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支援に必要な知識って何なのか4

もうこの記事のシリーズに前置きを書く事すらどうなんだろうと思う今日この頃です。
この記事を書いている頃(2020/7/13頃)、僕は就労移行の管理者ではなく、マスクアクセサリー工房の店主です。(※たまたま作業で作ったものが、メディアに取り上げられて現場てんてこまい)
それにもめげず、きちんと支援についての事まとめます。
 

▼前回の記事はこちら


ここで重ね重ねご説明しておかないといけないのは、知識、と言ってはいますが、はっきり言って医学・学術的な話ではなくて、あくまで今の僕のフィールドの範囲での体験的統計からの僕の見解なので、いわゆる学術的観点で齟齬はあるかもしれません。ご了承下さい。
また、この記事はそもそも僕が所属している「就労移行支援」という場所での職員の勉強会のアーカイブという書き方をしていることもあり、障がい特性というものについてお話していますが、全てを網羅してはいません。その点についてもご了承いただいた上で、ひとつの意見・視点としてお読みいただければ幸いです。


  発達障がいには「先天性」と「後天性」があるんじゃないかと考える

発達障がい、という名前は今でこそ認知されてきていますが、20年ちょっと前まではほとんど認知されていませんでした。(自閉症という名前は知られていた、くらい)
ところが、現代では認知されているどころか、100人に1人、児童のレベルだと50人に1人は発達障がいもしくはその予備軍、という統計を目にすることあるくらいです。

急に発達障がいの方が増えたんでしょうか?それとも元々それくらいの分母存在していて、障がいの名前と共に急に認知され始めたんでしょうか?
多分どちらでもあり、どちらでもないような気がします。


【つくられた発達のアンバランス】

ごめんなさい、きちんと根拠を調べてお話するのが本来だと思うんですが、自分の実測値として見解をまとめることをえらんだ書き方をしているので、そのまま体験的統計でお話させていただくのですが、多分現代の日本は一昔前と比べたら驚くぐらい生活様式も価値観も文化も多様化しています。
それこそ僕が子供の頃は、ある程度世間の価値観や常識、というのは視野は狭く、その分「枠」はしっかりとあって、みんなそこに沿っていくことがよしとされてきたような感覚があります。
つまり、正解とされるモデルがあり、そうなるためにしないといけないこともある程度固まっていて、庶民の生活はそこそこマニュアライズされていたんじゃないかと思うんですね。
少ない情報と限られた選択肢の中でセレクトしていけばよかったことがある種の生きやすさはあったんじゃないかと思います。不自由ですけどね。

それが、多様化した現代では、何が正解かもどうすればいいかの指針も基準もありません。ものすごく自由な世の中ですが、そこには「自己責任」という重い十字架が常に背負わされることになります。

僕はここにひとつの要因があると思っています。
発達障がい、という障がいは、いわゆる脳の「定型発達」の基準がある中でそのバランスを許容以上に崩れている状態を指しますが、(本当はもっと難しい理屈ですよ。)多分そこには「先天的」なアンバランスと、生育歴や生活環境、親などの人的環境によってもたらされる「後天的」に発達バランスが崩れて結果として非定型発達になったケースが存在しているんじゃないか、という見方です。

もちろんそれが全てではないと思いますが、この20〜30年くらいで人の生活も仕事もコミュニケーションも、全てがガラリと変わりました。
1日中ゲームやインターネットだけにふれて、人との接触を全くと言っていいほど図らなければどうなるでしょうか?
親の仕事などの影響で、夜中まで起きて朝方寝るのが当たり前の生活リズムになったらどうでしょうか?
両親が共働きで、幼少期から親とのコミュニケーションよりも他人とのコミュニケーションの方が圧倒的に多い環境だったらどうでしょうか?
手作りのごはんよりも惣菜や人工物ばかり食べていたらどうでしょう?


つまり、発達障がい、と呼ばれる方には、本当に脳の器質的な問題で先天的に発達自体にバランスの悪さを抱えている方と、本来は脳の器質的には定型的に発達する素養だったはずが、生まれてからの様々な環境により発達するところと発達しないところが生まれてきた結果、バランスの悪い状態が常態化してしまうことがある、という事です。

あんまり簡単に言ってしまってはいけないんですが、そうであれば、先天的な発達のアンバランスと、環境性の発達のアンバランスでは全くアプローチを変えてあげないといけないです。
「発達だから〇〇」「〇〇っていう障がいだからどうこう」っていう話には括れないし括ってしまうことは、まったくもって見当外れな支援になってしまいかねない、ということです。

環境性の発達については、環境調整と経験値の埋め直しをすることで意外と整うことがあるんです。そこを見極める力を養っていかないといけません。また、先天性であれば、彼らに合った「枠」を作ってあげることが大事なのかな、と思っています。


【まずは自分というものを知ること】

これはもしかしたら障がい特性に依らないかもしれないですが、大体の場合、発達傾向のある方は「一般的な常識」と「自分の感覚」の差異がどれくらいあるかをあまり考えたことがないケースが多いです。
つまり、「自分ルール」はあってもそれが社会の中で適応できうるものかどうかの見積もりはしていないんですね。それってつまり社会の中の自分の立ち位置を知らないんです。

ダメ出しをするのではなくて、ここのギャップの認識をきちんと持っておく、ということが多分大事で、優劣じゃなく「何が違って何が違ってないのか」の認識を持った上で初めて「じゃあどうする?」になると思います。

そこから先の支援については個々違いますが「自分を認識する」というプロセスは特に発達傾向のある方ついては、少なくとも社会に出ようと思う限りは踏んでおいたほうがいいと思います。



【支援、というよりも整理】

「自分を知る」にも通じることかもしれませんが、発達傾向のある方の多くは、いわゆる整理が苦手です。自分の思考だったり、課題だったり、自己分析であったり・・・。
論理的に物事を整理するのはあまり向いていないのか苦手なのか分かりませんが、いわゆる「リスト」のように整理するのが伝わりやすい感触があります。箇条書きですね。おそらく長文節になるとごちゃごちゃするんだと思うので、区切りやまとめを簡素にしておくほうがよさそうなので、支援云々の前に整理をします。定期的に「整理」のタイミングをつけると、ある程度社会に出ていこうというくらいのレベルの方はその整理したリストを指標にしてそこそこ自分なりに考えられたりします。

定期的に「整理」をするプロセスを踏んでおくことは必要だと思います。


【枠にはまるんじゃなくて「新しい枠」をつくる】

先天性であれ環境性であれ、いわゆる社会一般の常識とか通念の枠にははまりにくい方が多いですよね。でも、社会一般の常識だけが社会で生きていく選択肢ではないので、本人にフィットしたオーダーメイドの「枠」を作ったほうがいいと思います。

発達の偏りがあったからといって、=社会に適応はできない、という答えではないので、本人の可能性を見つけ、そこを軸に社会で生きるための装備を積み直すことが大事です。要は本人がある程度社会の中で生きていけるだけの(もちろん最低限の支援がいることを織り込んだ上で)枠を作り直す感覚ですね。

逆に言うと、一般的な社会性や常識通念を基準にして支援を行おうとすると、必ず本人の特性から、不適応を起こしてしまうので、ただただ自己肯定感を下げたり、自己否定感を強めたりします。
僕たち支援者自体が、一般常識や通念の枠を外して見ていかないといけないと思います。


【自分なりのやり方、生き方でいい「自分の取扱説明書」】

それらを総合して、発達傾向の方への支援として必要なのは、「自分マニュアル」です。
何が得意で何が苦手で、社会で生きるのにどこが生きにくいか、とか。
パニックになった時にどうしたらいいのか、どういうことでパニックになるのか、とか。
これを自分で作ることです。

もちろん、一般的な社会性を学ぶ、実践するということもアプローチとしてはあっていいのですが、大事なのは「自分を知って」「自分の扱い方を知って」「自分なりの生き方を見つける」ってことなんですね。
特に就労移行に来られるようなレベルの方であれば、自分を漠然と「普通じゃない」「出来ないことが多い」みたいなしんどさばかり抱えている方も少なくありません。
大事なのはいい悪い、優劣じゃなく、「あなたはあなたの生き方でいいから、それを一緒に探そう」で、「あなたなりの生き方をベースにどうやったら社会の中でやっていけるか一緒に考えよう」というようなスタンスだと思います。

当然、本人がこの取扱説明書をつくる以上に支援者がきちんと本人のことを理解できていないといけませんし、「理解できているつもり」にならないよう確認作業も必要です。そして、コーディネートしていくイメージもしっかり持った上で、この取扱説明書を本人が仕上げられるようにサポートしてあげることが一番の支援になるんじゃないかと考えています。



僕は個人的には「発達障がい」と呼ばれるものが一番障がいではないと考えています。チャンネルの掛け違いだと思っています。
例えばADHDの傾向がある方は、今の時代だと障がい、と認定されるかもしれませんが、高度経済成長の時代であればもしかしたらめっちゃ働き者のスターだったかもしれないんです。
自閉症の方は視野が狭い、過集中になるのかもしれないけれど、もし研究職についたとしたら、とんでもないスペックを発揮するのかもしれないでしょう?


だから、一緒に整理をして、共有して、自分の取り扱いをしっかり固めた上で、本人なりの枠組みを再構築する、という流れの支援がいいんじゃないかな、と思います。

 

 

 

なんか若干やっつけ感はありますが、とりあえず発達障がいについてはこういった感じだと思います。

次回はもうvol.6です・・・vol.6て。
なんのためのnoteなのかもはや分かりませんが、がんばります。




▼ noteほど整理して書いていませんが、日記のようなものも書いています。




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