アセスメントの根拠となる”情報”について考えてみた
「情報収集」という言葉を現場でよく聞きます。
ソーシャルワーカーはクライエント自身が語る主観的事実、客観的事実(クライエント、他職種・他機関からもたさされるもの)をもとに、軽減・解決すべき問題がどのようなものであり、その優先順位を見定めながら、軽減・解決に向け、どのようなアクションを起こすかを考えていく、という過程を常に経て、援助を展開していきます。
ソーシャルワーカーとしてのアセスメントの根拠となる仮説をなすものは「情報」です。だからこそ、自分が得たクライエントに関する情報の精度について、少し立ち止まり考えることが大切です。
本エントリでは、「アセスメントにおける仮説検証の根拠となる情報について考える」と題し、記していこうと思います。
1.情報の発生源を特定し、発生源に確認を取る
ときに、情報というのは一人歩きし、行き来する人の間に伝言ゲームを生んでしまうことがあります。だからこそ、「情報の発生源はどこか?そして、発生源に確認する」ということが大切です。
例えば…
クライエントの関係者(非専門職)から、「○○(クライエントの名前)さんを見ていると、なんだか心配で」と、クライエントについて語る、主観的評価を聞いた専門職としてまずすべきことは何か?
答えはひとつ、「もたらされた情報について、専門職としての自分の目と耳で確認すること」に他なりません。
「なんだか心配で」という漠然とした非専門職の主観的評価。
この主観的評価を、アセスメントの根拠となる「情報」に昇華させるには、まずは、事実確認が欠かせません。
2.情報の量ではなく、情報の次数をあげること
主観的評価を、専門職としてアクションを起こすための判断材料となる「情報」に昇華させるために行なう事実確認作業。
これは、情報の次数を上げる、と言い換えることができます。
『情報の次数』
一次情報とは、自分が実際に見聞きし、体験した情報のこと。
二次情報とは、自分が他人から聞いた情報のこと。
三次情報とは、情報元が誰かわからない情報のこと。
非専門職が「なんだか心配」とキャッチした違和感を、専門職としての目と耳というフィルターを通し、「アセスメントの根拠となる情報」まで押し上げるのです。
いくら情報の量が多くても、三次情報ばかりの情報であれば、それは援助過程においては、ほとんど意味を持ちません。
もたらされた情報の次数を上げることができるのは、専門職としての自分の目と耳だけです。だから、クライエントの状況がどのようなものかということを、確認すべきなのです。
3.情報の精度が落ちると、適切な評価は、より一層難しくなる
過去、現場で、こんなことがありました。
地域住民から、「○○さんが、最近、足取りが危なっかしくて、なんだか心配で」という連絡が、地域包括支援センターにあったそうで、「どうやら、病院の外来にかかっているらしい」という、これも同じく地域住民からの情報をもとに、包括支援センターの方が連絡をしてこられました。
その際に、包括支援センターの方から、「患者さんに何か変化があったら、病院の外来のスタッフからMSWに連絡がいって、そこからこっちに連絡をくれるとかいうシステムはないのですか?」という言葉を聞きました。
こちらも、包括支援センター職員として確認した事実が一切無い中で、話をされても、「医療機関として、どんなお手伝いができるか」ということが、考えられないわけで、非常に対応に困りました。
つまりは、一次情報がゼロなのです。
まずは、クライエントの様子を見に自宅へ行き、自分の目と耳で情報の次数をあげるというアクションはないのだろうか?という疑問がまず最初に浮かびました。
その上で、医療機関との恊働が必要な事項があると判断した時点で、医療機関に連絡を入れる、というのなら理解できますし、こちらも、包括支援センターの職員の方が、ご自身の目と耳で確認した情報(一次情報)を元に、組み立てられたプランがあれば、そのプランに対して、どういったサポートができるかということを一緒に考えることができます。
地域住民からもらたされた主観的な漠然とした「あの人は心配で」という訴えをキャッチした後に包括支援センター職員としてすることは、病院に外来での様子を聴くことではなく、まずは事実の把握と確認を自身の目と耳で行ない、専門職としての評価をすることだと考えます。
結果、言葉尻を柔らかく、上記のようなことをお伝えし、ご自宅に訪問されるということになり、電話は終わりました。
自分で見聞きした情報でさえ、極論、二次情報止まりとよく言われる通り、情報の精度が落ちると、適切な評価は、より一層難しくなります。
上記、本エントリで扱ったことはどんなソーシャルワーカーにも起こり得る出来事かと思います。
忙しいのはわかります。
ですが、それを言い訳にせずに、自分の専門職としての目と耳と鍛錬する実地を大切にしなければ、専門職としての技能は向上しないでしょうし、何より、クライエントに対するサポートは、「今、ここから」(クライエントの今現在)始まるのですから、そのことの意味を専門職として、考えるべきだと思うのです。
失礼な物言いかもしれませんが、協働する職種の職業的成熟度のようなものが、わからないと、「共通認識」をすり合せるためのスタート地点をまず、どこに設定するか、ということがものすごく難しくなるのだ、という学びを得ることのできた一本の電話でした。
情報の次数をあげるために、自分の目と耳で、情報源に確認する。
これを身体に叩き込まないと、アセスメントの根拠となる情報がおぼろげになり、援助の質は落ちてしまうのだろうと思う今日この頃です。
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