「隠す苦しみまで抱えてほしくないから、自分に今できる発信をしたい」対話その4 ゲストYUKOさん|家族の自死を話すことについて
はじめに
ここでは、身近な人を自死で亡くした経験にまつわる話をしています。気分が悪くなるおそれのある方は、自分の今の心の状態に注意して、状況によっては読むのを控えてください。大丈夫な方は、よかったら、普段僕たちが自死について話すときにそうしているように、好きなお菓子や飲み物をお供に、リラックスして読んでみてくださいね。
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「もっと大変な状況のなかで生きている人がいるって知ったときに、そんなに人間って弱くないんだって思って。自分一人の状況だけ考えてしまうとそこに没頭してどんどん沈んじゃうけど、他の人の話を聞くと、自分はまだできるかもって思えたんです。」
そう話してくれたのは、弟を自死で亡くされた経験を持つYUKOさん。「wish you were hereの対話」に初めてのゲストとして出てくれたYUKOさんは、自死遺族としての経験をnoteに書いたことをきっかけに、この活動と繋がってくれました。
それまで長い間、周囲に話すかどうかの葛藤を抱いてきたというYUKOさんと、「周囲に打ち明けにくい気持ち」や「自死遺族の自分たちにできること」について語りました。
初のゲスト回のテーマは「家族の自死を周りの人に伝えづらい感覚」について
YUKOさんは大学生のときに、当時高校生だった弟を自死で亡くされています。第一発見者だったYUKOさんは、その後の対応を懸命にこなしましたが、お葬式が終わったあとで一気に気分が沈んだそうです。
弟を失ってから、周囲の友人たちとの間に壁を感じるようになったというYUKOさん。その当時の心境を語ってくれました。
いま思えば、周囲の人も家族のことで辛い経験をしていたかもしれない。だけど、当時は周りの人が幸せそうに思えたとのこと。人に言えない悩みを抱える人は多いですが、家族の自死という体験は特に重く感じられ、外に出しづらいものです。YUKOさんの場合は第一発見者だった自分を責めてしまっていたこともあり、なおさら言い出しづらく、孤独感が募ってしまっていたようです。周りが心配して声をかけてくれても、なかなか言えなかったと言います。
手を差し伸べてくれた人に、自分と同じしんどさを渡したくなかった。
ちなみに、同じく自死遺族である僕は、高校の頃から、自分が母を自死で亡くしたことをいろんな人に話してきました。高校時代に男友達にその話をしたときに、意外なほどあっさり受け止められたのが大きかったと思っています。
今思うと、友人はどんな言葉を返せばいいのかわからなかったのかもしれませんが、すぐに友人自身の親の離婚の話や、同居している母親との関係のしんどさについて僕に話しました。また別の友人は、父親が薬物依存で大変だという話をしてきたりして、「自殺じゃなくても、それぞれの家にいろんな大変さがあるんだな」と思って、なぜかほっとしたのを覚えています。
他の人の話を聞くと『自分はまだできるかも』って思えた
似た悩みを持つ人たちどうしで支えあう活動をピアサポートと言いますが、様々な境遇の人が、自分の抱えるものを一定程度オープンにすることで、似た立場の人とつながりを持てる場合があります。だけど、自死の話をすることはこの国では、まだまだタブー視されているようです。
「私、左利きなんです。」くらいの感じで話せたら
自死遺族の合計人数がわかる統計はありませんが、日本では毎年10~15万人以上が自死遺族となっており、推計で国内に300万人以上いるとされています(2008年の論文より)。人口の40人に一人。学校で言えば、1~2クラスに一人程度の計算になります。「そんなに多かったのか」と驚いたとすれば、それは、多くの人が開示できていないからかもしれません。
僕は生後半年で母が自死したことを家族に聞いてからずっと、自死遺族というアイデンティティ(それはたくさんあるアイデンティティのうちの一つにすぎませんが)とともに生きてきて、そのことを人にたくさん話してきました。最初の頃はためらいもありましたが、今では、もし相手がひいたとしても、「自死遺族は他にもたくさんいるんだから慣れてもらおう」と思うくらい、厚かましく生きています。笑
だけど、そんな人はきっと自死遺族のなかでもかなりの少数派で、言いたくても怖くて言えないとか、かつてのYUKOさんのように「自分が話すことでしんどい思いを相手にさせたくない」と思う人もいます。そう思って、話したくても話せずに苦しんでいる人が、実はたくさんいるかもしれません。
YUKOさんは収録の最後に、「自分たちが発信することで、いま困っている当事者が楽になったり、周りにいる人たちも、自死遺族の気持ちがわかることで支えやすくなればありがたい」と話してくれていました。
タブー視して、腫れ物に触るように関わるよりも、自然と支え合えるような社会になることを僕たちは願っています。
非公認の悲嘆
周囲に先入観や偏見等が存在するなどして、当事者が周囲に受け止めてもらえないと感じることで自身の状態を表現できなくなってしまうことを、「非公認の悲嘆(disenfranchised grief)」と呼ぶことがあります。
この概念を提唱したケニス・ドゥカさんは、同性愛などで関係性が周囲から認められていないケースでのパートナーの死や、子どもや知的障害者などで悲しむ能力がないと周囲に思われている人が大切な人を失った場合、自死などで家庭内でもそのことを話題にしない場合などに該当するとしています。
参考:
・神奈川県「自殺の現状、統計(全国)」
pref.kanagawa.jp/docs/nx3/cnt/suisinn/toukei-zenkoku.html
・グリーフ・サバイバー「公認されないグリーフ」
https://www.grief-survivor.com/study/disenfranchised.html
・自死遺族の推計(2008年)
http://www.cirje.e.u-tokyo.ac.jp/research/dp/2008/2008cj207.pdf
・「自殺をケアするということー『弱さ』へのまなざしからみえるもの」(ミネルヴァ書房,2015 p46「遺族を支える周囲の在り方」)
※本文内の引用箇所は、意図が伝わりやすいように実際の言葉から修正を加えています。
おわりに
wish you were hereの対話では、身近な人を自死で亡くした経験についての話をしています。読んで苦しくなった方はぜひ、信頼できる人に話したり、そのときの自分に合った気分転換になることをしたりして、リフレッシュしてから日常の生活に戻ってくださいね。
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podcastでもお聞きいただけます。
YUKOさんご自身のpodcastはこちら。
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