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土曜日の朝、晴れて気分が良かったので散髪した。

人に話すと結構驚かれるのだけど、二十年くらい髪の毛を自分で切っている。接客をしなければいけない職に就いていた何年かは美容院に通っていたんだけれど、転職や引越しを機にセルフカットに戻ってしまった。

そもそも髪型に頓着がない。物心ついた頃には父親の髪が薄くなり始めていて、両親から「あなたは父さんの若い頃と髪質が似ているから禿げるのを覚悟しておきなさい」と言われ続けてきたせいかも知れない。

当時の父は三十代前半から半ばで、母からすれば、そんな相手を選んでしまった自己嫌悪、あるいは愛してしまっている自己肯定であっただろうし、父からすれば我が子の将来への憐憫と諭し、あるいは単に呪いであったのだと思う。どちらにも直接訊ねていないので、想像の域は出ないのだけど。

ぼくはといえば、二十代中盤から白髪が生え始め前髪の生え際も年々徐々に後退してはいるけれど、両親の予言に反し、四十代の今になっても未だに毛量が多く直毛で、芝犬の毛並みを思わせる。同じ頃の父は、前頭部も頭頂も地肌が露わになっていて、コントラストがはっきりしている。そんな父もいつしか綺麗に禿げ上がり、還暦を迎えた頃からはスキンヘッドにして、今も楽しく暮らしているようです。中途半端に残そうとあれこれ悪足掻きするよりも潔くて清々しいですね。

父の頭髪史から話を戻すが、二十年も髪を自分で切っていると、そこそこ上達するもので、バリカンと梳き鋏で適当に仕上げても、その辺の適当にしているおじさんの平均よりは様になっていると思う。失敗しても一週間も経てば、美容院で切ったのと区別が付かなくなるという粗雑なマインドと、先にも書いた髪型への無頓着が高を奏しているのかも知れない。今回の散髪でも後頭部の出来栄えに一抹の不安はあるが、次第点と言って良い完成度に落ち着いたと思う。

あまり馴染みのないゲストとのアイスブレイクに「髪切った?」と問いかけていたサングラスの司会者とそのモノマネをする人に影響されてか、髪型について、常にみんなに気にされている / みんなを気にしなければいけないと思い込んでいる人もいるんだろうけれど、それが当てはまるのは美男美女くらいのものだと思う。殊に一般の中年男性の髪型に限っては、気にしなければ角が立つ状況なんて、冠婚葬祭や一世一代の商談、大切な人との記念日のデートくらいだろう。もちろん、誰だっていつだって綺麗にしている方が気分が良いし、整えておくに越したことはないんだろうけどさ。

なるほど。二十年間殆ど、そんな日が無かったのか。

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