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【Forget-it-not】第二十五話「竹取物語」

 あくる日の火曜日、昼前に起きたわたしは、寝おきの顔を瑠璃に見られないようそそくさと身なりを整え、彼女の作ってくれた朝食兼昼食を食べた(瑠璃は料理までわたしより上手なのだ。正直に言うとくやしい)。

 食べてるさいちゅうに、泉水と榛名に今回の件を話して協力をあおいでもいいか、と聞いてみた。瑠璃は美春の信頼する人なら構わないと言ってくれたので、彼女たちに姉のことを書いたメッセージを飛ばそうとしたのだけど、榛名の父親のことが気になって『今度会ったときに大切な話をしたい』とだけ送っておいた。

 誇大妄想かもしれないけど、榎本姉妹の父親が事件に巻きこまれてたとしたら、どういった人が加害者になりえるかと考えると、右翼活動家みたいな人たちか、大学内で権力争いを繰りひろげている学閥か、もしくは神武軍の末裔の三択になると思う。前者ふたつはともかくとして、後者であるなら八尺瓊勾玉の力を使い、電波ジャックを行えたとしても不思議ではない(それを言うと、ここで話していることもダダもれかもしれないけど、どこかで線びきは必要だと思う)。わたしがこの二年、指輪を付けていても無事だったのは、たまたまなのか、それとも――――

「美春?」

 瑠璃に声をかけられ、意識は現実にもどった。彼女は竹取物語の考察をまとめ終えたそうで、内容を話したいらしい。昨日言っていたのだけど、瑠璃は話したがりな性格なのに、いままでは自分の話を理解してくれる人、理解しようとしてくれる人がいなかったがために、仕方なく聞くほうに回っていたそうで、わたしが話をまともに聞いてくれるのが嬉しいみたいだ。

 わたしは彼女の話に快く耳をかたむけた。

 この作品は作者不詳、原本散逸、執筆された年代もはっきりとはわかっておらず、古事記編纂へんさんののちの時代の平安初期ごろと推測されるにとどまる。

 竹取物語に登場するおきなおうなは山林に住まう夫婦で、竹に手をくわえた品をあきなう貧乏な暮らしをしていたのだけれど、かぐや姫を迎えいれてからというもの、竹のなかから黄金が湧きでるようになり、夫婦はたちまち富豪となった。そしてそれを使って都に住まいをかまえ、貴族の仲間いりを果たす。これが序章である。

 次のシークエンスでは、かぐや姫をめとるために五人の貴族がつどい、かぐや姫に結婚の条件を提示される。その条件とは、古今東西にあるとされる伝説上の宝を持ってこいというものだった。

 あまりの無理難題であったため、彼らは宝を得るのは不可能だと半ばはあきらめた。けれども、珠玉しゅぎょくの美貌を有するかぐや姫をわがものにしたいという欲は消えず、彼らは彼女を手中におさめたいがために、心ない行動をおこす。ある人はお金にものを言わせ、模造品をつくって献上し、またある人は権力をもちいて他人に宝を探させ、別な人は旅の途中で他人の助言をかろんじた結果悲惨な目に遭い、あるいは燕の営みをさまたげ、あげくのはてにはかぐや姫に噓偽りをのべるなどした。

 そんな不誠実な彼らのたくらみは、かぐや姫にことごとく見やぶられ、縁談は次々と破綻していく。失意のなか失踪する者、離縁した妻に腹がよじれるほど笑われる者、病に伏して命を落とす者が出た。かぐや姫は命を落とした中納言の結末に、すこしあわれに思ったと描写される。

 このシークエンスでは、貴族はかぐや姫への愛情も誠意もない、ただ美しいものを手に入れるために力をふるう浮華な人間として記されていて、これはそのまま当時の貴族社会への批判とも受けとれる。

 その後、帝でさえもがこの非難の対象となり、かぐや姫の意よりも自分の意を優先する、思いやりに欠けた行動や、権威をいたずらに振りかざすさまが描かれ、彼女はそれを頑として受けいれない。

 かぐや姫ははじめ、感情の起伏のすくない人間として登場するのだけれど、人間社会とかかわるうち、徐々に感情の芽が萌えたち、月の都に帰らねばならないと知ったときには、翁や媼との別れを惜しむようになる。

 これはかぐや姫の昇天の場面になるとより強調され、彼女との別れを受けいれられずに物思いをする地上の人々と、物思いのない天上の人々が対比される。月の都は仏教の浄土信仰と、神仙しんせん思想の混ざったような、一切の穢れのない清らかな、老いも死もなく悩みもない理想郷として描かれ、そこに住む月の住人は地上を穢きところ、つまりは穢土えどと呼称する。しかしかぐや姫は月に行くのに老夫婦の最期の瞬間までいっしょにいられないのを「本意なくこそ覚えはべれ」と言い、帝への手紙では「口惜しく悲しきこと」と言うように、月の都へ行くのを拒んでいるように書かれる。つまり作者は仏教的、神仙的思想を辞んでいたと考えられるのだ。結婚云々のシークエンスに出てくる、仏の御石みいしの鉢と蓬莱の玉のはそれぞれ、仏教と神仙思想にかかわる代物であるが、けっきょく貴族が持ってきたのは、紛いものと口先だけの歌だったことからも、当時の社会にはびこる思想を好く思っていなかったと言えるだろう(*¹)。

「浄土信仰ってなんだっけ」
 と瑠璃に質問する。

「簡単に言えば、人が死に際すると阿弥陀仏が迎えにきて、極楽浄土で仏にしてもらえるという考えだね」
「あ~、他力本願ってやつ?」
 瑠璃はうなずく。

「他人任せってどうなんだろうね」
 わたしの脳裏にはいままでの恨みつらみ――学級委員や生徒会、文化祭の実行委員および劇の主役、修学旅行の班のリーダー、連泊のお客の部屋の清掃をやらされたこと――などが浮かんでいた。

「おそらくは、死の恐怖を和らげるために、現世の次には来世があり、そこで救われると考えたんだろうね。平安時代は個人の努力でどうにかなる時代ではなかったから、人間を超越する何かが救ってくれると信じるしかなかったんだと思う」

「なんか切ないなぁ。でも仏教っていろいろ宗派があるよね、悟りがどうのとかさ。それとは――それについてはどう思う?」

 思想自体にはあまり興味はなかったのだけれど、日本最高学府の哲学科の実力が気になって聞いてみた。すると瑠璃の瞳は輝きを増した。

*¹)こちらのサイトを参考:https://00m.in/uphTB

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