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距離感描写から見る映画『ミッドサマー』

昨年夏に国外でMidsommarという映画がヒットしているという情報をTwitterで見てから2月に日本でも公開されるまで、予告やクリップ動画を漁りながらずっと楽しみにしていた。
公開2日目に一度見て、半月後にもう一度観た。その直後にディレクターズカット版の公開がわかり、少し損をした気になったが。まあ、塗りつぶしがなくなったり、口論する部分が増えたりするだけなら別にいいもん(少し負け惜しみ)

あらすじ(前半だけ)

eiga-watchさんのサイトが詳しいので、それほど細かに書き連ねる気もないが一応簡単に。

女子大学生のダニが男友達と飲んでいる恋人クリスチャンに泣きながら電話をかけるところから始まる。双極性障害の妹が不気味なメッセージ((略)everything's black... ー mom and dad are coming too, goodbye.(すべてが真っ暗…ママとパパも(私と)逝くわ…さようなら))を送ってきたと言う。クリスチャンは”君が甘やかすから妹はつけあがるんだ”と取り合わない。ダニは恋人の対応に合わせるかのように、必死に気持ちを押し殺して平静になったフリをして電話を切る。

結局、ダニの妹テリーは両親を巻き込んで自殺してしまい、ダニは天涯孤独となり、精神的にダメージを受ける。交際開始から3年半以上が経過し、ダニと別れることを考えていたクリスチャンは、別れを切り出すタイミングを失うことになってしまう。


数か月が経ち、ダニはクリスチャンが男友達のマーク、ジョシュ、ペレとスウェーデンのとある村ホルガ(ペレの故郷)で行われる夏至祭(midsommar)に参加する予定であることを、間接的に聞きショックを受ける。(クリスチャン、気まずいのはわかるがそういうのは早い段階で言わないとまずいぞ…)形式的にダニをホルガへの旅行に誘ったクリスチャンはダニが了承したことに驚くし、マークは嫌がる。ペレだけ歓迎する。こいつはまあハーメルンの笛吹きだからな、歓迎するだろうが。

ホルガの入り口に到着した一行はまずクスリを一発キメる。(ダニが飲んだマッシュルームティーってどんななんだろう。)そのあと徒歩で集落内に入る。


この後は、儀式と殺人が入り混じった時間がひたすら流れる。
悪いことをした人間は罰せられるし、72年という生命のサイクルを終えた人も死を迎える。ホルガの異常性を受け止められなかった人も存在を消される。



その中で、ダニはドラッグを飲まされて忘我状態の中で踊った結果メイクイーンに選ばれ、
クリスチャンはドラッグを飲まされてホルガ村の生殖適齢期の女の子マヤ(Majaちゃんの色気が好き、目線かな。)との生殖の儀式に臨み、その様子をダニに見られる。

結果として、表向き維持されていた2人の関係は終わり、クリスチャンは生贄に選ばれて火あぶりにされる。ダニは、ホルガという共同体に存在を受容されて、ずっと一人で抱えていた悲しみや苦しみから解放されて自我を失う。


ミッドサマーに見る”距離感”の描写

観終わった後、駅に向かうまでの道で『クリスチャンさぁ…ww』といった声が多く聞こえてきたのがとにかく面白かった。確かに、前兆があったにも関わらず自発的に勧められた飲み物(催淫剤)を飲んだようにも見受けられるのでしょうがない。

ただ、ショッキングなシーンが多い一方で、どちらかというと私はダニとクリスチャンの距離感を見ていて切なくなってしまった。

わかりやすいところでいうと、クリスチャンがダニの誕生日や交際期間をちゃんと覚えていないところとか。でもそれ以外の、非言語的なすれ違いをこのnoteでは取り上げていく。

その1 冒頭、ダニがクリスチャンに電話をかけるシーン

まず、あらすじにも書いたが、3年半付き合っている恋人の家族の精神病に理解のないクリスチャンと理解されないことに苦しみながらも他の人を頼れないダニの関係がとにかく辛い。

『君が過剰反応するから良くないんでしょ、妹なら大丈夫だって』と一方的に意見するクリスチャンに対して、平静に戻ったフリして『そうね、いやそういう風に大丈夫って言ってもらいたかったの、もう大丈夫』と取り繕うダニの気持ちを考えるとなんかもう… もっと他に良い人いなかったの?と思ってしまう。

この直後に、ダニが女友達に『どうしよう、また泣きながら彼氏に電話してしまった、彼には呆れられてるしこのままだとフラれる』と電話するのもリアル。

クリスチャンの男友達には陰でメンヘラ扱いされているダニだが、そんな訳がないのだ。だって、すぐ感情ぶちまけまくるメンヘラだったらそもそも3年半も交際が保つ訳がない。ダニはちゃんと自制できる、”地に足のついたリアルなメンヘラ”である。

この、”彼氏以外の人間に気持ちを吐き出さないと彼氏との関係性を維持できない状態まで悪化している”2人の関係の破綻っぷりがまた切ない。

その2 ダニの家族が死んだことが判明するまでのシーン

電話越しに宥めたばかりなのに、またダニから電話がかかってきた。男友達に呆れられながらも、律儀に電話に出るクリスチャンはダニの泣き叫ぶ声をきく。クリスチャンはダニの家に向かう。ダニという存在が容易に切り捨てられない、重い重い十字架となってクリスチャンにのしかかることが決定するシーンである。


クリスチャンは情は薄いが律儀だと思う。この後のシーン観ても、ダニに気を遣う気はあるのはわかる。

ただ絶望的に他者性がない。

ダニからの電話の後、雪が降る中飲み屋を出て、ダニの家に向かう。このときのクリスチャンは不幸に見舞われた彼女のことを心配する必死な男ではなく、”俺…どうしよう…”と自分のことを考えている男の顔をしている。しかも、歩いてるし。さすがに小走りぐらいはしたらどうだ?雪だけどさ、気が進まない感じ出すのやめてあげて。ダニが知ったら更に泣いちゃうよ?

泣き叫ぶダニはクリスチャンの膝に身体を預けて慟哭する。このときにしたって、画面に身体を向けるクリスチャンの手はダニの肩の上に置かれているが、顔は”どうしよう”の表情のままカメラを見ている。顎を自分の手の甲の上に置いて、ダニとの接触を潜在的に拒んでいるような印象さえ受ける。

向き合わないといけないのはわかっているが、情の薄さ故にそれができない。辛すぎる。


その3 ホルガ村に入る直前にドラッグを決めるシーン

ダニをうざったく思うマーク、中立のジョシュ、同情的なペレ、クリスチャン、ダニでホルガ村に向かうのだが、

ドラッグを決める際に、ダニが断るシーンがある。(極端に不精神が安定になるリスクがあるのかな?)

そこでクリスチャンが”じゃあ俺もやめる”と言ったがために、場の(特にマークとの)空気が悪くなる

見かねたダニが慌てて、”じゃあ、私もやるから”と撤回する。それでもダニが一回楽しくトリップする流れを止めた形になってしまい、マークはダニに苛立つ。

繰り返しになるが、
ダニは”地に足のついた”メンヘラである。

別にここでクリスチャンがダニを置いてハイになったってダニはクリスチャンに対して不機嫌になったりしない。男友達との関係性の維持も大事ということをちゃんとわかっているのだ。

でも、クリスチャンにはその線引きがわからない。ダニにとって何をされることが地雷で何がセーフなのか想像できないまま彼は燃やされる。

ある程度はしっかり自制してるのに、クリスチャンはその線引きがわからないし、クリスチャンの話からダニを判断している男友達もダニと打ち解けることができない。なぜ、ここでダニがクリスチャンに気をつかって”やっぱり一緒にクスリやる”と言わなくてはいけないのか。クリスチャンがストレスすぎる。

こうして徹底して居場所がないダニの心をホルガという共同体が理不尽な包容力をもって飲み込む。そうじゃないとこの子は幸せになれなかったのか。それがまた、切ない。

総括

グロホラーだと思って観ると、実態がエログロ超オカルトであることにビビると思うけど、主人公の心のありようを観察するのは面白いよ、おすすめ。


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