見出し画像

有能な男性たちを従えた女帝

エカチェリーナ2世をご存知だろうか。

私が彼女と出会ったのは高校3年の冬。
大学入試センター試験と遠方の大学の二次試験の前期を終えた頃だった。

■ロシアに運命を委ねる
英語は得意じゃなかった。
センター試験後の自己採点の結果、英語の点数がたまたま良かったため第一志望の総合大学を諦め、第二志望の外国語大学に願書を提出した。
志望していたそれらの大学で何がしたかった訳でもなく、私の一番の目的は大学進学と言う合法的で一般的な方法で、故郷から、実家から逃げることだった。当時のその環境に身を置き続けることに耐えがたい苦痛を感じていた。

外国語大学は多様な言語の中から専攻を選択できるが、人気言語はやはり狭き門だ。滑り止めを受ける経済的な余裕の無かった私は、二次試験の試験科目が苦手な英語のみということもあり、安全第一でほどほどな難易度のロシア語科を選んだ。

悪夢の始まりとも知らずに。

前期試験後は同じロシア語科の後期試験の準備を始めたが、後期ロシア語科の配点には他の語科には無い大きな特徴があった。
詳細は残念ながら覚えてないが、英語や世界に関する知識が多い人間より、とにかくロシアへの興味関心が強い人間が合格する配点になっていた。強烈なロシア愛が後期試験で求められていることだ。
その不自然な入試の配点から…ロシア語が生半可な知識や言語力があった所で太刀打ちできない(強い愛か根性でしか乗り越えられない)危険な言語だと察する事が当時の自分にできただろうか。
たぶん嫌な予感はしていたと思う。

さて、後期試験の対策をしなければいけないのにロシアにもロシア語にもほとんど興味が無い。どうしよう…
悩んだ私はとりあえず図書館で借りた「地球の歩き方」でロシアを知ることにした。あまり惹かれない。
あのブツブツした色付き玉ねぎを乗せたようなロシアならではのお城達も、不思議なものにしか思えない。
バロック様式かゴシック様式が良いな(という無い物ねだり)。ロココも可愛い。

そんな私の目に留まったのが、エルミタージュ美術館だった。
バロック様式のお城がロシアにも!
感動した。
どうやらロシアにもバロック建築を愛する人たちが居たらしい。

高校の図書館にはロシアの資料が少なかったから、近くの大きい図書館にも足を運んだ。
そこにエカチェリーナ2世の伝記漫画があった。
何となく手を伸ばし、それを手に取った。
その時、図書館の窓から差し込んでいた日差しを覚えている。
ロシアについて知らなければいけない義務感、深くて暗い沼の中に引き摺り込まれそうな少しの恐怖感、この土地から脱出する興奮……それらがないまぜになったぐちゃぐちゃな私の気持ち(多分勉強しすぎて疲れていた)と対称的な、2月の冷えた空から降り注ぐ清冽で静謐な日差しだった。

大学から前期試験の合格通知が届いた。英語が苦手な人間が外国語大学に合格してしまった瞬間だった。
後期試験をキャンセルし、私は受験戦争を終結させた。

■エカチェリーナ2世を知る
エカチェリーナ2世の伝記漫画は、思った以上に面白かった。
プロイセンに生まれたゾフィーという貧乏貴族の女の子が、ロシア皇室に嫁いで女帝になる話だ。

ゾフィーは元々とても賢い少女で、それを武器に皇帝にまでのし上がった。
身も心もロシアに捧げるためロシア語を習得してロシア正教に改宗もした。この時改名して「エカチェリーナ」となる。ロシア国民に愛される努力をし、支持された。
皇帝として頼りない夫を廃して、ロマノフ王家の血を引かない人間でありながら女帝となり、数百人と言われる愛人達を使って世界におけるロシア帝国の存在感を強めた。

「おこぼれ姫と円卓の騎士(著者・石田リンネ)」という女子に人気のライトノベルがある。主人公の姫が騎士達を従えて王位継承争いを繰り広げるお話だ。主人公の諡は「愛人王」とされていたが、この主人公、エカチェリーナ2世を想起させる。文化と学問、医療の発達に力を注ぎ、愛人達(おこぼれ姫は正確には愛人と誤解される騎士達)を政治に賢く利用した。
楊貴妃に夢中になり国政を疎かにした玄宗皇帝と違い、エカチェリーナ2世の場合愛人達に夢中になり国が傾くなんて事はなかった。ロシアはエカチェリーナ2世の治世に強大な帝国に成長した。結局、欲に溺れてるように見えて(いや溺れてたのかもしれないけど)も、一国のリーダーとしては重要な選択で間違えない抜群に聡明な女性だったのだ。

サンクトペテルブルクにあるというエカチェリーナ2世像は象徴的でインパクトがある。エカチェリーナ2世の足元に側近らしき男性達が沢山傅いている。
教養を磨いて、現代日本の乙女達が憧れる王宮逆ハーレムを実現した女性がロシアにいたのだ。

■女性が輝く社会
エカチェリーナ2世は知れば知るほど強い女性だ。
エカチェリーナが夫ピョートル3世を廃するクーデターを起こしたのは出産(しかも愛人の子)後二ヶ月〜三ヶ月。自ら軍服を着て陣頭指揮を執った。
まだ出血もあるだろう産褥期だ。あゆもそうだが休んでほしい。
その後エカチェリーナは啓蒙専制君主としてロシアの文化や学問を近代化させ強国に育て領土を広げる傍ら、続々と愛人達の子を産む。
六人目の子どもを産んだのは46歳だ。ガッツがある。
ただこのエカチェリーナ、家族からの評判は悪い。
性に奔放すぎる女性なので当然なのかもしれないが、息子は母と対立し暗殺され、孫はエカチェリーナを「玉座の上の娼婦」と呼んだ。

余談だがオーストリアのマリア=テレジア(美少女)は18歳で嫁いでから、女帝として政治的な手腕を振るいつつほぼ毎年子どもを出産(16人)。夫や家族への愛が深く、亡くなる際には先に亡くなってしまった夫のガウンを身につけていたとか。母として政治家として大活躍した女性だ。

この二人の女帝は私が好きな歴史上の人物だが、十分なサポート体制があれば、女性達は働きながらでも沢山の子どもを持つことができるという証明なのかもしれない。

つい数年前、「日本人女性は外国人女性のようにはなれない、身を盾にして何かを守ることなどできない」と私に言った東京男性がいた。

この幾千年(もしかすると幾千万年)、家事と育児を女性に任せて(家や子を気にする事なく)思う存分仕事に打ち込める恵まれた立場にあり続けた男性の立場から言われたくない言葉だった。日本人女性が能力が無いわけではなくて、歴史的に男性が女性を家に押し込めてきただけではないのか。日本人女性が大人しく弱々しいとしたら、そうなってしまった責任は男性達には一切無いのか。日本人女性が勝手に弱くなったのか。昔から社会で活躍してきた側として、社会で活躍し始めて歴史の浅い日本人女性達を世界とも戦えるような人材に育て上げる先輩としての気概は日本人男性達には無いのか。日本人男性達の器の大きさには問題ないのか?本当に?貴方達は完璧?

この男性の発言には未だモヤモヤしている。

私が育った九州の田舎は旧態依然とした男尊女卑の社会だった。
女性は家を継げないから役立たずとされ、家庭に入り男性の世話をし、子を生み育てることくらいしかできない存在だと言われていた。驚くなかれ。これは21世紀の話だ。
その抑圧から脱出を試みていた高校生の自分には、不自由な中で自由を求め、大帝と呼ばれるまでの功績を残したエカチェリーナは勇猛でまぶしすぎた。
まさに輝く女性だ。

現代に残されたエカチェリーナ2世の眩しすぎる光の片鱗を見に行きたい。
その頃からずっと心の隅で願っている。だが大学を卒業してしばらく経ってしまった今もまだ行けてない。自分、苦学生だったもので。

私が「地球の歩き方」を見ていて心惹かれたサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館は元々はエカチェリーナ2世の私的な美術品のコレクションのための宮殿だった。ロシア語を完全に忘れてしまわないうちに行ってみたい。

ここ最近、ロシアのウラジオストクが日本人の海外旅行先として人気らしい。日本のすぐそばにあるヨーロッパの街並みが魅力的なのだそうだ。
でも私はやはり水の都サンクトペテルブルクに憧れる。なんと言ってもロマノフ王朝時代の首都だ。エカチェリーナ2世を始め、ロシア帝国の歴代皇帝が愛した風景を眺めてみたい。

最後にロシア語の話に戻るが、才女のエカチェリーナ2世ですらロシア語の習得にはとても苦労して高熱を出したらしい。
才女でない私が軽率にロシア語に挑んでどうなったか、詳しくはここでは語らない。
一つ言えるのは、大学卒業の際は死地を潜り抜けた戦士の気分だった。

この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?