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過ぎました。そして1月17日。26年前のあの朝を思い出すと何ともな日。私は関東住まいですから、もちろんテレビのニュースを見て唖然としてフリーズしただけの一人。親戚(父の姉一家)が西宮在住でしたが、全員無事で家が少し損壊したくらいとのことでした(あまり交流がないのですけどね。その従兄はテレビなんかにも出たことのある某ホテルの有名パテシエらしい。今はもうとっくに定年の年過ぎてますな)。

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生きていれば色んなことがあるものです。半世紀も生きていればなおさら。子供の頃はまだ戦後の匂いが残っていて、お正月の初詣に成田山に行けばお貰いさんをしている傷病兵の人も見たりなんかしたし。同時に「成田空港建設はんたーい!!」とシュプレヒコールしている、マスクして武装した人たちのデモ隊なんかにも出くわす。軽井沢での浅間山荘に鉄球が撃ち込まれるシーンも、東大の安田講堂が燃えているシーンもテレビで見た。

岸壁の母が舞鶴で帰らぬ我が子を待っていたり、横井正一さん、小野田さんの「恥ずかしながら」も聞いたし、沖縄はまだアメリカということで、甲子園に参加できたものの、検疫で引っかかった甲子園の砂を高校球児たちが泣きながら船に海に捨てるシーンも。その沖縄が日本に返還された瞬間、ロッキード疑惑の「記憶にございません」。日中国交正常化により、中国に置き去りにされていた日本の孤児たちが親や身内を探す残留孤児として毎日のように新聞に掲載されていたこと。

オイルショックや東西の冷戦。オフィス街での爆破事件。銀行の立てこもり事件や悲しい誘拐事件。恐ろしい殺人事件。衝突し、海底から引き揚げられる船を一晩中見守っていたこと。ベルリンの壁崩壊。ソ連の解体と冷戦の終結。世界の果てで起こっている戦争。その爪痕の話。ホテルニュージャパンの火事や羽田沖での墜落事故。御巣鷹山の事故。平成の米騒動etcetc…色んなことがありました。ありすぎて書ききれないほどに。

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てなわけで、コロナ禍というのも、さほど驚いてはいない私がいます。慣れるしかないというのもありますよね。いつまでもこの状態にはなく、いつかは終わる日が来るだろうという楽観者になって。

まぁ年内いっぱい、来年の頭くらいまではこの状態ではないでしょうか。ジョーティッシュは2024年頃まで、とある占星家は冥王星が磨羯宮から立ち去る2023年までは続くと仰っていますが、どうでしょう。私的にはスタンダードな子丑の災厄として来年にはお願いしますって思ってしまいますけど。そして、ワクチンなんかあんま意味ないんだけどな、と思う。ウイルスは日々進化しているから、鼬ごっこでしかない。そもそもワクチンは罹患しないためのものでなく重症化しないためだけのものだから。ワクチンを打ったって罹患しなくなるわけじゃないし。むしろ、開発を急ぐべきは治療薬の方でしょう。それと精度の低いPCR検査。コロナに罹患しているかしていないかをこの検査に頼りすぎている無意味さを、PCR検査の生みの親と専門家からちゃんと聞いて下さいよって思う。

祖父母、そして親の代には戦争があって、日本も焼野原となって、母親は伊勢湾台風でも被災して(勤務していた岡崎の紡績工場の屋根が無くなった、そして倒産)、去年の千葉の台風は伊勢湾台風の時よりも風が強かったということで(母曰く)、今度は自宅の屋根が無くなってしまったり。親戚の一人は別の台風で亡くなっているし。私も千葉市内で川が氾濫したときは勤務先が浸水してしまったので、ドブ川からの汚い水に下半身浸かりながら歩いて脱出したことがありましたしね。

間一人挟んだならば、誰もが今も胸を痛める惨い殺人事件の被害者、未解決事件の被害者一家、遠い異国の空で夢半ばに命立たれたその死が議論の的となる人もいる。友人の身内は豊田商事事件の被害者だったりする。バブルの時には祖父母を地上げ屋によって自殺に追い込まれた人も知っている。実の叔父は妻の不貞と借金苦に悩み練炭自殺をした。もう一人の叔父は幼少期の栄養失調と無医村的な環境の中、風邪をこじらせて亡くなった。

戦争と人災は二度と起きて欲しくないけど、自然災害ばかりはどうしようもないですね。防ぐということがそもそも無理です。被害を受けないよう、最小限に食い止めるように対処する以外には。そのためには過去から学ぶ必要がある。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ byビスマルク

未来を知りたければ過去を学び、歴史を学ぶことが愚かな過ちを繰り返さない賢い選択だということで。

病気は、無くならないですよね。医学がいかに発達しようとも、新しい病が私たちを滅ぼそうとする。天敵のいない人類にとっての唯一の天敵、それは病気と自然災害、そして私たち人類自体が人類の天敵でもある。

しかし、日本政府。コロナ発覚の2019年11月から、もう一年以上経つのに、学習しないなあ。有識な専門家の方たちの有益な発言は無視されてばかりです。けど、これが私たちが選んでしまった人たちなんですよね。

官僚の方たち、国家公務員の人たちはね、優秀で働き者な人たちが多いんですよ。知らない人が多いだろうけど、彼らは年末年始もお盆も、休まずに働いている人多いの(腐敗している人もいるけどさ)。残業も徹夜もどんとこい。24時間働きますか、って人もね多くて。永田町と違って霞が関の人たちはめちゃ仕事してくれてます。こんなに賢くて優秀な人たちがいるというのに、どうして政治家は票を取ることばかりしか考えてない人ばかりなんだろーなあ。官僚さんたちが政治してくれた方がまだ日本は国として機能すると思うよ。

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病と死は人種も肌の色も金持ちも貧乏人も選ばず、公平に訪れる。

そういう意味でコロナ禍が私たちに与えた「問い」を、私たちは「答え」を出すがごとくにこれからの人生を生きなくてはいけない。でないと、コロナ禍が落ち着いたころには次の段階の「問い」が立て続けにやってくることでしょう。

そしてこちらのnoteにしてから、ハードルが高くなったのか、気軽に思ったことが書けなくなりましたww それはいいことなのか悪いことなのかわからないのですけどっっ汗 書きたい意欲が前ほどにはないというのはあるかも知れません。単純にネタがないと言えばそうかも知れないのですがね。

でも、先日お客さんから「今は皆さんPCでなくてスマホで閲覧する人が多いから、blogよりnoteのほうが見やすいというか読みやすいですよ」ということを仰っていただいたので、以前のblogの過去記事で使えそうな記事をこちらに移そうかなあなんて、少し思ったりしています。新しく書くことが面倒なことによる単なる手抜きのような気がしますが…ww

そんなこんなでちょっと思案中です。

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