素直になれない娘からの素直な愛
子に対する母親の愛に匹敵するものは、この世にない。
(アガサ・クリスティ)
こんばんは。wisteriaです。
昨日の記事に、多くの方からスキを頂き、本当にありがとうございます。
驚きと共に、喜びで満たされています。
スキして頂いた皆様の記事も、随時、拝見させて頂きますので、
これからもよろしくお願いします。
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今日は、母の日。
昨年も、今年も、コロナ禍で身動きが取れず、結局、何もできなかった。
その上、私は、根っからの恥ずかしがり屋で、
その内向的な性格が、口を自然と閉めてしまう。
だから、感謝の言葉も伝えられなかった。
母の日に限った話ではないけれども、少し心が曇る。
その時、口に出せない想い、
さらに、今まで口に出してこなかった想いを
noteに書き留めておこう、
と、今年はふと思った。
何の解決にもなっていないが、せめてもの償いのつもりで。
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まず、私を産んでくれて、ありがとう。
私が3歳くらいに罹患した急性腸炎で、24時間点滴の時も、
ずっと傍に、いてくれてありがとう。
幼稚園から小学校までは、大きな病気はなかったけど、
今とはまるで別人のように、
はしゃいで、活発に動いていたから、
たくさんケガしたけど、
その時も、優しく抱きしめてくれてありがとう。
中学から高校までは、色々大変だった。
脳死状態になった母方の祖母のお世話、
介護・通院が必要な父方の祖母のお世話、
父・姉・私の通勤・通学のサポート、
理不尽な伯父の対応...
キリがない。
そんな大変な時期なのに、
私は、今よりも素直になれなくて、反抗し続けてた。
そんな時に、母方の祖母が、約2年の脳死状態を経て、他界した。
未だに、それを私に伝える、母の震える声を忘れられない。
母には言えないが、母方の祖母の死が、私のてんかん発症のトリガーとなった。
あの時は、急に、倒れてごめんね。
慌てたよね。どうしようってなったよね。
私は、あまり意識がなかったから、どうすることもできなかったけど、
私の名前を呼ぶ、母の声をおぼろげながら覚えているよ。
私のてんかんは、遺伝的要素じゃないから、安心して。
私は、てんかんになったこと、てんかんを発症したこと、
母や父のせいだと思ったことはない。
恨んだこともない。
もちろん、てんかんだってわかった時、投薬治療当初は、すごく辛かった。
なんで私が?っていう疑問ばかり頭に巡る。
未だに、すごく落ち込む時もあるし、辛い時もある。
だけど、むしろ、今は、感謝しかない。
こんな私を育ててくれて、愛してくれて、ありがとう。
3年前。
母が、頚椎の難病だと分かり、手術した時、
心の底から、不安と恐怖に怯えていた。
意識が戻らなかったらどうしよう。
だけど、麻酔が切れて、
「痛い、痛い。」と、内容的には安心できるものではなかったが、
混濁する意識のまま発するのを聞いて、
どれだけ安心したことか。
今も、少し、後遺症みたいなのが残っているけれど、
手術前と同じくらいまで、日常生活を送ることができるようになって、
本当に良かった。
これからは、私が、母や父からもらった愛に応えられるように、
まだ、学生だけど、
学生なりに、研究やその他のことも、
努力し続けようと思います。
社会人になったら、楽させてあげられるように、
今を懸命に生きて、努力し続けます。
素直になれない私を許してね。
愛してる。
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