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日記を書いて、じっくりと自分と対話する

 先日、「さみしい夜にはペンを持て」を再読した話を書いた。

 この記事では「自分はいったい、何のために日記を書いていたんだろう」と振り返ったことを書いた。
 ではこれから、何のために日記を書いていきたいか?
 今回は、そのことについて。

 この本の中で、主人公のタコジローくんは、自分に「日記を書くこと」を勧めてくれているヤドカリのおじさんから、以下のことを指摘される。

「タコジローくんは、文章を書くのが苦手なわけじゃない。ただ、ことばを決めるのが早すぎる。手っ取り早く、便利なことばで片づけている。ことばを探す面倒くささに、屈している。おかげで、自分の気持ちから離れた文章になっている」

p.85

 このことば、自分に言われているようで、改めて読んでも耳が(目が?)痛い。

 せっかちかつ面倒くさがりという自覚はある。
 だから毎晩、日記を書くときも、あんまり深く考えず、ただ頭に浮かんだ言葉をすらすら書いて終わらせるだけだったかもしれない。
 でも、それって今思うが、もったいないことかも。
 「今日」という日はもう二度と訪れないんだし、その後、今日と同じことをしたとしても、感想は違うかもしれないんだし。
 ならば、丁寧に言葉を選んで文章を書いて、「日記」としてノートに残していく方が、よほど有意義な気がする。

 ヤドカリのおじさんは、日記を書くことについて、以下のように語る。

「ていねいに、ことばを急ぎすぎず、何度でも消しゴムを入れて、じっくりと自分と対話する。そうするなかで、すこしずつ自分をことばにできるようになったし、自分のことがわかってきたような気がするんだ」

p.89

 「ことばを急ぎすぎず」。
 これからは、このことに気を付けるだけでも、日記の書き方がちょっと、変わってくるかもしれない。
 ヤドカリのおじさんのように、じっくりと言葉を選んでいく書き方は、多分したことがなかった。
 物語の続きでは、ヤドカリのおじさんがタコジローくんに、日記の書き方について丁寧かつ具体的にレクチャーしてくれている。
 もちろんその部分も読んではいるけれど、その内容を大して咀嚼せずに「物語の一部」としてしか考えてなかった。

 「じっくりと自分と対話する」ということに憧れる。
 まずは「ことばを急ぎすぎず」に日記を書く、ということからはじめてみたい。
 感情優先であれこれ書くんじゃなくて、未来の自分が読むことも念頭に入れて。
 そして、もしもまた「日記を書くこと」に対して疑問が生じてきたら、この本に立ち返ればいい。
 それらを繰り返していくことで、いつか私も「自分のことがわかってきたような気」になれたらいいな、と思う。

 

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