見出し画像

七面焼

「斉昭様。製陶所の者が参拝にいらっしゃってます。」

お梅が本殿で作業中の徳川斉昭に声を掛ける。

「ああ、分かった。すぐ行く。」

開いていたタブレットPCを閉じ、斉昭は腰を上げる。
本殿を出て、拝殿へ顔を出すと、作業着を着た男2人が斉昭に会釈する。

「烈公、お世話になっております。七面焼の製陶所の末澤 真一郎すえざわ しんいちろうと申します。こいつは下っ端の…。」
沓名 知亮くつな ともあきです。」
「世話になっておる。さあさ、こちらへ。」

末澤と沓名は、お邪魔します、と一言呟いてから拝殿の奥の部屋へ足を踏み入れる。

応接間に腰を下ろすと、お梅が茶と菓子が載った盆を運んでくる。
お梅が卓机に茶と菓子を移している間、末澤は箱を開け、陶器を斉昭に見せる。

「こちらが七面焼で作った食器です。」
「ほぉ…これはなんと良い出来だ。」
「まだまだ当時の完全再現とはいきませんが…。」

末澤が俯くと、沓名も下を向いて頷く。

「いやいや、充分な出来だ。お梅、どうだ?」

斉昭から渡された皿をお梅はそっと受け取る。
そして、よく眺めたあと言葉を紡ぐ。

「ええ、温かみがあって、凄く良いと思います。烈公と義公への奉納品にとても相応しいです!」

お梅が明るい笑みを浮かべると、末澤と沓名は安堵した笑みを浮かべた。

「奉納品、しかと承った。」
「ありがとうございます!烈公!」

末澤と沓名は深々と頭を下げた。

「せっかくだから。ゆっくりしていきなさい。」

斉昭にそう促され、末澤と沓名は出された吉原殿中に手を伸ばし、茶を啜る。
用が済んだお梅は盆を持って立ち上がり、部屋を出て行った。

参拝に訪れた製陶所は、斉昭がかつて築いた七面焼の復活・再現に取り組んでいた。
その厚意に応え、斉昭自身も七面焼の支援をしている。
茶を啜り、卓机に置き直した末澤がふと思い出したように話す。

「そうそう、烈公。聞いてほしい話があるんです。」
「なんだ?聞くぞ。」

斉昭は末澤と沓名に体を向き直す。

「烈公は農人形をご存知ですよね…?」
「ああ、当然だ。」

斉昭はクスッと可笑しそうに微笑む。
ですよね、と末澤はククッと愉快そうに笑う。

「実は…農人形が喋るんです。」
「え?喋る?」

斉昭は一瞬何のことか、と話を飲み込めなかった。
そんな斉昭の内心を察したのか、末澤は沓名に録画した映像を出すように指示する。
沓名はガサガサとノートPCを取り出した。

「見たのは沓名なんです。わけ分からないこと言うから最初は冗談だと思ったのですが…。」

沓名は準備が整うと、キーボードを操作して映像を再生した。
映像には事務室が映し出され、そこに農人形があるようだった。
しばらく映像を眺めていると。

ホォーホォー…ハァー…

溜め息のような笑い声のような奇妙な声が聞こえてくる。
目を凝らしてよく見ると、農人形が口を動かしていた。

「…!本当に喋っている…だと?」

斉昭は喰らいつくように映像を再度見る。

「最初は動物かと思ったんです。けど、よく耳を傾けると室内から声がしているようで…。声を探ったら、農人形だったんです。」

と、沓名は話す。

「農人形は、なぜ喋ったんだ?」
「分からないです。初めて見た現象なので…。」

と、末澤は言う。
製陶所では幽霊が出る、曰く付きだといった特別な話は一切知らないと末澤は話す。

「なら、私が確かめてみても良いか?」
「え!も、もちろんです!」

斉昭は農人形に導かれるように製陶所へ足を運んだ。

「烈公、こちらです。」

案内されたのは工房ではなく事務所だった。
そこへ近付いた時。

フォッフォー…ハハァ…

という、老人の陽気な笑い声が聞こえた。
製陶所には中年の作業員もいるが、高齢の老人はいない。

「ま、まただ!」

沓名が声をあげる。

フォッフォッフォッ…

声はさらに大きくなる。
末澤は、ガバッと飛び込むように事務所の戸を開けた。

「れ、烈公!」

末澤の叫び声で事務所の入り口に視線を向ける。
そこには棚の上に置かれた農人形。
だが、その農人形は光り輝いていた。

「烈公、お久しぶりじゃのう。」

農人形は斉昭にそう話しかける。

「貴方は…。」
「ふぉっふぉっ、タダの人形じゃよ。ずっと烈公に礼を言いたかったのじゃ。」
「え…?私に?」

ポカンとする斉昭に農人形は語り掛ける。

「ああ。お前さんはワシら、農民たちをよく信じてくれていた。だからこうしてワシらの子孫が生きていっているのじゃ…。本当に感謝しておる。」
「いや、礼を言いたいのは私のほうだ。」
「その気持ちも分かっておる。だからこうして、話に来たのじゃ。烈公、お前さんと話せて良かったぞ。」

人形の表情は見えないが、微笑んでいるように見えた。

「ありがとう、烈公。」

その言葉を残した後、人形は喋ることは無くなった。
製陶所での出来事以降、斉昭は農人形に再び米を供えたという。

愛民専一

斉昭は民の気持ちに寄り添うことを強く意識したのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?