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深海織物

常磐神社にとある染物が奉納された。

「今年も美しい黒だ。奉納、感謝致す。」

光圀は染物を嬉しそうに受け取る。

「義公のお気に召されて嬉しゅうございます。」

若い染物職人、三原龍一みはら りゅういちは照れた様子で軽く頭を下げる。
三原の工房は小さな染物工房だ。
市に水戸黒の復興を依頼されて以降、今に至るまで代々伝統を守ってきた家柄である。
來衞に促され、三原は社殿に入り、光圀と向かい合う。

「ところで義公。実は相談したいことがありまして…。」
「どうしたのだ?」
「実はある時から工房のすぐ近くで祭囃子が聞こえるんです。」
「祭囃子?」

光圀と來衞はキョトンとする。

「近所に言っても、お祭りなんてたまにあるから当然だくらいにしか信じてもらえなくて…。」

そう言い、三原は悲しげに俯く。
どうやら、祭囃子はほぼ毎日聞こえてくるらしい。

「三原さん、音が聞こえる時間帯は分かりますか。」

気になった來衞がそう問う。
あ、と言い、三原は顔を上げる。

「店を閉める頃、夕方です。」
「…黄昏時、か。」

ポツリと光圀は呟く。
黄昏時、逢魔時。
この時間帯は霊界との境界線を表す時間と古くから言い伝えられている。

「どのくらいの間まで聞こえるか、分かるか。」
「私の感覚ですと、だいたい10分くらいです。気付いたら静かになってることが多くて…。」

なるほど、と光圀は頷く。

「もし可能なら、其方の工房に尋ねても良いだろうか。」
「は、はい!ぜひ、見ていただけると嬉しいです!」

光圀の言葉に三原は目を輝かせた。

後日、光圀と來衞は三原が運営する染物工房に訪れた。
工房内は静かで穏やかな刻が流れていた。
庭先には染め途中の布が干されていた。

「義公、作業場はこちらになります。」

2人は工房の奥へと通される。
水戸黒は深海のような深みのある黒が特徴的だ。
生前の光圀も水戸黒を身に付けていた。

「…懐かしい感じがする。昔と変わらぬようで安心するな。」

作業場の様子を見つめ、光圀は微笑む。

「義公、來衞様。良ければ体験していきますか?」

來衞はクスッと笑みを浮かべ、光圀を見つめる。

「ああ、もちろん。」
「えぇ、私もぜひ。」

作業場に足を踏み入れた2人はハケを手に取り、染液を付け、ピンと張った布地に染めていく。
布地に染められた染液は鮮やかな藍色だ。
2人はその色が広がる世界に引き込まれる。

「この藍がだんだんと黒に染まっていく…。美しい変化だな。」
「本当に海に潜っていくかのようですね。」

光圀と來衞の風流な言葉に三原も思わず微笑む。
気付けば空は橙色に染まりつつあった。

耳を澄ますと、祭囃子が遠くから聞こえてくるのが分かった。

「義公!この音です!この音!」

興奮したように三原は言う。

「祭囃子の正体、貴方の目には見えたことはありますか。」

來衞が興味津々に三原に問いかける。

「い、いえ…いつも近付く音は聞こえるのですが、姿形までよく見たことが無くて…。」

三原曰く、あの音に惹かれて行ってしまうと、どこかへ連れて行かれそうな恐れがあった。

「御隠居様、見てきましょうか。」
「ああ、せっかくだ。ひと目見てやらんとな。」

光圀はニコッと三原に微笑む。
祭囃子の音は徐々に近付いていく。
外に出ると、光圀と來衞の目に神秘の光景が広がった。
深海のような黒色の御旗を掲げ、黒色の布が掛けられた神輿の行列が練り歩いていた。
列を作っているのは妖怪でもなく鬼でもなく、まるで生きているような人間たち。
光圀と來衞はひと目で人魂だ、と認識した。
2人と目が合うと、人魂は和かに会釈した。
光圀も來衞も思わず笑みを浮かべる。

「…そうか、そういうことか。」

光圀は腑に落ちたように目を閉じる。

「な、何だったんでしょうか。義公。」

戻ってきた光圀と來衞に三原が恐る恐る問いかける。

「怖がる必要は無い。あれは一種の守護霊のようなものだ。」
「守護霊?」
「ああ。水戸黒の伝統を守ってきた霊魂たちが其方の前へ現れたのだ。伝統を受け継がれるのを願って現れたのだろう。」

光圀は穏やかにそう語る。

「お祭りは願いを込める神事でもあります。貴方の労力を応援したい気持ちで出てきたのかもしれませんね。」

來衞が温かな笑みを浮かべて語る。

「其方が霊魂に成すこととすれば…感謝することだろう。そうすれば、霊魂たちも喜んで手を貸してくださるかもしれないな。」

光圀は悪戯っぽく笑みを浮かべる。
意外な正体に三原は言葉が出ず、固まっていた。

その後、三原は祭囃子が聞こえる度、1日の仕事に感謝した。
水戸黒を現代に伝えゆく為には長い時間を要するが、自分が出来ることを確実にやっていこうと三原は決めたのだった。

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