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小説「マンゴーパフェとヴィーガンサラダ」

 目の前に推しがいる。
 いや、推し本人じゃないけど、推しの色を全面にまとったマンゴーパフェ。
 容器の底も側面もマンゴーソース、バニラアイスが詰まった上にはマンゴーアイスと、アイスを囲むように乗せられたマンゴー、マンゴーアイスの上にちょこんと乗ったホイップに散らばる、金銀のアラザンと、てっぺんに乗っけられた橙色の星型のチョコレート。
 まさしく推しの色。金銀のアラザンが、推しのキラキラぶりを表しているように見えて、更に嬉しい。
 私の推しは、7人編成のアイドルグループの一人で、メンバーカラーが橙色。なぜオレンジ色と言わないのかというと、以前に推しがバラエティ番組で「好きな食べ物はマンゴー。オレンジも好きだけどマンゴーがもっと好き」と言って、山盛りになったマンゴーを美味しそうに食べていたことに由来する。おかげで私も、同じ推しを推す仲間たちも、急にマンゴーが気になりだして、あちこちでマンゴーを探すようになった。
 マンゴージュース、マンゴーの缶詰、ドライマンゴー……頭の中がマンゴーだらけになった推し仲間たちの間で、SNSにマンゴーに関するものを見つけたらアップしてキャーキャー言いあうという謎の企画が始まった。私も負けじと何かないかと探していたら、ついに見つけた。
 駅前のカフェの期間限定メニューの中に、マンゴーパフェがあるという情報を、地元のフリーペーパーの記事で見つけたのだ。
 おそらく比較的空いているであろう平日の昼間を狙って来店し、カウンターでマンゴーパフェを注文し、店内の客数がまばらなのをいいことに、窓際にある四人掛けの席に一人で座った。店員さんが運んできてくれたパフェにうっとりし、これから味わえるのかと思うと口元が緩んでいるのが自分でも分かる。推し、いつもありがとう。これから、じっくり君の味を楽しむよ。
 まずは写真撮影、と思ってスマホを取り出したとき、「あー!」と遠くから素っ頓狂な声がした。驚いて顔を上げると、お店の入り口から大きなトートバッグを肩にかけた、若い女性が駆け寄ってきた。
「やっぱりユウコさんだ! お久しぶりですー!」
 は? その化粧の濃い顔と声で思い出した。そのとたん、胸に嫌な予感がよぎった。
「ああ、鈴木さん、でしたっけ?」
 自分でも声が低くなっているのが分かった。
「そうでーす、今のところまだ鈴木です!」
 はぁ。余計な修飾語がいろいろついたセリフに愛想笑いで返すのが精一杯だった。
 彼女と私は数年前、同じ企業の同じフロアで働いていた。私が正社員、彼女は期間限定でやってきた派遣社員だった。私も彼女も鈴木という。私は以前から社内では下の名前で呼ばれていたが、彼女はあくまでも「派遣の鈴木さん」という呼ばれ方だった。だから下の名前など覚えてもいない。たぶん、同姓じゃなかったら苗字も覚えていなかっただろう。
「ユウコさん、今日おひとりなんですか?」
 嘘のつきようがないので、うなずくと、
「じゃあご一緒させてください! 私も一人なんで」
 鈴木は勝手に私の斜め前の席に高級ブランドのロゴが全面にプリントされたトートバッグを置き、カウンターへ注文をしに行った。困惑した気分の中、マンゴーパフェの写真をスマホから撮る。だけど、さっきあったはずの高揚感は既にない。
 あぁ、鈴木め。なんで出会ってしまったんだ、こんなところで。
 一緒に働いていた時、彼女の評判は総じて悪かった。一応、最低限の仕事はしてくれたが、気分屋でプライドが高く、訂正をお願いするときは他の人の三倍は気を遣わないといけなかった。残業をお願いすると露骨に嫌がられたこともある。その割にお昼休憩や飲み会の時はやたらと人に話しかけたがり、とはいっても自分の話しかしてこない。彼女が昼休憩を取る時間は決まっていたから、わざとずらして昼休憩をとる女子社員は多く、私もその一人だった。たまに避けられず彼女と昼休憩が同じ時間になった際は、社食でのランチを諦めて近くのコンビニでイートインしたこともある。彼女の派遣が終了したとき、やっと心置きなく昼休憩を過ごせるようになると他の女子社員たちと安堵した記憶がある。
 その後、私は推しに出会い、推しにすべてを捧げたいがために退職してフリーランスになった。ライターとしての仕事でせっせと働き、貯めたお金で推しのライブツアーに足を運んでいる。推しのことしか考えない毎日を送っている最中、突拍子もない不幸に巡り合った。
 ちきしょう、鈴木め。
 カウンターで注文した品はすぐ出来上がったらしく、大きな白いボウルが乗ったトレーを持って鈴木がやってきた。テーブルに置いた隙にボウルの中を見ると、色とりどりのサラダだった。
「ヴィーガンサラダ頼んじゃったんです。なんかヘルシーそうだし」
 サラダをまじまじと見ていた私に気づいたのか、鈴木がそう答えた。
「おしゃれな感じしますよね? 今、流行ってますし」
 鈴木は屈託ない表情で語るが、私からしたらどうでもいい。
「私、流行とか廃りとか知らないから」
 もう早くこの場を去りたいと思い、マンゴーパフェを食べようとスプーンを持った時だった。
「あ、ユウコさん。ちょっと待って!」
 止められてしまって「え?」と思ったら、鈴木は突然、自分のスマホを取り出し、私のマンゴーパフェを写真に撮った。
「なんかこれ、映えるー!って思って」
 鈴木はニヤッとおどけた表情で、舌を出した。この女、殴ってやろうかと思った。私の推しに何をする。
「もっと正面から見せてくれませんかー?」
 鈴木が私の背後に回ろうとする隙に、スプーンでマンゴーパフェの頂点にある、橙色の星形のチョコとホイップを掬って口に入れた。
「あー!食べちゃった! せっかく正面からも写真を撮ろうと思ったのにー!」
 鈴木の声には反応もせず、黙々とマンゴーパフェを食べることにした。甘酸っぱくて美味しいはずなのに、味をあんまり感じない。本当ならもっと嬉しくて楽しくてたまらない気持ちでこのパフェを食べたはずなのに。余計な人間に会ってしまったおかげで、味覚が鈍くなってしまった。
 憮然とした表情で鈴木は自分の席に着き、ピッチャーに入ったドレッシングをサラダにかけ、フォークを持って食べだす。
「なんかユウコさん、久しぶりに会えたのに機嫌悪い」
 文句を言う鈴木に対し、何も言いたいことはなかった。ただ私は無心でマンゴーパフェを食べようと思った。カットされたマンゴーを口に入れ、テレビ番組で美味しそうに食べていた推しを思い出してもちっとも嬉しくない。ただ黙って咀嚼するのみ。
「あ、ユウコさん。スマホもマンゴーなんですね」
 鈴木は私の手前に置いてあったスマホに気づいたらしい。確かに、カバーはマンゴー色だ。わざわざネットで探して購入した。
「なんでそんなにマンゴー好きなんです? 必死で食べてて気持ち悪い」
 突然ディスってきた。驚いて鈴木を見たら、彼女は分かりやすく口をとがらせていた。
 かまうもんか。無視して食べ続ける。
「ユウコさん、今おいくつでしたっけ?」
 年齢の質問をしてくるなんて、どれだけデリカシーのない奴だ。返事をする気にもなれない。
「確か、職場の飲み会んとき、私の5つ上とか言ってましたよね? んじゃ、もう40歳過ぎてますよね」
 よく覚えてるなぁ。無心でマンゴーパフェを頬張りながらも内心、感心した。飲み会でしつこく鈴木に絡まれて仕方なく答えたんだろうか。それか、他の人との話の最中に突然割り込まれたのか。こっちはほとんど覚えていないのだが。
「40歳過ぎてマンゴーパフェ? 映え狙いなん? いい年してだっさーい」
 バカにしたような口調で鈴木が言う。そういうお前は30代後半だろうが。構ってもらえないから拗ねて攻撃を始めたのだろうか。どちらにせよ私には関係ない。
「ま、私は美味しくてオシャレなヴィーガンサラダですけどねー。あ、写真に撮るの忘れちゃった」
 鈴木はいったんスマホを取り出したが、ヴィーガンサラダは食べかけのものだ。
「あーあ、食べかけなんて映えないよな。失敗しちゃったぁ」
 鈴木のスマホはカバーをかけてない。金色のボディだ。おそらくハイスペックなスマホだろうが、果たして使いこなせているのかどうか。「なんかかっこいいから」なんて安易な理由で買っている可能性もある。
 鈴木がぶつくさ文句を言いながらサラダを食べはじめた。おかげで話しかけてこなくなったのでパフェに集中できた。柄の長いスプーンで底を掬えばたっぷりのマンゴーソースが出てきた。口に入れると、さわやかで甘酸っぱい味が広がった。この味、できれば一人で堪能したかった。
「ユウコさん、一人で平日の昼間からパフェ食べてるなんて、よっぽど淋しい人生なんですね。彼氏とかいないんですかぁ?」
 また鈴木が話しかけてきて、テーブルをひっくり返してやりたい衝動にかられた。
「じゃあ、そっちは今、何してるの?」
 耐えられなくなって尋ねた。
「婚約中なんです。たまたま今は指輪してないですけど」
 真顔でサラッと答える鈴木の顔を見て、はったりなのか事実なのか分からないと思ったが、もはやそんなことはどうでもいい。
「旦那さんになる人が『外で働かなくていいよ』って言ってくれてるから、仕事すっぱり辞めて、今は花嫁修業中なんでーす」
 どや顔で鈴木が話す。こいつ、本当に結婚できることが嬉しいんだろうか。どっかで適当に見つけた男と打算で結婚することにしたんじゃないか。そう疑ってしまうほど、鈴木の顔に幸福感を窺えない。
「ユウコさんもすぐに彼氏見つかればいいですね」
 鈴木の見下すような発言を聞きながら、マンゴーソースを掘っては食べているうち、だんだん怒りとは違う気持ちが沸いてきた。
 もうすぐ結婚するにも関わらず、鈴木の言動からは幸福感を微塵も感じない。なんだか憐憫の気持ちが湧いてきた。
「あのさぁ」
 私はスプーンを置き、鈴木の目を見据えた。
「え、なに? いきなりマジになって、怖っ」
 少し怖気づいた顔になっている。
「そんなに構ってもらいたいなんて、よっぽど淋しい人なんですね。かわいそう」
 鈴木の顔色が変わった。急に私から目をそらし、憮然とした表情でサラダをがっつき始めた。
 今だ。私は攻撃を続けることにした。
「いつも自分が誰かから傷つけられるんじゃないかと不安で不安でしょうがなくて、だから先制して誰かを攻撃しようと思って、いっつもファイティングポーズなんでしょ? 少しでも話を聞いてくれそうな人を見つけたらとっ捕まえて、思うように構ってもらえなかったら拗ねて攻撃する。はったりだけご立派な小心者じゃん」
 鈴木が食べている最中なのをいいことに、言いたいことをぶちまけてやった。一緒に働いていた時から思っていたことだ。
 本当は自分に全く自信のないくせに、それを自覚するのも嫌なほどプライドが高く、常に誰かからの攻撃に怯え続けている。その裏返しとして、ワーワー声高に自分の存在をアピールし、少しでも他人より優位なところがあれば自慢げに語る。
 自分が他人からどう見えるかに常に気を遣い、本当は疲れ果てているはずだ。でもその自覚すらしたくないのだ。哀れな人だ。
「何よ」
 鈴木がサラダを食べる手を止め、私の方に向き直った。
「ユウコさんだって、一人で淋しそうに座ってたから、わざわざ話しかけて同じ席に座ってあげたのに。こんなこと言われるなんてムカつく」
 その言葉を聞いて、思わず吹き出してしまった。
「淋しそう? そうあなたが勝手に思い込んだだけじゃん」
 そう言い返している最中から、また笑ってしまった。鈴木は憮然とした表情でいきなり立ち上がり、サラダの乗ったトレーを持って客席の奥に移動していった。いったん、私の席に戻ってきたが、さっきまで座っていた席の背もたれに置いていた自分のバッグを肩にかけると、さっさと去っていった。
 あー、邪魔者がやっといなくなった。パフェの容器の底にはマンゴーソースと溶けたアイスが混じりあって残っていた。スプーンでできるだけかきとり丁寧に食べきった。最後だけでもゆっくり食べきろう。
 鈴木は店の奥で、憮然とした顔のままサラダを食べているのだろう。でも、どうでもいい。たぶん鈴木はヴィーガンの意味もよく分からずに、ただオシャレそうだから、SNS映えするだろうから、なんて理由で食べてるんだろう。知るか。
 店を出ると、昼下がりの高い空が澄んでいた。スマホを取り出し、店内で撮ったマンゴーパフェの写真を削除した。美味しかったが、嫌な記憶まで付随してしまったものをSNSにアップしたくない。鈴木はこれからも、自分自身の愚かさに気づかない限り、同じことを繰り返して、周囲に余計な負担をかけて歩くんだろう。知ったこっちゃないが。
 スマホを裏返し、マンゴー色のカバーをまじまじと見る。でも、まぁ私の推しへの愛は永遠だからね。鈴木が「マンゴー私も大好きです」と言わなかったのは幸いだ。
 マンゴーをディスった奴は地獄に落ちろ。食べ物と推しの恨みは恐ろしいんだよ。
 自分でも謎だなと思う言葉を心の中で吐き出し、私は歩き出した。

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