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「書かないほうがいい」って思うこと
今日も『さみしい夜にはペンを持て』の話。
(どれだけ感化されてるんだ)
物語の中で、主人公のタコジローくんは、自分に「日記を書くこと」を教えてくれているヤドカリのおじさんに、以下のことを告げる。
「ぼく、もう書くの、やめたほうがいいんじゃないかって思ったんだ」
このタコジローくんが「やめたほうがいい」と思ったものは、もちろん日記を書くことなのだが。
タコジローくんは以下のように続ける。
「書こうとすると、ダメな自分がいっぱい見えてくるんだ。友だちの悪口とか、学校の愚痴とか、お父さんやお母さんへの不満とか、そんなのばっかり浮かんできてさ。もちろん、実際には書かないよ? 自分でもそんなの読みたくないし。でも、悪口がいっぱい浮かんで、なにもかもがいやになるのはほんとなんだ」
でも、その言葉に対し、ヤドカリのおじさんは「日記を書きはじめたとき、かなりの確率で待っている罠だ」と答える。そして、以下のように続ける。
「このとき大切なのは、ネガティブな感情とうまく距離を置くことだ。むしろ、距離を置くためにこそ、書くと言ってもかまわない」
「どうやって距離を置くの?」
「そこで沸き上がったネガティブな感情を、過去のものにしちゃえばいいんだよ」
「過去のもの?」
そして、ヤドカリのおじさんは「誰かの悪口を書きたくなったら、過去形で書くこと」を勧める。
この部分については、以前も話題に挙げた。
でも、日記を書いていると、強く記憶に残る出来事でも、あえて書かないこともある。
そして更に告白すると、それらは大概、自分にとって都合の悪いことだ。
そんなことについても、ヤドカリのおじさんは以下のように語る。
「ことばにするとね、見なくてもすんだはずの現実を、直視しなきゃいけなくなるんだ。だれかのいやな姿とか、自分のドロドロした部分とか、自分が置かれたほんとうの立場とかをね」
うわぁ、図星。
私は、「だれかのいやな姿」も「自分のドロドロした部分」も、そして「自分が置かれたほんとうの立場」も、直視したくないんだと思う。
日記を書いているときも、自分にだけ都合のいいことを、都合よく解釈した文章を書き、それでスッキリして終わっているのかもしれない。
日記を書くことは、「自分を客観視すること」や「自分軸を作ること」にも繋がると思う。
そのためには、あえて自分のいやな部分を直視することも、大事じゃないかと。
あー耳が痛いけどな!
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