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笠間-狐と天狗の大喧嘩-

笠間の妖怪たちに激震が走った。
愛宕山の烏天狗の一人が狐を傷付けたという話だ。
笠間稲荷の狐は怒り、愛宕山の天狗に仇討ちしようとしていた。
狐の怒りは人間界にも影響を与え、人々には祟りや病が蔓延してしまっていた。
その報せは水戸で常磐神社の奉仕をしているマロンのもとにも届いた。

「御隠居様!御隠居様ー!!」

血相を変えて、マロンは光圀を呼ぶ。

「きゃっ!」

廊下を走り回っていると、突如誰かにぶつかる。

「うわっ!?…ったく、気を付けぬか。」

顔を上げると、斉昭が立っていた。

「…って、マロンじゃないか。どうした、そんなに慌てて。」
「斉昭さん!御隠居様は!?」
「地鎮祭があるとか言ってて來衞様と外出中だ。何か困ったことでもあるのか?」

斉昭にそう問われると、マロンは悲しげに俯く。

「…はい。実は笠間が今大変なことになっているんです。」

居間に移り、茶と菓子で気持ちを落ち着けると、マロンは笠間で起きている怪異騒動について斉昭に話す。

「なるほど…笠間稲荷の狐と愛宕山の天狗の対立か。厄介なものだな。」
「一体どうしてこうなったの…。」

マロンは不安気に肩を落とす。

「うむ。ともかく、笠間に行ってみなければ事態は分からぬ。光圀公が帰って来られたら事情を話してみよう。」

マロンと斉昭は茨城名物の干し芋を摘み、茶を啜った。
しばらくして、光圀と來衞が帰って来た。
斉昭は先ほどのことを光圀に話す。

「留守は私に任せろ。斉昭はマロンと一緒に笠間に行って来い。」
「はい!」

斉昭はすぐに支度を整え、マロンを呼び、笠間へ向かって行った。

笠間に着くと、街は陰気で満たされていた。
もともと静かな街だが、その静けさが不気味だ。

「これがお狐様の祟りか…。愛宕山の天狗たち、一体何をやらかしたんだ。」
「あの、斉昭さん。愛宕山に向かう前に実家に立ち寄っていいですか。」

マロンは遠慮がちに小さく斉昭にそう願い出る。

「…そうだな。まずは両親の顔を見て来なさい。」

斉昭は優しく微笑む。

「私は先に愛宕山の前まで向かう。用が済んだら、連絡を寄越しな。」
「はい!」

斉昭はスタスタとどこかへ行ってしまった。
マロンはひとまず実家に向かう。

実家に帰ると、麻喜子が涙を浮かべてマロンに飛び付く。

「麻穂!会いたかったよぉ!」
「お母さん!街で一体何があったの?」

リビングに移り、麻喜子は気持ちを整えるとマロンに事情を話す。

「些細なことでこうなってしまったのよ…。」

噂によると、天狗の一人が狐と出会い頭にぶつかってしまったという。
天狗はその場で謝ったものの、狐の長が激怒し、祟りを巻き起こしているのだという。

「お狐様はねぇ…とても繊細な神様なのよ。だから、大事にしないと怒られちゃうみたいなの。」

そんなことで、斉昭は一度愛宕山に向かうというわけだ。
マロンはようやく事の経緯を理解することができた。

「麻穂、この一件は本当に危険よ。斉昭公が多少守ってくださるとはいえ、ある程度は自分の身は自分で守りなさい。」
「…うん。」

マロンは不安気な顔になる。

「これを持っていきなさい。」

麻喜子は御守りをマロンに渡す。
見ると、笠間稲荷神社で買った御守りらしい。
"厄除守"と書いてあった。
マロンは斉昭にメールを送る。
しばらく待つと返事が返ってきた。

[とりあえず、愛宕山で合流しよう。詳しく話を聞かせてくれ。]

すぐに向かう、と返事を送り、マロンは実家を後にした。

愛宕山へ向かうと、斉昭の姿があった。

「斉昭さん!お待たせ致しました!」
「うむ。では、行こうか。」

2人は鳥居をくぐり、愛宕神社に入っていく。
その道中、斉昭はマロンの話を聞いていた。

「そりゃあ、とんでもなく繊細な奴だなぁ。」

厄介な神もいるものだ、と斉昭は思った。
宮司に事情を伝え、巫女の案内で拝殿に入る。
斉昭は祭壇の前へ座ると。

掛けまくも畏こき
愛宕神社の大前を拝み奉りて
恐み恐み白さく
大神の広き厚き御恵みを辱み奉り
高き尊き神教へのまにまに
天皇を仰ぎ奉り 直き正しき真心以て
誠の道に違ふことなく
負ひ持つ業に励ましめ給ひ
家門高く 身健やかに
世のため人のために尽くさしめ給へと
恐み恐みも白す

斉昭は神社拝詞を唱えて、深く頭を下げる。
マロンも頭を下げる。
すると、バサッと羽ばたく音が頭上で聞こえる。
顔を上げると、天狗が目の前に座っていた。

「我は飯綱。其方に会えて嬉しいぞ、押健男國之御楯命おしたけおくにのみたてのみことよ。」
「こちらこそ。飯綱様にお会いできて嬉しゅうございます。」
「して、我を呼び出したわけとは。」
「笠間稲荷の狐との確執についてですが…。」
「ああ、それか…。」

飯綱は表情を曇らせた。

「奴ら、稲荷寿司を持っていってもなかなか許してもらえんのだ。何が気に入らんのか…。」

飯綱はそう言うと溜め息を吐いた。
さすがに斉昭でも良い対策が浮かばない。
下手に触ると火に油を注ぎそうだと感じていた。
すると、飯綱はチラッとマロンに視線を向ける。

「マロン。其方は確か、笠間稲荷と親しいらしいな。」
「は、はい…。」
「其方に仲裁を頼んで良いか。」
「…え!?」

これには斉昭も驚いた。

「飯綱様!お狐様の霊力が人間のマロンに影響したらどうするんですか!」
「分かっている。だが、今頼れるのは人間しかいない。」

少しの沈黙のあと。

「…分かり、ました。やってみます…!」

マロンはギュッと手を丸くする。
その手は恐怖と不安から震えていた。

斉昭、マロン、飯綱は愛宕山を出て笠間稲荷に向かう。
笠間稲荷には冷たい空気が立ち込み、暗雲が覆う。
御神酒、油揚げ、お餅、お頭付きの鯛の供物を持ったマロンは深く頭を下げると拝殿に入る。
その様子を斉昭と飯綱は外で見守る。
拝殿内は静かだ。
祭壇に供物を移し、腰を降ろして深く座ると、斉昭から預かった紙を目の前に広げる。

掛巻も恐き稲荷大神の大前に恐み恐みも白く
朝に夕に勤め務る家の産業を緩事無く
怠事無く 弥奨に奨め給ひ 弥助に助給ひて
家門高く令吹興給ひ 堅磐に常磐に命長く
子孫の八十連属に至まで茂し
八桑枝の如く令立槃給ひ
家にも身にも枉神の枉事不令有
過犯す事の有らむをば神直日大直日に見直聞直座て
夜の守日の守に守幸へ給へと恐み恐みも白す

マロンは稲荷祝詞を詠み、紙を綴じると、深く頭を下げる。
少し待つと、重く冷たい気配が拝殿内に漂うのが分かった。

「人間よ、天狗の差し金か。」

赤黒い霊力を纏った白い狐が目の前に現れる。
その威圧感にマロンは金縛りのような感覚を覚える。

「お、お狐様…どうか、怒りをお鎮めくださいませ…!私たち人間たちは貴方の祟りに困っております!」

絞り出すようにマロンは叫んだ。
狐は、ふむ、とマロンを見つめて考え込む。

「其方、名は?」
「和栗…麻穂です。」

狐は、ハッとした。

「あ、あの、和栗か!これは…失礼した。分かった。其方の願い、聞き入れよう。」

先ほどの威圧的な態度から一変。
急に物腰が柔らかくなり、白狐は一旦拝殿の奥に消える。
しばらくして、祭壇前まで戻ってきた。

「天狗の仇討ちはやめよう。祟りもすぐに鎮める。愛宕山の飯綱にそう伝えておくれ。」
「はい…!」

マロンは嬉しそうに目を輝かせた。

拝殿から出てきたマロンの姿を見て、斉昭と飯綱はホッと胸を撫で下ろす。

「飯綱様。お狐様からの伝言です。」

マロンは先ほどの白狐の言葉を伝える。

「…全く、直接言いに来ればいいものを。」

飯綱の文句にお前が言うかと斉昭は内心つっこんだ。

「マロン、怖かっただろう?一度実家に帰ってから水戸に戻ってきて良いぞ。」

斉昭の気遣う言葉にマロンは安心した様子で返事をしたのだった。

あれから数日後。
笠間の祟りは収まり、人々に平穏な暮らしが戻ったという。

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