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相続&介護トラブル+学びのレッスン

友人の身に起きている話になります。

さて、私自身はまだとりあえずはそのようなトラブルに見舞われてはいないのですが、時期は違えど父方の祖父母それぞれが亡くなった時には財産がなまじあったばっかりに、色々と不快なことがありまして(問答無用で相続放棄を強いられた)、そのこともあって、親族間のお金の争いというのは醜悪なものだなあと言う刷り込みがあります。元より、実の親も毒親でしたから、血の繋がりほど当てにならないものは無いものだって考えもありますかね。歴史ひとつ辿ってみても、赤の他人より血族間での争い、殺し合いの方が熾烈で圧倒的多数ですし。血は水より濃いなんてのは、夢想家の戯言か幻想でしか無いって骨身に染みて思うわけです。

さて、友人のこと。彼女は私より年上で、すでに古希近く。お子さん三人、お孫さんもいます。で、四人兄弟の長女でした。

その彼女のお父様が亡くなられたのが、7年前のこと。困ったことに、お父様の死のショックから、ほぼ同時期にお母様が痴呆を併発されてしまいました。そこで相続の問題が勃発してしまいます。それまで兄弟姉妹の仲は良好と思っていたのですが、困ったことに、次女の配偶者と姪が相続と介護に口出しをしてきたことから、兄弟姉妹の仲に不和と不協和音が流れ始めてしまいました。

相続人の一人であるお母様がこの時点で、意識をしっかり保っていてくれれば良かったのですけれども。残念ながら、そのような健康状態になってしまったことと、遺言書が無かったことで揉めに揉めてしまったのです。

当初私の友人…Mさんとしましょう。Mさんは、兄弟姉妹の関係は良好であったので、話し合いにより進められる、意見が一致すると楽観的に考えていました。よもや自分の兄弟姉妹がこのようなことで揉めてしまい、不和に陥ってしまうなど、想像もしていなかったのです。

さて、相続の対象である家と土地は、都内23区外でありながら住みたい街として人気を誇る街にあったりします。とはいうものの、駅からはバス、再建築は可能であるものの竿竹地で、ものすごい古家だから解体必須。ものすごく高値で売れる条件では無いけど、売れないことは無いだろうし。何よりも高齢のお母様が要介護5の状態になってしまったこともあり、兄弟姉妹それぞれが引き取るには無理があるので、その家を売却することで遺産を分割し、兄弟姉妹が相続したお金とお母様の相続分を合わせて、最適な施設へとお母様を入れて差し上げるのがベストだと、Mさんは考えたわけです。当初は他の兄弟姉妹とも見解が一致し、それで話がまとまりそうでした。

ところが、そこに口をはさんで来たのが次女の配偶者です。本来は口を挟む権利はないのですがね。お約束と言うか、相続権の無い、配偶者が口を出してくるとロクなことにならない…との典型的な事例になってしまいました。困ったことにこの相手と言うのは口が上手く、いつしか妹さんや弟さんもまるめ込まれて、4人兄弟は2(次女一家と弟)vs2(長女と三女)の構図になり、三女の方はこの相続問題と介護問題に関する、次女一家からの度重なる嫌がらせと介護疲れやトラブルからの心労により、病に倒れてしまい、4年前に帰らぬ人になってしまったのです。このことによって、私の友人であるMさんは孤立無援状態になってしまいました。

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ようするに彼女は現金に関しては現物分割、不動産に関しては換価分割を主張し、いったんはその方向性で兄弟姉妹の間でまとまりかけていたのを、口出ししてきた妹さんの配偶者が共有分割を主張してきたために、話がストップしてしまったのです。

結果として、お母様の介護問題に関しては、ほとんど廃墟寸前の実家で家族が通いながら介護する、ということになってしまいました。それぞれの兄弟姉妹は実家からは数時間のところに住んでいて、現実的ではありません。問題の妹一家が引き取ると言う話も出ましたが、彼らは団地住まいで、エレベーターなどのない住居です。

そして、実はお父様のお葬式が終わり、お母様の痴呆(植物人間とまでは行きませんが寝たきり状態です)が始まった後から、実家中の金銭に変えられそうなありとあらゆるものが気が付くとごっそり無くなっていました(次女一家が出入りした後でのこと)。とはいうものの、確実な証拠が無いので、問い詰めようもなく、親族間のことなので警察沙汰にも出来ず…そのこともあり、明らかにお母様を引き取っての年金目当てとか、そのような目的の囲い込みをされることの危機感を抱いたMさんと三女の方はそれを反対したわけです。かといって、Mさんと三女の方が引き取ることも反対されてしまいました。

ご実家の家としての状態は本当に酷いものです。地震が来たらまず倒壊するでしょうし、家の壁は植物で覆われていて、土のある所は草ぼうぼうでパッと見、廃墟同然。実際、傾いています。人が住んでいるとはとても思えません。お母様に何かあって救急車を呼んだとしても、ストレッチャーとか入れないし、火事や水害などの緊急時に救出することはまず困難です。雨漏りも酷いし、隙間風もすごい。こんな状態の家で過ごせというのは酷すぎます。温度や湿気管理もままなりません。健康な人であっても、住んでいたら病気になります。ヘルパーさんたちに通って頂いていますけれど、ベストな自宅介護が出来る状態ではないのです。

三女の方が心労から亡くなってしまったこともあり、Mさんは法廷後見人を立て、調停を起こすことにしました。これはさらにMさんを消耗させました。Mさん自身、若くはないです。遠方から2時間近くかけて実家に通い、調停の準備をしたり出廷したり、家族の協力があるとは言え、しんどいものでした。

お父様を失った悲しみ、お母様の健康状態などの心配、そして妹を失った悲しみと悔しさ。仲の良かった妹と弟との対立。Mさんが転居してから、季節の挨拶程度になっていた私が久しぶりに会いましょうと連絡したのが2年前。久しぶりにお会いした彼女の憔悴ぶりにびっくりさせられました。

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結局、ケースワーカーさんにしても主治医の人も、「家族の問題」と言うことで口出し出来ないわけです。強制的に「介護施設」への入居を決定する権限は他人には無いと言うことで。身内で彼らに「喝」を飛ばして叱り飛ばしてくれるような、権限的な家長世代の人はとっくに鬼籍に入っていますし。現状、彼らの計画を阻止し、お母様の尊厳や権利を守ることの出来る法律や制度がありません。

そして調停にて2年近くの時間をかけて昨年末に結審が出たものの、彼らはそれに従いません。かといって、それを咎め、従わせるために裁判を起こす時間はもうありません。お母様はとっくに90を過ぎており、そのようなことをしている時間が無いのです。Mさんもここまで来るのに時間もお金も、気力も尽き果てました。相手はMさんを相続権から外すこと、外れることをとにかく虎視眈々と狙っているような、そんな感じです。

そして、困ったことに本来は公平であり、お母様の権利を誰よりも守って下さるはずの法廷後見人(弁護士)の方は、家族全員の意見が揃わないことには、と…及び腰というのでしょうか、ことなかれ主義なのか、のらりくらりなんですね。Mさんからしたら、最初はお母様の置かれた状況に同情的だったものの、次女一家寄りになっているとしか思えないとのこと。私もやり取りを見せてもらいましたが、酷いものです。

かといって、こちらから別の法廷後見人に変えてもらうと言うようなことは出来ないわけで。第三者の私から見ても、現実的なレベルでは打つ手が無いな、と…何も出来ない我が身がただ口惜しく。何か良い知恵や方法は無いものかと思ってみたものの(うちの母が民生委員を長くしていたので、相談もしてみましたけどね)。

2年前にお会いした時、倒れる寸前の彼女に対して私が出来ることと言ったら、ヒーラーとしてヒーリングをすること、まずはそれくらい。後はこの問題の背景にある原因を、非科学的な目線から見て、因果関係を探ることくらいでした。ユタとしてね。

結果として、彼女自身やお母様に対するヒーリングは出来るけど、この問題に関しては彼女自身が取り組み、立ち向かわなければいけない課題(カルマのレッスン)があって、そのことに関しては他人は関与してはならないということ。なので、彼女とお母様に対する遠隔ヒーリング、そしてメールだったり、たまに逢って話をすることでの愚痴を聞くこと、励ますこと、それしか出来ないのです。ものすごく歯がゆいです。無力感と言うほどではないけど、本当に他人が出来ることって、何も無いんだなあって、痛感させられました。何も出来ないこと、こういう問題を解決する力を持っていない自分がとにかく悔しい。

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さて、少し話変わって、私はもともと失敗百選みたいな、過去に起きた事故や災害の実例とその検証、そしてそこから学ぶべきこと…について書かれた書物とかを読むのが好きでもあり、最近ではYouTubeの動画でもそのようなものがたくさんあって、よく見ていたのですね。

自分がそのような事態に出くわしたときの対処法や心構えを持つためというのもありますが、起きてしまったことに対して感情で判断(後悔)するのではなく、理性で何がいけなかったのかを分析(反省)し、どうすればよかったのか、この失敗から何を学んで次にどう生かすべきか…と言う、失敗しミスを犯した人間を責めるではなく、改善すべき点について対策を考えるという視点を身に着け、思考を鍛えるためのトレーニングと考えて、視聴していたりします。

もともと私は感情的な人間で、怒りの沸騰点が低く、そうした逆鱗に触れてしまった時には被害者意識からか、おのが「正当性」を証明するがごとく、感情的にこちらの被った心の痛手を訴えかけてしまう癖があるので、それを矯正する意味でも必要かなって思いまして、感情がダイレクトに反応する事件ではなく、事故や災害に対する事象なら取り組みやすいかなあと、そういう発想からなのですが。

それをしていたお陰か、その成果なのかな??   先日、Mさんとお会いして話を聞いた時、どうしても「こうしたほうが良いのに、まったくどうしてあの人たちは母の事を第一に考えてくれないのだろう、おかしいですよ…」と、当事者としてのやりきれない気持ちを抱えているMさんに対して、これまではその気持ちに寄り添って共感する言葉で慰めて、味方になってあげることが第一と思っていたわけですけれども。

この問題に対する別の見方が生まれたわけです。これが「戦」だとして、目的を勝つこととして考えたとき、軍師なら「どうすれば相手に勝てるか」をまっさきに考えるわけで、相手と心を通じ併せることや相手に常識や人の道を教化することは考えまい…と。

何よりもこの7年間で、相手とはそういう常識的な対話が出来ないというのがよく解っているわけです。そういう人と話し合いで利害を一致させることは難しいです。そして、法律に触れない範囲で他人に突っ込まれないように周到に、お母様の衰弱(死)を図っているような相手です。

何故、このような状況になってしまったのか。どうして、この小狡い策士のような輩に、配偶者である妹さんはともかくとして、常識人であった弟さんとか、法廷後見人の人が洗脳に近い形で取り込まれてしまっているのか… 彼がどのようなやり方で彼らを唆しているのか、それを見抜かないことには戦えません。敵を知ることがまず大切です。敵がどのような作戦(考え)を持って、そのような主張をしているのか。どのような話術で、Mさんは孤立させられてしまったのか…相手の手の内を読まないとって、そこをちゃんと考えないといけないのだと今更ながら。

感情論で「お母様にとってのベストな介護環境を第一に考えましょうよ」と、情に訴えかけるばかりでは、解決しないのですから。ていうか、それを主張することがかえって裏目に出ているのが実状です。するってーと、「施設ではなく慣れ親しみ、住み慣れた家で、血の繋がった肉親からの介護を受けるのが当人にとって一番」で「施設に入れようとするのは、介護放棄とも言える愛のない冷たい考えだ」みたいに…そんな風にどうも相手は、周囲を取り込んでいるということが見えてくる。

だから、彼女が「設備の整った施設での専門的な人たちによる介護が母には必要だ」と言う主張をすればするほど、"自分たちで出来ることを他人に丸投げして介護放棄をしたいがために家族の和を乱して我がままな自己主張をしている人"と言う構図を作られてしまったことから、結果として悪い印象を持たれてしまうようになってしまっているのだなあ、と。

この時点で今更ながら、この問題の背景と彼女のレッスンについての内容がようやく腑に落ちました。その辺りに関しては、いつか書くかも知れませんが。

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そうですね… 家族間の揉め事って尽きませんね。そして相続問題は本当に厄介です。お金のことは揉めます。だから、遺言書って絶対に必要ですね。今回のこともお父様が遺言書を残していて下さったならば、こんなことにはならなかったとも思うのですけど。そして、このままの状態が長引いて解決しないままに、お母様にもしものことがあったらば、またしても厄介なことになってしまう。

でも、まあ、そうなったらば、彼女は別にお金が欲しいわけではなくて、今はお母様を人質に取られているというか、お母様の安全を確保するために縛られているだけなので、最悪のことになってしまったら、縁切り大歓迎で、そんなに土地家屋や金が欲しいならくれてやる!って感じなんですけどね。

そもそも、そこまで執着するほどの財産ではないのに、謎です。分割して色々差っ引いてたかだか数百万。そのためにここまでやるのかって、アッパレと思ってしまいます。

そうですね・・・たった数万円のために犯罪を犯す人もいますから、たった数百万円に執着して、独り占めしようと頑張る親族がいても、不思議ではないのかも知れない。なんだかなあって思います。まあ、死に追い込まれてしまった三女の方、そしてMさんを締め出せば、取り分はもう少し増えるわけですが。何億円て話ではないのに、なんだかなーと思います。

本当に富は人を狂わせますね。人間の欲は底深い。くわばら、くわばら。

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