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The Ronettes - Be My Baby / ビー・マイ・ベイビー - 1963

オリジナルはザ・ロネッツで、1963年に発売されました。ザ・ロネッツは二人の姉妹とその従姉妹によるニューヨーク出身の三人組。ちなみに彼女たちはアフリカ系の血も入ってますが、プエルトリコとかアイルランドとか、ネイティブの混血なので、ブラックミュージックではないです。

プロデューサーのフィル・スペクターにより、
「ビー・マイ・ベイビー」に用いられたウォール・オブ・サウンドという制作手法は、後の音楽シーンに多大なる影響と触発を与えました。

「Be My Baby」1963

ロニーの特徴的なヴォーカルが、いい味出してます。
※後に、ロニーはフィルと結婚しました~って、わりと早めに離婚しちゃったけど。

日本では「あたしのベビー」という邦題がついていましたが、この場合で用いられているベイビーって、赤ちゃんのことではなくて、「愛する人」のことを指しているので変でござるっっ。

そして、伊東ゆかりさんや弘田三枝子さんも日本語でカバーしてまして、ジョン・レノンやリンダ・ロンシュタットはじめ、たくさんのミュージシャンがカバーしているエバーグリーン・ソングです。

弘田三枝子さん

伊東ゆかりさん

John Lennon カバー

Linda Ronstadt カバー

Bay City Rollers カバー 1974

私はこのBCRバージョンが一番好きでした。うん、レスリーの甘い声が好き。このだるそうな歌い方もいいw

でもって…

この「ビー・マイ・ベイビー」に触発されて生まれたのが、ビーチ・ボーイズの「ドント・ウォリー・ベイビー」

The Beach Boys「Don't Worry Baby」1964

ブライアンは、この曲をロネッツとフィル・スペクターに捧げています。うん、ビーチ・ボーイズはめちゃウォール・オブ・サウンドに影響受けましたね〜

(Ronettes) Ronnie Spector - Don't Worry Baby (Beach Boys) live 1998

このドント・ウォリー・ベイビーは、爽やかな感じで、またええのです。

でもって、この歌も…
Bay City Rollers カバー

ローラーズがカバーしていますwww BCRってカバーばっかりなイメージもっっ 「二人だけのデート」や「レッツ・プリテンド」とかもカバーだしなあっっ汗 いやさ、エリックとウッディ作詞作曲のオリジナル曲もありますけどね(演奏はエアーだけど)。

して、ビーチ・ボーイズのオリジナルもいいけど、ローラーズファンとしてはレスリーの歌もやはりプッシュしたい。

でもって、ベイビーが続く歌続きで…

Frankie Valli & The Four Seasons 「Bye Bye Baby」1965

フランキー・ヴァリと言うと、私はどうしても映画「グリース」にゲスト出演してた、あの姿を思い浮かべてしまうのですけどね。こんな爽やかなコーラスグループだった頃があったのでした。

Frankie Valli「Grease」1978

やはりこの「バイバイ・ベイビー」も、
Bay City Roller カバー 1975

BCRがカバーしているのでしたww

ちなみにこの「バイバイ・ベイビー」不倫の歌ですっっ汗

君のことをものすごく愛しているけれど
僕の左薬指にはマリッジリング
だからベイビー お別れだよ
言いたくないけど さよならしないとね

2chまとめサイト的に言うと、シタがプリンに贈った歌…みたいなンな感じの歌っす、ハイっっ

意味よく解らないで、子供の時、英語の練習とばかりに歌ってたわっっ汗


さて、ロネッツの他の歌。

「(the best part of) breaking' up」1966

「Do I Love You?」1963

「Baby, I Love You」1963

「Walking In The Rain / 恋の雨音」1964

「When I Saw You」1963

「Shout」1961

「Frosty The Snowman」1963

「Sleigh Ride」2016

さて、ロネッツの結成は1958年で、リードボーカルのロニー(ヴェロニカ)が姉エステルと従妹ネドラを誘ったのが始まり。

Frankie Lymon & The Teenagers
「Why Do Fools Fall In Love」1956

上記の曲を聞いて、音楽に目覚めてしまったわけですね。
最初は祖母が付けてくれたドリーシスターズと名乗っていたのですが、すぐにグループ名をロニー&レラティヴスに変更。その後にロネッツに改名します。

たまたま遊びに行ったクラブで、ダンサーと間違われてステージに上げられてしまったことから、ダンサーグループとして活動。後にレコード会社にスカウトされて、61年にレコードデビュー。しかし、ヒットには恵まれず。

エステルがフィル・スペクターのプロダクションにダメもとで連絡し、オーディションを受けることになり、見事契約を勝ち取ります。

そして、最初のシングル「ビー・マイ・ベイビー」が大ヒット。その後もヒットを飛ばしますが、しばらくして活動を休止し、66年夏にビートルズのツアーの前座を最後に解散。
その後で一度復活していますが、自然消滅に。

ロニーは68年にフィル・スペクターと結婚したものの、73年に離婚してソロ活動をスタートさせます。

2009年にエステルが死去。ロニーは2022年1月に癌にて旅立ちました。合掌!


F2blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。

「My Favorites〜音楽のある風景」
 2020/10/03 掲載記事より転載


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