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支援に必要な知識って何なのか3

7月に、僕が運営している就労移行支援事業所で製作している商品が新聞に取り上げられ、問い合わせが殺到しているもんだから、オンラインショップ作ったり、きちんと収支表作ったり、問い合わせ対応手順を整備したり、もちろん商品製作を利用者に指導しながら進めたり、に追われていて、もはや就労移行支援事業所なんて跡形もなく、スタッフ間の会話も「先にどうしても仕入れコストがかかるから、売り上げが追いついてくるのはオンラインショップの入金とかが動き始めてうんたらかんたら・・・。」
事業所まるごと転職してしまったんだと思います。


さて、前回からもうvol.4です。
一応、前回の記事をご覧になっていない方のためにこちら


今日は、実際に精神障がいの支援について書いていこうと思います。
先に言っておきます。今回でもまだ終われる気がしないんです。
自分で書き始めといてなんですが、うっすらした後悔さえよぎっています。
でも、決めたからにはやろうと思います。



【荷物をどうやって下ろすか】

多くの方はご自分に不相応な量の負荷を背負っています。
しかも、背負う荷物を間違えていることが多いような印象です。これはあくまで僕個人の意見であり、学術的な根拠もない経験上の統計ですが、なんか傾向として

・真面目
・責任感が強い
・でも利己心も強い(承認欲求とかも強め)
・少し強迫観念めいたものが強め

な方が多い感覚があります。

まずやらないといけないことは、「ケア」です。
利己心も承認欲求も強いがそれ以上に自分を追い込むくらいに仕事や人間関係の荷物を背負いまくっています。

何が「心の荷物」になっているのか、きちんと向き合って聴くことが必要ですが、これが本人にも分かっていないことがあります。ここで支援者が本人と一緒になって考えながら、「荷解き」をしないといけません。

この荷解きをしていく中で、
「何が背負うべき荷物」で「何が背負わなくていい荷物」の整理をして、どうやって背負わなくていい荷物をおろせるか、という支援が必要だと思います。

背負うべき荷物のキャパシティを知って初めて自身のコントロールとかいう話につながるので、ここの整理は重要ではないかと考えています。



【考え方や捉え方へのアプローチ】

よく「認知行動療法」という言葉で聞くかも知れませんが、シンプルに言うと、
心のセンサーの調整です。

人間は、どうしても起きた事象を少なからず「感情」でキャッチしてしまいます。
これにより事実と主観が入り混じり、例えば態度や言い方に癖がある人が、少しめんどくさそうに「取れる」態度と言い方で「じゃあそれ俺やるよ」と言った場合に、受け止めた当事者は「自分が頼んだことが、いやいや承諾した。本当は嫌なんだ。」というインプットになったりするんですね。


あと、起きた出来事の因果関係も見ていないことがあります。
例えば、普段話していない人なのに、誘ってくれなかったら「自分のことを嫌っているんじゃないか」と思ってみたり。普段の関係性がないのに誘われないのは本来当たり前なんですが、「嫌われてるんじゃないか」という主観が事実を越えてしまいます。そうなると事実は歪んでしまって、起きてもいないことが本人の事実のようになってしまいます。

これは「思い方や考え方のクセ」なので、新しいクセをつくることが必要なんですね。受け止め方と捉え方の新しいチャンネルに変えれたら、ちょっとずつ事実と主観を切り分けられたり、物事の因果関係を整理しながら考えられたりするようになります。



【アウトプットをどれだけさせれるか】

ほとんどの方が、ものすごく溜め込んでいます、何かを。
言葉にならなくて言わなかったり、遠慮して言わなかったり、溜まっているものが何なのか分からなくて言えなかったりしますが。

荷解きをする際に、ここの溜め込んでいる(背負ってしまっている)ものをきちんと理解してもらうことが必要なんですが、自分が何をしんどいと思っているのかが整理できて分かってきたら、少しずつ吐き出せるように水を向けていくことが必要です。

正しく吐き出す、ってなかなか難しいんです。本人の理解も必要だけど、信頼関係を築けてないと吐き出してはもらえないので、「この人になら言ってもいいんだ」と思ってもらえないといけない。
語弊はあるかも知れませんが、支援者としての人物像がきちんと演出できてないといけないですね。



【安心、を支援する「居場所」】

最終ここに尽きるのかな、とは思うんですが、絶対的な安心感って、人間を前に進めるポンプになり得ます。

「出来ない時があってもいいんだ」、「上手くいかなくても大丈夫なんだ」、「無理ですって言ってもいいんだ」
って自分を緩めれるのは、その下に受け皿があるのが見えてる時です。
もちろんそれに甘えても依存してもいけないので、個々に塩梅があるんですが、「ポンプ」の役割を損なわないくらいの安心感、
“最後は必ず自分が踏み越えないといけないけれど、でも絶対自分の味方で理解者だ”くらいのところでしょうか。

当事者の方は自分で自分を緩めることはなかなかできません。いわばずっと緊張状態なので、この「緩めどころ」を作り、緊張と緩和のバランスをとれるように彼らの環境を整えるのは、最大限のケアであり支援になるかも知れません。


精神の方は、状態としては「考え方や感じ方、捉え方」にしんどくなるクセが身に付いていること、そのクセによって自分の安心できる場所や人が分からなくなっているために、内に内に溜め込んでしまいがちな方が多いです。「ケア」と荷解きを軸にしながら、最初に言った何かの『二次障がい』かどうかの背景を探る事が必要です。




さて、いよいよ収集がつかなくなって来ました。あとは「発達障がい」と「身体障がい」の項です。

次回は発達障がい編(#もうvol表記はやめたんかい)でお会いしましょう!


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