ふざけてるわけじゃないのにふざけて見える奴の話 2
昨日の続き。
どうもみんなが笑ってる場所は刺々しさが薄れて和やかさが生まれるな、と思うようになってから、どうやったら現場で笑いが自然に起きるかを考えるようになった。
僕自身についても、ファーストインプレッションで相手にいかに緊張を与えないか、っていう長い長い課題も同時並行で考えてた。
僕自身についてだけを言えば、できるだけいつも笑顔でいて、柔らかい少しトーンを上げた口調と音程で話す癖をつける事でわりと容易にクリアできた気がする。
でも僕は「お笑い芸人」ではないので、そんなにしょっちゅう笑わせられる腕はないんだ。
笑わせよう笑わせようとすればするほど笑いはとれない。
ある敬老の日の事。
職員余興で僕は、人生でした事もない衣装を着て踊った。
利用者さんも職員も爆笑。
僕は「笑われて」いた。
そっか、「笑わせ」るんじゃなくて、「笑われ」たらいいんだ。
それから僕なりに「笑われ」る人になろうとした。
まぁ、その挙句がなぜヘラヘラチャラチャラヒョウヒョウに行き着いたかは長くなるから割愛するけど、結果僕は今、イジられ倒して笑い者になって、ほとんどの人に緊張感は抱かれない人になった。
あのね、笑うのってつまりは楽しい、という事。
どんな場所でもどんな時でも「楽しい」は人を吸い寄せる力を持ってる。
僕は「人を支える」事を生業にしてるから、しょっちゅう辛い人と関わる。
専門的な知識もスキルももちろん必要なんだけど、それを発揮するためにはまず僕らが関わってほしい人にならなきゃいけないと思ってる。
そして、僕らがいる場所が「来たい場所」にならなきゃいけないと思ってる。
素人くさいかもしれないけど、それでもやっぱり楽しくあってほしいし、笑えることが大事だと思ってる。
んで、出来るなら周りの人にも何よりもまず楽しくあってほしい。
人生なんてどうやったってしんどいことの方が多いから、一回でも多く笑えるような事がある方がいい。
どうせ真剣な顔いっぱいしないといけない仕事だから、大変な仕事だから、同じ大変なら楽しみながらやれる方がまだいい。
真面目に真剣に礼儀正しく、それを大事にしてる人には不快な思いをさせてしまう事もあるんだけど、馬鹿にしてるわけじゃなくて僕は大真面目なんだ。
イジってもいいんじゃないかと思える、肩の力が抜ける、気負わず話せる、馬鹿な事ばっか言っててつい笑っちゃう、何でもいい。
僕がいつだって一番にやる支えは「笑ってもらう事」。そして「笑える場所」を用意する事。
それを表現するために、多分これからも
ヘラヘラして、飄々としていく。
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