マガジンのカバー画像

泡沫文集

85
浮かんでは消える雑多な思考の文字起こし
運営しているクリエイター

2023年1月の記事一覧

麻雀

現在は滅多に打たなくなったのだけれど、高校生の頃は麻雀に明け暮れていた。最初は、高校は別々になったものの小中学生のときから仲が良かった幼馴染の友達と一緒に、週末が来るたび遊んでいた。中学生時代、その友達の家に集まって泊まりでテレビゲームを遊んでいて、その延長という感じだった。 金曜日に授業が終わると雀牌を持っている友達の家に集まり、その一週間の近況報告を兼ねながら徹夜で土曜日の明け方まで打ち、疲れたら昼まで眠り、起きたらコンビニやファーストフード店、ファミレスで食事を摂り、

Change the World

高校は電気科に通っていた。スポーツ推薦で脅威の身体能力を持つアスリート、アニメやゲーム好きのオタク、手に職を付けようとする強かな者が一堂に会する不思議な場だった。おまけに九割超が男子生徒で、色恋沙汰もまず聞かない状況だったから、小中学校の頃にやっていた遊びをずっと継続・発展させていた。これだけバラエティに富んだ男子生徒が集まっていると、色々としょうもない情報が共有される。プロアクションリプレイもその一つだった。 プロアクションリプレイは、端的に言えばゲームをハックする機械だ

隠れ家のレイアウト

メタバース×SNSという触れ込みで始まった新サービス、Bondeeのアカウントを作った。キャラクターのデザインが可愛くて良い。 個人的にメタバースは、二千年代初頭に話題になったが流行らなかったセカンドライフの再来だと思っていて、今回も定着には至らないんじゃないかと踏んでいる。ともあれ、使う予定がないサービスでも、いつも使っているアカウント名を他人に使われるのが癪なので、気になる新サービスが始まったらアカウントを作成するようにしている。 Bondeeでは自分のアバターが過ご

Let's play video game!

ぼくたち一九八〇年代生まれはテレビゲーム世代だ。小学生の時分、仲の良い友だちのほとんどがファミコンをはじめとしたテレビゲーム機を持っていた。ちょっと尖った子の家にはメガドライブがあり、裕福な家庭の子はネオジオを持っていた。中学生や高校生の頃には、スーパーファミコンやセガサターン、プレイステーションが登場していたと思う。 ぼくはというと、両親の頭が固かったおかげで、テレビゲーム機の類は一切買ってもらえず、友だちの家にお邪魔して遊ばせてもらうばかりで、いつも肩身が狭い思いをして

リビングの壁をキャンバスに

物心ついた頃、実家のリビングの壁はキャンバスだった。クレヨンや油性マジックで思いつくまま、壁一面に一心不乱に描いていた。 両親は止めなかったのか、止めたのに言うことを聞かないから諦めたのかは覚えていないけれど、何回か悪戯描きの上に新しい壁紙を貼っていたから、良い気はしていなかったのだろう。 キャンバスが真っさらになると、その上に新たな作品を描いていた。しかし、五歳になる頃には、リビングの壁には戸棚が置かれキャンバスに手が届かなくなってしまった。今ではどんな絵を描いていたか

折り紙

三歳頃、折り紙工作にはまっていた。色とりどりの紙の中から、これだと思う色を選び、鋏で切って、折って、糊で貼り、働く車を作るのが好きだった。出来上がったいくつものカラフルな車で、ひとり遊びに興じるのが、保育園に行かない日のぼくの家での過ごし方だった。 ある時、母がいつもと違う紙を買ってきて、「これからは折り紙の代わりにこっちの紙を使ってね」と渡してきた。たしか折り紙よりも厚みがあった。作品が頑丈になるから壊れにくくなり、何度も紙を買い直さなくても済むという母の算段があったので

歴史

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。 歴史の授業が嫌いだった。出来事とそれが起こった年の組み合わせを暗記させるだけの授業がつまらなかった。例えば、江戸時代は何年から何年までと言われても、高々十二年しか生きていない中学一年生の自分には、どれだけ昔でどれだけ長く続いたのか全くイメージできなかった。 その頃の自分に歴史を教えるなら、一番最初の授業に十万年前から現在までの年表を実寸の縮尺の数直線で書き、時代毎のダイジェストを紹介するだろう。そして、江戸時代は君の生きてきた人

散髪

土曜日の朝、晴れて気分が良かったので散髪した。 人に話すと結構驚かれるのだけど、二十年くらい髪の毛を自分で切っている。接客をしなければいけない職に就いていた何年かは美容院に通っていたんだけれど、転職や引越しを機にセルフカットに戻ってしまった。 そもそも髪型に頓着がない。物心ついた頃には父親の髪が薄くなり始めていて、両親から「あなたは父さんの若い頃と髪質が似ているから禿げるのを覚悟しておきなさい」と言われ続けてきたせいかも知れない。 当時の父は三十代前半から半ばで、母から

視力

幸運なことに目を酷使する仕事をしている割に視力が良い。両目とも1.5だ。眼鏡やコンタクトが無いと生活できない人からは羨ましがられるが、はっきり見える事で困ってもいる。「見たくないものまで見えてしまう」なんて斜に構えた抽象的で哲学的な台詞をどこかで聞いた気もするが、現実は非常に具体的で身体的で切実だ。しかも他人からすれば矮小に思える問題だろう。飛蚊症が鮮明に見える。 快晴の日の日中は特に状態が良くない。周囲が明るいと瞳孔を絞って網膜に届く光量を下げようとする影響で被写界深度が

何でも食べる

食べ物の好き嫌いが全く無いし、食わず嫌いも無いので何でも食べる。 三歳の頃には砂場の砂まで食べていた記憶がある。味も未だに鮮明に思い出せる。なんか美味しかったんだよね。

寒さが苦手

寒いのが苦手だ。冬の朝はもちろん起きられない。連日、始業時間の直前まで布団に潜ってぬくぬくしている。 急な雨で身体が濡れるのもテンションが下がる。傘を持っていたとしても、靴下やズボンの裾が濡れたまま、どんどん身体の熱が奪われていく状況は耐え難い。来週は関東でも雪が降るとか。嫌になっちゃうね。 分子は熱を加えると運動が活発になり、冷やすと動きが鈍くなる。寒いと気分が下がるのも、同じ仕組みかも知れない。

What is your favorite food?

上記記事では敢えて触れなかったが、持続可能性あるいは経済合理性の観点から肉食を止めようというヴィーガン派閥も存在する。要するに畜産・養殖業よりも農業の方が環境負荷やコスト、育成に要するエネルギー等が低いから後者の方が相応しい人間の在り方だとする説だ。 しかし、経験的に身体の健康を維持するのに必要十分な栄養素、特に蛋白質 (体重1kgあたり毎日2g) を全て植物由来で摂取しようとするとかなり無理が生じる。例えば、蛋白質の含有量が多いことで知られる大豆は脂質も多く含み、必要な蛋

Shall we eat dinner?

先日、ある友人と数年ぶりに会った際、ヴィーガンの話題になった。一見、意識の高そうなトピックに見えるが、正確にはそうでもない。食事時に食の話題になっただけだ。 彼曰く「ヴィーガンの思想は理解できる。俺は猫や犬が好きだから、動物全般について、食べるのは可哀想だと考える人もいて当然だ」と。「なるほどなぁ」なんて相槌を打って別の話題に流れたけれど、頭の中の「未解決」の引き出しに乱雑に放り込まれたまま残っていた。 彼の言う可哀想仮説からは、「動物は可哀想だから食べないが、植物は可哀

リモートコミュニケーション

リモートワークを3年ほど続けている。チャットやメール、ウェブ会議でのやり取りが多く、これらのコミュニケーションを円滑に行うために、指示代名詞やオノマトペに頼らない表現を対面時にも増して心がけている。 言葉では伝えられない事柄もあるかも知れないが、業務に限っては皆無だと言って良い。正確に伝わらない背景には、伝えようとする者の怠慢、汲んでくれるだろうという甘えが少なからず存在する。無論、彼らは無意識に雑な言葉を選択してしまっているだけで悪気はない。無頓着なだけで罪はない。 不