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【Forget-it-not】第二十四話「神々の国へ行くには」

 あくる日、わたしは浅倉家について知るために、母方の実家に電話をした。母の実家は紀中地方なのだけど、もともとは紀南地方に住んでいたと聞いたことがある。だから家系をたどればなにかが分かるかもしれない。

 祖母によると、人物像が明らかのは高祖母までとのことで、その高祖母は一九〇一年に生まれ、大正時代の初期までを紀南地方ですごしたらしい。その後、紀中へ引っこして、曾祖母の代からは三代に渡って紀中で生まれすごした。それが母の代になると、短大への進学で大阪へ出た母と父とが出会い、父の仕事の関係で現在の実家へもどってきたそうだ。

 これを瑠璃に話すと、ブルームーンの話と繋がりがありそうだと彼女は言った。

 大正時代は十五年間であるから、初期は最初の五年にあたり、西暦になおせば、一九一四年から一八年のあいだとなる。その時代を紀南ですごし、それから紀中へ行ったのなら、紀中に移ったのは一九一九年から二三年のあいだ。百年前のブルームーンは一九二一年の五月だから、そのてまえで紀南を離れたと解釈できる。

 つまり、ブルームーンの前になにかがあって引っこしたということだ。しかしこまかな出来事を祖母に聞いても『昔のことだからわすれちゃった』とのことで、唯一それらしい手がかりとしては、高祖母は生前、祖母に対し『南へ行ってはいけないよ。お月様に心を奪われてしまうから』と度々おどかされていたらしい。祖母が理由をたずねても、頑なに教えてはくれなかったとのことだった。

 電話を終えたあと、地元の言い伝えに似た話はないかと調べてみると、紀南地方には『桂男かつらおとこ』という妖怪の伝承がつたわっていて、満月でない日に月を眺めていると、桂男が手まねきをし、彼にまねかれた者は命をちぢめる、あるいは命を落とすという話があった。

 神社の噂話の魔物に連れていかれる、というのとよく似た構造の話だ。また、竹取物語に出てくる天の羽衣には物思いをなくす効果がある。人間とほかの生物、あるいは人工知能とをへだてるのは、複雑な心を持っているか否かであるから、ある意味では物思いを奪われるというのは、人間としての命を奪われるにひとしいとも言えなくはない。

 つづけてわたしは本屋で買った熊野地方に関する本と、インターネットの情報を使い、地元の伝承について調べた。

 それらによると、むかしお坊さんが、那智の浜辺から木の舟に乗って浄土を目ざす、補陀落渡海ふだらくとかいなる習わしがあったそう。舟にはすこしの食べ物と油しか乗せず、お坊さんは生きたまま広大な太平洋に繰りだし、浄土を目ざした。彼らは海の先に仏となれる理想郷があると信じていたのだとか。

 この話は、舟に乗った巫女たちが常世へ渡っているさまを描いたあの壁画とつうずるのではないだろうか。ことなる点があるとすれば、壁画では舟が木ではなく葦でできているのと、巫女が舟を漕いでいること、そして場所がずれていることの三点。舟の形状はともかく、巫女は神に仕える者であるから、神々の国へ行くには彼女たちの力を要し、また、あの場所から行くというのが重要であるように思える。

 それから志津の岩屋についても探った。瑠璃が居酒屋で言っていたとおり、志津の岩屋は国造りに際した大国主たちの仮住まいで、その候補は全国各地にあり、有名なのは島根県の静間町しずまちょうにある静之窟しずのいわや邑南町おおなんちょうの志都の岩屋、そして熊野の志津の岩屋の三つである。

 わたしは当てられている漢字のちがいに着目した。志津を漢文読みすると、志が動詞、津が目的語で津を志すとなり、津には港や渡し場という意味があるから、瑠璃のメモ帳の『港を志す舟はイサナに迎えられる』という意味にも合っている。では、どこの港かと問われれば、常世の港以外にはないだろう。つまり常世へ行くには、青い満月の出る晩に志津の岩屋から巫女を乗せた舟を出す必要があると推しはかれる。また、渡世という苗字は世を渡ると読めるから、巫女は現世と常世のかすがいとしての役割があるのかもしれない。

 満月である理由は中学の理科の知識で読みとける。新月と満月の日には大潮になって、海面が月に近づくから、もっとも月に近い日に常世に行けるのだ。新月の日ではないのはおそらく、あの月の光の絨毯に秘密があるのだろう。

 そこまで考えて力つきたわたしは、休憩がてら本を読む瑠璃をながめることにした。いまは竹取物語を読んでいるらしい。瑠璃は頁をめくるたび、視線を左から右へゆるやかに動かし、それから数分間ぼんやり虚空を見つめると、また頁をめくっては同じように読みすすめていて、そのひとつひとつの所作や仕草が知性的で美しく、わたしの心をくすぐった。

 小一時間そうしていると、瑠璃は本を閉じてこう言った。

「構ってほしいの?」
「……犬じゃないんだから。考え過ぎでおでこが痛くてさぁ」
 とわたしは眉間を撫でる。

「今日はこの辺りにしておこうか。急がば回れという諺もあることだし」
 瑠璃は本を置く。

「ねぇ、瑠璃って絵描くんでしょ? ちょっと見てみたいかも」
「いいよ。大したものではないけれど」

 わたしたちは玄関左奥の和室に入った。てまえ側が寝室になっていて、昨日はそこでふたり並んでねむった。なんでか前より緊張するのだった。

 その部屋には、哲学書や文学者の全集の入った本棚がひとつと、黒い立ち机――上にはノートパソコンが置いてある――絵を描くためのいろいろな道具の収められた、背の高いシェルフがあった。そして部屋の中央にイーゼルが配され、そこに立てかけられたスケッチブックには、わたしによく似た片目の青い女性が、写実的なタッチで描かれていた。

 彼女は「おっと」という声が聞こえてきそうな、ややおどろいた表情でこちらをうかがっている。深い茶いろの長髪は、わたしと同じ癖のすくない髪質だ。画面外に伸びた逞しい腕。この腕に、わたしは夢のなかで抱かれたのだろう。立派な肩の温かさもありありと思い出せる――そういえば、愛してる以外にもなにか言われた気がする。とても重要ななにかを。

 思い出そうとしても、あたまに霧がかかったみたいに思い出せなかった。わたしは痛むあたまを撫でながら、
「これがお姉ちゃんかぁ」
 としみじみ言った。
「美春の記憶で視た姿を紙に写しておこうと思って。彼女がこの世界にいた証拠を少しでも多く残しておきたいから」
「もしかして朝から?」(わたしは昼すぎに起きたのだ)
「うん、それと一昨日の夜も」
 わたしは絵を見つめながら、
「いいなぁ、愛されてて」
 とおぼえずつぶやいた。
「私は美春のことも愛している」
 と至極当然のことのように言うので、全身が熱くなった。

「……そりゃどうも」
 瑠璃の微笑の気配を感じる。

「眠れない日はこういう絵を描いたり、あとは楽器を触ることもあるかな」
「楽器もできるの?」
「小さなコンサート会場に行って記憶の粒子を見れば、プロやそれに準ずる人の知覚体験ができるから、後はそれを再現すればいい。勿論、簡単ではないけれど」
 と瑠璃は折れ戸の押し入れからフルートを取りだして、かるく吹いてみせる。彼女のしらべは、翠にかこまれた泉から発せられる、清らかな水音のように麗しく、どこかから小鳥たちのさえずりまでもが聞こえてくるようだった。閉じられた両のまぶた、薔薇のくちびる、凛と伸びた背筋、桜の花びらのように舞う指先、そのすべてが美しい。

 瑠璃がくちびるをはなす。

「瑠璃ってほんとすごい」
 とわたしは拍手をする。

「美春にもできるよ。教えてあげる」
 と瑠璃はわたしにフルートを手わたして横に並び、手とり足とり教えてくれた。瑠璃の指はわたしの指を一本々々正しい位置へとみちびく。それが肩に触れると、余計に入った力を浮き輪の空気をぬくみたいにぬいてくれる。けれども息を吹いているところをじっと見つめてくるから、緊張してうまくできなくて、それがさらなる硬さを生んでしまい、わたしの顔は熱くなるばかりだった。

 正直、瑠璃はある意味では教えるのに向いていないと思う。
 わたしたちは夜が起きる時刻まで、蜜蜂と花のようにたわむれたのだった。


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