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雑記:ミクロからメゾマクロへ実践を展開する際のアセスメント

自分の仕事は「ソーシャル」という冠がつくにもかかわらず、ミクロからメゾマクロへ実践を展開する際のアセスメントの固有の理論を持ち得ていないと感じています。


個人から出発するアセスメントを、どのようにして地域や社会の構造と関連づけたものとしてその(アセスメントの)範囲を広げ、説明強度高く言語化できるのかということを考えています。


メゾ実践もマクロ実践も、当然、その前提/根拠としてのアセスメントが有るはずだからです。リッチモンドは社会診断と言いましたが、私は社会診断の理論を持ち得ているか、と。。。


ミクロメゾマクロ実践の展開の前提となるアセスメントにおいて、ルーマンのシステム理論と排除と包摂の概念枠組みが援用できるというのが最近の関心テーマです。


例えば、家族や学校(公教育)や会社というシステム、これらから個人が排除されると、他のシステムからも排除される(重複的排除)可能性が高くなるというのは、個人の経験を当てはめても、今まで出会ってきた人を顔を思い出すことを通しても、理解ができます。


システムはそれ自体を持続させるために、個を合理的に包摂しようとする引力/合理的に排除しようとする斥力を発生させている。のであれば、何かしらの理由で、個がシステムAから排除され、今までシステムAから得ていた必要Cを、システムBによる再包摂によって必要C’を得る環境を再構築する、というように実践を表現することもでき得ように思うのです。


また、個人は、その必要をさまざまなシステムに包摂されることによって得ていると仮定すると、さまざまな理由で、個人が“必要“を空間的距離の近いシステムから得なければならないか否かを考えると、その個人にとっての“地域“がどのような意味をもつかが浮き上がってくるように思います。


空間的制約を超えることができる資源を持つ個人のエコマップには「居住地」はあるけれど、「地域」はないということも往々に有るように思います。こう考えると、メゾ実践の射程とは?いう問いが新たに立ち現れます。
と、そんなことを最近考えています。関連して、これを読むといいよ!などおすすめがあれば教えていただけるとすごく嬉しいです。


上記文章に関連して、以下の本を参照しました。
ニクラス・ルーマン入門―社会システム理論とは何か


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