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学歴と仕事の関係7

前回までのお話

慶應生の私、苦しい就活を経て2014年4月、社員食堂等の運営会社に入社する。OJTでは色々な人と関わりながら、学生食堂・ホテル・社員食堂の3箇所の現場研修を経て、10月には希望通り本社の管理部門に配属され、現在に至る。

今、改めて問う。何故私はあんなに就活に苦労したのか?

その答えは「学校」と「働くこと」の分断ではないだろうか。大人達は不安だからとりあえず、高学歴になればいい仕事につけるという曖昧な見通しで子どもに勉強を推奨する。子どもも学校を出た後のことはあまり考えていないので、働くイメージを持てずに学生生活終盤で慌てることになる。

ではその不安はどこから来るのだろうか?

私はそれは、自己肯定感の低さによるものではないかと考えている。

そもそも自己肯定感とは

自己肯定感とは何かというと、「優れていない自分も価値がある存在だと感じること」だそうだ。(助産師HISAKOさんのYouTubeによる)

欠点を自覚しつつも、まぁそんな自分もいいじゃん!と思える感覚を指しているらしい。

自己肯定感が高い人の特徴

  • 他人と比べない

  • 落ち込んでも回復早い

  • 自分も他人も大切にできる

  • 行動、チャレンジができ、褒められて喜べる

逆を考えてみよう。自己肯定感が低い人はどうか。

〇〇さんより自分は優れている、もしくは劣っていると、他人と比べてしまう。

落ち込むといつまでも落ち込み続ける。

他人に八つ当たりしたり自傷行為をする。

消極的で、失敗するかもしれないことにはチャレンジできない。過度に謙遜する。

こんなところだろうか。こうしてリストアップしてみると、昔の私のようで、かつて自分は今よりも自己肯定感が低かったなと感じる。
もっと色んなことができるようになって、他人より優れた自分でいないと馬鹿にされてしまう!とアップアップしていた。

そしてまた考える。私の自己肯定感が低かったのは、私自身の性格特性だけによるものだろうか?と。おそらく家族からの影響も大きかったのではないかと感じている。統制的に育てられた結果、何をするにも自信がなくなってしまったのではないか、と。父が仕事で忙しかった我が家では、主に母が私をの面倒を見てくれていたのだが、叱られる時はかなり厳しく叱られた。そして、客観的に見て、多分あまりいい𠮟り方ではなかった。母の前で私は、消極的で、不器用で、融通が利かなくて、どんくさくて、進歩のない娘だった。

ではなぜ、母は私をそんなふうに叱ったのだろうか。おそらく母は、あまり自己肯定感の高い人ではないからだと思う。(低すぎることはないと思うが)上記の自己肯定感の高い人の特徴にはあまり当てはまらない。考えあぐねた結果、私は下記のような仮説を思いついてしまった。

私をハイスペな娘に育てることにより自己肯定しようとした結果、私の自己肯定感が下がったのではないか?

実際、親の自己肯定感は子どもの自己肯定感に大きく影響するという。なんという恐ろしい連鎖。この連鎖はどうしたら断ち切れるのか?
子どもの自己肯定感を高めるためには親の自己肯定感を高めなければならない。卵が先かニワトリが先かみたいな話になり、私は頭を抱えてしまった。

いったんまとめ

長くなったので、いちど考察をまとめてみる。

親の自己肯定感が低い

子どもを高学歴・高収入にしようと統制的に育てる

子どもの自己肯定感が下がる

子どもは親の期待に応えようと勉強などを頑張るが、学生時代にキャリアについて考える余裕はない

就活に苦労する

まだ詰められるところや突っ込みどころはあると思うが、私が考えた仮説のフローはこれである。

結局、自己肯定感の低さが諸悪の根源なのか

この仮説を思いついて以来、私は常に自己肯定感について考えるようになってしまった。人と会話をしては「この人の自己肯定感は低そうだ…」、道ゆく人とすれ違っては「この人の自己肯定感はどうなんだろう…」と考えてしまう。ほとんど病気だ。

全てを自己肯定感のせいにしてしまうのも危険だとは思うのだが、この考えに囚われてしまって抜け出せない。

一つ補足しておきたいのは、自己肯定感は高ければ良い、低ければ悪いというものではないということだ。自己肯定感が低いということは、向上心があるということに近い。ただ、必要以上に周りと自分を比べたり、気にしたりするのが問題だと思う。自己肯定感は上げようと思って上げるものでもないのだ。

これからどうするか

現段階で私は、大人の自己肯定感を高めることが必要だと思っている。大人が変わらなければ子どもは変われないと考えたからだ。ではいったいどうしたらいいのか?

そもそも自己肯定感について、世の中の人は考えているのか?もしくは考えたことがあるのか?
私は大学の推薦入試対策の時に自己分析をする機会があり、自己肯定感というワードに出会った。その後も大学で教育心理学を学んだため、ちょくちょく目にする機会はあった。
このように内省をしたり、心理学を学んだりするきっかけがなければ、自己肯定感について考えることもないのではないだろうか…。

自己肯定感は、そんなに特別なものでもで難しいものでもない。「自分はダメなところもあるけどまあいっか!」と思える、ただの感覚である。
私はそう感じられる人を増やしていきたい。
ここまで長々と書いてきたが、シンプルにそういうことだ。

自己分析!とか内省!とか仰々しくてめんどくさくてしんどい思いをして自分を見つめて自己肯定感が高いとか低いとかを判断することも、もしかしたら時には必要なのかもしれない。

でも私の理想は、日常の中で自然と自己肯定感を感じられるような世界になればいいと思う。(変な日本語だ)

そのために何かできることはないか…。
まず私にできることは、息子、よっしゃんの自己肯定感を下げずに育てることだ。彼が大人の顔色を伺わずに、言いたいことを言ったり、やりたいことをやったりできるようになってほしい。自己肯定感の高い人は周りにも良い影響を及ぼすと思うから。

他にももっと積極的なアプローチがないか、日々考えているが、まだいいアイディアは思いつかない。思いついたらまたnoteでシェアしたいと思う。

7回に渡る記事、お付き合いいただきありがとうございました!








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