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とは、占星学で知りえた言葉<私の場合

人間というのは、自分に足りてないもの(不足していると思われるもの)・・・を埋め合わせようとして、それらを執拗(必要以上)に追い求める傾向にあると言う事です。
これらはコンプレックスをカバーするために承認欲求を満たそうとする行為とほぼ同じ行動原理なんですけど。

その動機が良い方向に出れば(良い意味に働くと)、向上心を持って、コンプレックスや苦手を克服する原動力になり、自己肯定と自己確立などの人間的成長へとその人を誘い、かつ人生を発展させ、創造的な発露を得られることになりましょうが…

悪い方向性に出てしまうと(悪い意味に働くと)、エゴイズム的な自我を肥大させ、いつまでも満たされぬ承認欲求を抱えたまま、心の飢餓を増大させ続けつつ、自らの傷口を周囲に擦り付けては様々なものを失うばかりで、砂を噛むような不毛な人生を生き続けることになってしまいます。

まあ、ちょっと極端なことを書きましたが。

私の信じること
つまるところ 
人生とは辛く危険なものである
幸福を求むる者は得られず 
弱い者は苦しまねばならない
愛を求める者は失望し 
貪欲な者は与えられず
平和を求める者は争いを見出す 
真実は勇気ある者に与えられ
喜びは孤独を恐れぬ者にのみ与えられる
そして、生は死を恐れぬものにのみ与えられる

by ジョイス・ケアリー

例えば、愛という言葉を何度も繰り返し口にする人がいました。口頭でも、文章の中でも、何かというと、「愛」「愛」「愛」。愛をテーマにした歌も書かれるし、もちろん歌われてもいるし、他人にそれを説いたりもする。主催するワークショップでも、いつもテーマに愛という言葉が入っていたりもする。

けれど、その行動に愛があるのか?と言われると、申し訳ないのですけれど、とても慈悲深い人だとは言えず、他人に対して厳しいし、不寛容な方だったりします。

また、家族の大切さを訴える人がいます。家族が大事、家庭が基本、家族第一に!なんて言いながら、その人はそうしたことを他人に話す時間のために、家族との時間をほとんど作れなかったりなんかして‥というのはよく聞く話です。

そして、こういう人もいました。
メールの文面に「感謝!」をよく使う人で…必ずそれで締めくくるというか、やたらと感謝感謝の文字を連呼する人でしたかね。ボランティアも熱心な人だったので、行動力もあり、尊敬できるところも多々あった方ですが…
ではその人が「感謝!」を良く他者に対して表す人であったかというと、残念ながらそうではなくて。

他人がその人の要望に対して、あれこれ提案したことに対して、「あーでもないこーでもない」と文句や注文をつけては「やっぱりいいやー」なーんて、その気持ちや心配りを踏みにじることばかりしていましたかねっっww 
その行動のどこに他人に対する感謝が?という、そういうのが多い人でした。

なので言ってることとやってることが、矛盾しているってホント。でも、そういう人、多いのですよね。

ようするに、その人がよく言葉にしていることは「その人にとって一番不足していること」だったりするわけです。他人にではなく、自分に対して言っている言葉だったり。けれど、本人はそのことにまったく気づいていないんですね。

不足しているから…飢えているから、心が一番求めているから、それを口にしているのでしょう。自分自身に聞かせるために(気づかせるために)。

そうそう、見た目を気にする人。この場合は他人の、ですね。面食いっていうのかな…美男美女が好きな人。他人の容姿で好き嫌いを決めたり、恋人を選ぶ人って、自分の容姿に自身がないわけです。まあ、こういうのは良く知られた事実ですけど。自分の容姿に満足していれば、他人の顔形の美醜なんて、さほど問題にはなりません。もちろん、好みとか生理的に受け付けないとか、そういう判断材料もあるわけで…それは否定されるべきことではありませんが。

顔の作り(表情)に出ている品性とか現れている人格のかけらは気にすべきでしょうし、その人の人となりを判断するには重要なファクターではあります。

でも、中身ではなく、単なる顔の造作やスタイルにこだわって、それだけで相手を選ぶ人ってのは、トロフィーワイフではないけれど、自分に足りてないものをパートナーとかで埋め合わせようとしているだけなんですよね。
とは言うものの、相手自身に求めるもの…自分の欠乏を埋め合わせて承認欲求を満たすための材料・・・に関しては、容姿などの見た目だけに限ったことではなく、学歴だったり、家柄だったり、財産だったり、様々なものがあげられます。

けれど、自分とは正反対の個性や自分に足りてないものを持っているパートナーを尊敬・敬愛し、互いに認め合っての関係性なら実りがありますが、欠乏を満たすためだけの理由での選択は、得てして幸福な未来を築けないものです。

そういうのは、パートナーに限ったことではなく、友人同士でも同じですね。相手のことを純粋に「好き」なわけではないので。対等な友情や関係性を作るのに支障があるというのかな…健康的な付き合いが出来ないまま、いつか何かのきっかけで破綻してしまうことが多いですよね。

だって、自分の不健康な面を、その相手との関係性や繋がりを得ることでごまかそうとして、始まった関係ですから。
欠損を補正するパーツとして、その人を必要としているってことだから、健康になっていく過程で、いつか「ほころび」や「ひずみ」が来てしまいます。

そうなる前に、どこかで修正出来れば良いのだけども。

さてさて、私自身の場合。何かと口にしている言葉と言えば、「言葉が大切」「コミュニケーションの大切さ」

はい、これが私のもっとも足りていないこと。
ぶっちゃけ、課題なんですよね。
ちゃんと「伝えること」「伝えようと努力すること」
これはカルマのレッスンでもあるかなあ。

で、占星学上で、その人の「欠乏(不足)」に関しては、色々な見方があるんですけどね。

とりあえず、天体のアスペクトで言うならば、ノーアスペクトが欠乏を表わしていまして…ノーアスペクトとはアスペクトを持たない天体のことでして。その前に、アスペクトというのは、天体(小惑星と月含む)が占星学で決められた関係性(特定の角度)を持つことを言います。
んー、この説明では「?」になっちゃいますかね、素人の人にはごめんなさい。解りやすく説明するのが苦手なんです。

私の場合は、水星がノーアスペクトなんですね。つまり、他の天体から仲間外れって言うか~「ぼっち」なわけです。それはそれとして、水星というのはコミュニケーションと知性を司る天体。この水星がどの天体とも関係性を持っていないので、私の知性やコミュニケーション能力は、どの分野でも生かされない、発揮できないってことになります。連携出来てないから。

で、サインが射手座なので知的好奇心は旺盛で知識欲やなんかはあるわけです。でも、「生かす場所」がない。
んでもって、滞在しているハウスは9ハウス。ほぼMCに掛かってエレベートしてますけど。
※正しくは占星学で射手座は人馬宮ですが、ここでは星座の名称の方を用います

これが欠乏という状態をどう生み出しているかというと、「自分は知性がない」「コミュニケーション能力がない」という理解・自己認識に繋がるわけです。ようするに、コンプレックス。はい、私学歴コンプありますよ。自分は頭が悪い、無能で、特技も才能も、何も無い人間だとずっと思っていました。

実際、高校もロクに通ってません。義務教育止まり。低学歴です。文章力もないし、語彙力もないし、理路整然とした論理的な思考に欠けているから、理性的な会話も出来ません。
なので…自分には知性と学力が何よりも欠けていると思っているから、その欠乏を埋め合わせようとして、過剰に知識を吸収しようとする行為に走るんですね。
けれど、それはただ「知る」だけ。その「知った」ことが何かと結びついて、それ以上の形になることは残念ながらありません。実にもお金にもならない知識をただ収集しているだけっていうのかなっっww  ※射手座の信条は「I see」

それと7ハウスもある意味で、欠乏になりますかね。他人や外の世界に求めるものなんで。

私の場合、7ハウスのカスプサインは乙女座ですから、他人には「常識」と「秩序」を求めるわけです。
それは1ハウス、ライジングサインたる魚座の「非常識」と「無秩序」の対局にあるもので、自分が曖昧で不安定で常識にとらわれない浮世草みたいな人間だから、他人や外の世界にそうした規範を求めてしまうのですよね。すなわち、自分にはないものを求めると…

さしずめ、魚座ってのは形のない不定形な水なんですけど、乙女座はそれを入れる器でコップみたいなもの。そんな感じ。

サインインしている天体、私の場合は冥王星と天王星の説明をしてしまうと長くなるので省略。

して、月も欠乏なんですよね。いやさ、欠乏というより、欠損という表現になりますでしょうか。実は。

月のあるサインはその人の欠けているもの、損失のあるポイントを表わしていたりします。理解出来ない、認識できない、会得出来ない感性っていうのかなあ…
で、月は太陽の写し鏡だから、まさにそんな感じで、インしているサインの特質というより、ポラリティ(オポジションにあるサイン)の特質を持っていたりするんですよね。

私の月は1ハウスでサインは魚座。魚座は共感性が強いって言われているけれど、実はそんなことない。その共感性が感情部分において、欠けているんですよ。

アセンダントだから、見た目としては他人に対して同情的で、他者の気持ちに敏感で理解力がある…ように見えるけど、見えるだけなのね。実際のところは、共感性と同調力が欠けてる。客観的に捉えることは出来るけど、相手の感情に寄り添っているように見えるけれど、本当は違う。

かなり突き放して、俯瞰して捉えている。魚座のポラリティである乙女座の月の解釈がもっともふさわしい。
ようするに、私の月は魚座というよりは乙女座の月なんだよね。他人の感情を分析して、客観的かつ冷たく)批判的に見ているというのかなあ。まさにソレ。
だから、「優しい」って言われるのは心外なのです。結構、冷徹ですよ。感情的には。
でも、魚座のアセンダントがそれをうまく隠しているんだなあ…ホント上手く出来ていると思ったりします。

まあ、そんな風に他人の感情に「共感」して入り込まないから、この仕事が冷静に出来ているのだと思います。
でないと、大変ですもん。いちいち共感して、他人の感情に呑みこまれてたら、身が持たないし、まったくお仕事にならないですから。

そうですね。他に占星術の欠乏としては、ハウスとかサインとか、その区分とかで見ていきますけど… 顕著なのは4区分で風のサインがひとつもないことかなあ。正しくは、風のサインに十大天体やアングルが入ってないって話。小惑星のパラスとジュノーがかろうじて水瓶座に入っていますから、小惑星を入れるならば、あるって話になりますけども。

これまた、風は知性とコミュニケーションとか、そういうものを表わしますからね。はは。
ただ、射手座オーバーロードサインなおかつエレベートしているMCもココなので、その分を射手座が埋め合わせてるって感じで、頑張りすぎてしまっているのかなあ。暴走している以外の何ものでもないけど。まじ、ミュータボー!(解る人にしか解らんネタ)。

※12サインの三区分、カーディナル(活動宮)、フィクスド(不動宮)、ミュータブル(柔軟宮)のうち、行き当たりばったりの行動をしがちなミュータブルサインのことを揶揄ってマス。

さてさて、ちょっとまとまりのない、よもやま話な感じになっちゃいましたね。

とにもかくにも、人は自分の中に「欠けている」と思うものを外に求めがちな生き物で、自分の内に求める分にはいいけど、外に求めてばかりいるとロクなことにはならないってのもあるし…何事もバランスって大事ですよねって、はい。

でも、無意識に口にしたり、追いかけたりしているものの中に、「欠乏を過剰に埋め合わせようとしている」行動があるってシグナルに気づくのも、大切なことだと思ったりします。

なぜなら、それが他人に「押し付け」ている行為であることにいつまでも気づけないでいると、自分も周囲の人も不幸にしてしまうだけだから。

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