鴻上尚史さんが定義する「世間」の特徴から気づいた、損得勘定と生存戦略
鴻上尚史さんの「コミュニケイションのレッスン」(大和書房)を拝読した(以下のリンクは文庫版のもの)。
その中で鴻上さんがおっしゃっている、日本という国に深く浸透する「世間」という考え方と、その特徴を拝読していると、今まで言葉にならぬまま抱えてきたモヤモヤの正体が見えた気がした。
まず、鴻上さんが説明される「世間」と「社会」の違いについて。
「世間」とは、自分と利害・人間関係があるか、将来、利害・人間関係が生まれる可能性が高い人たちのこと。
「社会」とは、今現在の自分と何の関係もなく、将来も関係が生まれる可能性が低い人たちのこと。
そして、日本人は「世間」と「社会」という、二つの全く違った世界を生きている、とのこと。
そして、鴻上さんは「世間」に5つの特徴があるともおっしゃっている。
その内容を以下に挙げる。
1、長幼の序(年功序列)
2、共通の時間意識(あなたと私は過去から未来まで同じ時間を生きている、という意識)
3、贈与・互酬の関係(贈り物をもらったら、必ずお返しの品を返すこと)
4、差別的で排他的
5、神秘性(謎ルール)
これら5つの特徴が「日本人のコミュニケイションと濃密な関係がある」と鴻上さんはおっしゃっている。
というのも現在の日本は、鴻上さんによると「中途半端に壊れた世間」という状態にあるらしい。
詳しくは次のサイトの中でもお話されている(脳科学者の中野信子さんとの対談記事。クリックすれば無料ですぐ読めます)。
確かに、自分のこれまでの生活を振り返ってみると、あっちこっちで強力な「世間」のしがらみに苦しんできた。
家族、親戚、学校、職場、プライベートの付き合い……。
それぞれ、謎のルールがあったり、年配の人が偉そうに振る舞うのを我慢せざるを得なかったり、付き合いを断ろうとすると非難されたり、一方的に「自分がこれだけあなたに尽くしてやったんだから、礼を返せ」などと言われたり。
逆らうことの面倒くささを思うとそれだけで疲れてしまい、しぶしぶ受け入れていたことが多かった。
でも、それをきっかけに、どんどん疲れる出来事が増え、最後にはその「世間」から逃げるしかなくなった、もしくは追い出された、なんてことがたくさんあった。
あー、しんどかった!
幸い、最近はあっちこっちの「世間」から意図的に遠ざかるような生活ができている。
勇気を持ってお誘いを断ったり、年長者からの理不尽な要求に「NO」を突きつけたり。
私はもしかしたら、その「世間」の中でものすごく悪く言われ、もしくは笑われているのかもしれない。
でも、別にいいや、って思う。
自分の人生を充実させる方がはるかに大事だと思うし。
こんなことで悪口を言いふらす人や、それを鵜呑みにして一緒に私の悪口を言っている人には、心の中で「早く自分のやりたいことが見つかって、楽しく生きられるようになりますように」とお祈りしてあげたいもんだ。
「世間」はとても窮屈で、しんどい。
所属している全員が同じ考え方や価値観を共有しなくてはならず、それから少しでもはみ出ると急にバッシングを食らう。
ただ、そこからはみ出た場合のデメリットの大きさを考えると、動くに動けない、なんてことがこれまで、どれだけあったか。
「あんまり居心地がよくなくても、自分の椅子が用意されている居場所を失いたくない」という気持ちがあったんだと思う。
まぁ今、振り返ると損得勘定だった。
そんな、「世間」というガッチガチの檻の中で、ひたすら歯を食いしばって生きてきた。
今思うと、ある種の生存戦略だったんだと思う。
そんな手段を仕方なくでも使いながら、必死に生きてきた自分を十二分にねぎらい讃えた上で、これからは自分を大事にする生き方をしていきたい。
自分は何がしたいのか、どんな形で社会に貢献していきたいのか、人と繋がっていきたいのか。
どんどん壊れて崩れ落ちつつある「世間」という檻に安住していたら、そのうち自分も置いていかれて、その「世間」の連中と一緒に潰されてしまいかねない。
「自分の頭で考えること」の重要性が、今後どんどん増してくる気がする。
「世間」が押し付けてきた考え方に囚われず、自由な発想や視点で、これからの生き方を選んでいきたい。
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