生きることへの焦燥感

時折、胸が苦しくなる。
原因はたいていが「焦燥感」だ。

何かしたい。何ができる?わからない。
何かできるはず。何かとは?わからない。
普通に働けるようになりたい。普通とは?わからない。

私は障害者として暮らしている。
高校3年生で「抑うつ状態」になり、10年以上経った現在の診断名は「うつ病」である。
高校卒業に日数等の問題がなかったものの、大学は受験すら諦めざるを得ず、就職も経験が無い。
何度かバイトはしたものの、心身の状態が崩れて長続きできない。
デイケアに通いつつ、4年ほど前から就労支援B型事業所になんとか入ることができるようになった。
歩みは遅いけれど、体調を安定させることが難しい私にとっては大きな変化だった。

最終的には障害者枠での就労を目指してはいるものの、このペースではかなり難しいだろうと、諦めにも似た気持ちが湧いて、「焦燥感」に襲われる。
特記できるような技能は持ち合わせていない。
資格も英検・漢検ともに準2級、弓道初段くらい。
体調が安定していないために自動車学校も諦めた。

「今からでも資格勉強すれば?」と思う人もいるだろう。
今の状況や状態を維持するのにいっぱいいっぱいで、なかなか手が届かないのが現状だ。
それを「甘え」と言う人もいるかもしれない。
無理に手を伸ばしてまた心身が崩れたら、という恐怖感は、どうやら私たち障害者よりも薄いらしいので仕方がない。感覚の違いだと思うことにしている。

そんな中でも唯一続けてこられた趣味がある。
絵を描くことだ。

現在お世話になっている事業所では、事業所が受けたお仕事で個人に合ったものを割り振られたりもする。
私の場合はイメージキャラクターを希望案から描き起こしたり、キーホルダーにするペットや名刺に載せる似顔絵を描いたり……。
少し前からは、VTuber用のLive2Dモデルをデザインを考えてパーツを分けたイラストを描き、実際に動くようにモデリングをしたりもしている。

楽しいことに変わりないけれど、やはり焦ってしまう。

この進むスピードでは、とても生きていけない。
病気になった頃がまだ未成年で、流れのままに今も実家で暮らしている。
父は2年半前に急逝した。
母も若くはない。

本来なら私が母を支えているはずだったのに。
そう思ってしまう。

何度、自分が障害を抱えたことを責めただろう。
何度、一生抱えていかなければならないことを嘆いただろう。
それでも、一度亀裂が入った心は元通りの姿に戻ってはくれない。

理解を求めたいがために、ここに文を書き散らしているのではない。
今はただ、この焦燥を吐き出したいだけだ。

私は比較的軽度の精神障害者ではあるが、なかなかに生きづらい。人生を謳歌しているか?と問われたら、首を捻ってしまうかもしれない。
そもそも、この場に焦燥を吐き出している時点で、かなり心が疲弊しているのかもしれない。

もがく日々を送っているのだから、生きることに疲れることだってある。それが今だというだけのことだろう。

時折こうして書き散らして、気が済んだら削除することを繰り返している。
自分の状態を把握するには残しておいた方が良いのだけれど、読み返して当時を思い出しては引っ張られることが多いので。

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