんな風に身近なところに、自分に気付きをもたらすべく、痛みをもたらさない優しい行動や言動で導きを示して、それを解説してくれる、仏陀みたいな人が、あちこちにたくさん、この世に存在してくれればいいんですけども。

残念ながら、仏陀クラスの人はなかなか、その後あんまり出現してくれてません。身近なところで探すのはまず無理です。

なので、私たちには「神聖なる計画」の一部の法則としての、カルマのレッスンの法則。流行の言い方だと「引き寄せの法則」とも言われる方法の働きによって、「教え」を与えてくれる、偉大なる教師としての学びの相手…と必然的に出会うことになります。

これは大抵、「痛み」「苦々しい思いや経験」を与えてくれる相手です。

だからまぁ、なんていいましょうか。
自分にとって「痛いこと」「苦しいこと」「辛い経験」を与えてくれる相手と、一連のその出来事は自分にとっては避けるべきではない、真正面から向き合うべき問題でもあり、乗り越えるべき成長点なんですね。

はっきりいって、逃げ出したいことばかりなんですけども…

逃げちゃあ、いけないよ…ってことの方が多いです。

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ただ、その出来事に対する考え方や感じ方の問題でもあり、
どのように解決すべきかって悩んで結論を出すのが大事。

どうして、その出来事に遭遇しているのか…その出来事から何を学ぶべきなのか…自分はこのことから何に気づくべきなのか…

と、いう点に着目すべきで。

大体において、自分が感じている痛みって、過去において自分が誰かに与えた痛みなんです。正しくは同じ質量ではなくて、「×7倍」なんですけども。
それが7倍という倍数になって戻ってきているだけ。

他人にされて、嫌だなあ…っていうことはしてはいけません。
と言うのは、昔の道徳の教科書でも習うことですが…

自分が他人にしてしまったことが戻ってきて、
自分がいま痛みを伴う、嫌な思いを味合わされてる。

ものすごく単純な正解です。

だから
「ああ、自分がいま感じているこの感情や状況は、
 自分がその昔、誰かに同じようなことをしてしまって、
 その時、与えてしまった痛みであり傷なんだな…
 自分は誰かをこんな気持ちにさせてしまったんだな」

そう考えたり、捉えた上で、
その問題と向き合って、対処法を考えるべきでもあります。

とはいうものの…そうなると、下手に罪悪感から自虐的に考えてしまう人もいるわけですが、それは「運命の導き」の意図するところではないし、そこには前向きな反省も建設的な思考も存在しないので、罰として受け止めるのではなく…

自分が学ぶべきこと知るべきことは、
"このような目にあったら人はこのように傷つく"
"このような状況下において人の心はこのように感じ反応する"

と言う点。そこなのであって、

今回、自分が立たされた立場や味わった思いを鑑みて、自分と同じような目に合っている人や、似たような立場に置かれて、辛いと感じている人の気持ち…そうしたものを理解する。それを得るための経験だと学習して、他者への理解として、経験からくる知恵に置き換えることです。

それだけです。

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もちろん、過去に自分が傷つけてしまったであろう相手にも、
「申し訳なかった」と謝罪の気持ちを持ち、その相手の心の中にある当時の未だ癒えぬ傷に対して、受けたダメージが癒えることと、相手の精神の平穏を祈ること。それが出来ればベストな結びですけれども。

そして、後は手放すだけですね。

その後は、学んだことを生かして、精進して生きればいい。ちゃんと反省を人生に生かさないと、さらに大きな痛みとなって再び引き寄せられてしまうので。

(出来事の意味を知り、学びを得ることと、起きてしまっている問題に対処することはまた別で、撒いた種は刈り取らなければなりません。そこは現実的に向き合って行動すべきです)

とはいうものの、人はなかなかその場では反省しても、根っから改心するのは難しいって弱い生き物でもあります。

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さて、私事ですが、対人関係において「んー 困ったなあ」っと言うことがありました。

でも、その人の姿って、昔の私の姿なんだよなーと。あー、私もこんな風に色んな人に承認欲求から周囲に自分の考えとか感情とか、先走って押し付けてしまっていたよなーと…他人の振り見て我が振り直せな出来事だと。

その出来事も含めて、過去の自分の他人に対する態度とか、起こった出来事に対してどのような方法をとったとか、それが本当によかったことなのか、ベストな方法だったのか、もっと別のやり方があったのではないか…こうすればよかったのではないかとか、あれやこれや考えたり反省する機会を持っていました。

例えば、最近友人から、
「なんかあの時、否定されたみたいで悲しかったよ」
と言うような一文の入ったメールをもらったのですけども。
 
コロナ禍の前にみんなで会った時に、私たちは彼女に対する心配から、
あーだこーだと口うるさく、こーしたらあーしたらとアドバイスしたのですが、その時の言い方が、彼女からすると自分を否定されたように感じた模様なのでした。

私からすると、「ん? そんな言い方したっけ?」で…他の友人とそんなにきつい言い方した?と、確認しあっても、「親切心というか心配から、あれこれアドバイスしただけ」…と言う、全員その認識で。否定や非難するような言い方はしてないと思う、とのこと。

でも…言った側や周囲がどうであれ、当人がそのように傷つく言い方をしてしまったのは事実です。

直後の返信で、
「それはちょっと被害妄想的な反応とちゃう?
 話の流れはこうだったし そんなこんなだったから
 これこれこうで皆こういう風にいったんだけど?」
と、返してしまったのですが…

その後で、あれ? 私まず傷つけてしまったこと謝る言葉を書いてない。
自分の行動(言動)の正統性を立証することを返信していて、彼女に不快な想いをさせてしまったことや、心を傷つけてしまったことに対してごめんねって、それ書いてねーぢゃんっっ!!

って、いつも謝らない自分に気づいたのです。

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ダイレクトに相手のことを責める言葉は書いてないけど、
遠回しに「傷つくようなことではないことに傷ついてないかい?」って、
相手のことを責めることをしているわけですよ、私。

結果的に「私は悪くない」ってスタンスでいる。

そういう自分に気づいて あっちゃ〜!!と思いました。

まず、どうであれ、謝るのが先ですよね。私たちがどんな気持ちで相手にそれを伝えたか、何をどう思って発した言葉なのかは問題ではなく、結果としてその言い方や態度、言葉に彼女が傷ついたのは事実なんですから。

まずそこをちゃんと労って、謝るべきことじゃんかー!でした。やはり私って優しくないですねっっ ダメだこりゃ。メールだからこそ、そこって大事な一文だと思いますし…それが出来てない自分に思い切り凹みました。

プライベートの出来事ではあるけど、
こういう職業の人間のくせにどうなの? ってのはあります。

自分の気持ちを押し付けるばかりで、その気持ちを受け取る側の相手の気持ちをまったく考えられてない。

思いやりがないというか、エゴイズムはあっても愛がまったくない、私の行動・言動はエゴイズムからの自己保身の発言そのもの。

情けない情けない…いったいお前はこの年になるまで、何をやってるんだ??

海より深く反省しました。

でも、彼女が正直に「傷ついた」という想いを伝えてくれたから、
気づけたことであります。

そんな感じで日々、周囲にいる色んな人から、たくさんのことを今もなお教わっている最中です。はい、周囲にいる人すべてが教師であり、あらゆる「教え」に自分を導いてくれる人生の師匠であり、マスターなんですよね。

ありがたいことです。

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