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【Forget-it-not】第二十八話「安倍晴明の伝承」

 あくる週の月曜日、わたしは久方ぶりに大学におもむき、泉水といっしょに構内のカフェのテラス席で榛名を待っていた。屋内は暖房が効きすぎていて暑いと泉水が言ったのと、ほかの人に聞かれたくない話もあったので、しぶしぶ寒空の下にいる。

 わたしはまず、泉水にすべてを打ちあけた。泉水はおどろくでもなく、真剣に話を聞いてくれて、最後にはややいら立った様子を見せた。

「何か腹立つなぁ、そいつら。正々堂々やらずに好き放題やるなんて私は嫌いだな。男だろうが女だろうが正面切ってやれよって話」
「あはは、ホントにね」
「私も色々おかしいなぁとは思ってたんだ。榛名と出会ったときのことは覚えてるのに、どうやって仲を深めたか、みたいなことは全然覚えてなくて。美春のお姉さんと関わりがあったのかなぁ」
「かもね」
 泉水は活発な笑みを浮かべ「よし!」拳を握る。

「そういうことならもちろん協力するよ。頭を回すのは苦手だけど、変なやつがいたら私がぶっ飛ばしてやるから」
 とパワーリフティングや格闘技で無双中の泉水は言う。

「ありがと、頼りにしてる」
 彼女は根っからの戦闘民族なのか、「めちゃくちゃアドレナリン出てきた」武者震いをし、景気づけにケーキを頬ばった。わたしは信頼できる友人のすがたに目をほそめ、ミルクコーヒーの容器を両手で包みこむ。水の分子のいとなみがほのかに伝わってくる。ケーキを二秒で平らげた泉水は、
「うーん、にしても月かぁ。月に関する伝承だったら、ウチの近所にもあるんだけど」
 ブラックコーヒーをすする。

「そうなの?」
 彼女は容器を置くと腕を組み、明朗な滑舌で話しだす。

「色々なパターンがあるんだけど、私の聞いた話では、大昔に美しい心を持った娘がいてさ、その子は来る日も来る日も月を見てたんだって。なんでかはしらないけど。そうしたら、この世界を創った三人の神様が、その子の純粋無垢な心に感心して不思議な力を与えたとかなんとか。その日が旧暦の十一月二十三日だったかな。で、あとの時代になってその話を聞いた人たちが、熊野三山を開いて神聖な地とした、みたいなね」

「へぇ、三人の神様に旧暦か……」
 わたしは天地開闢の三神と太陽太陰暦が云々という話を思いうかべた。テーブルのスマホを手にとり、瑠璃にメッセージを飛ばす。これは事実だから送っても大丈夫だろう。

「なんか他にはない?」
 泉水はシャープなあごに手を当てて考える。

「不思議系の話でいうと、安部晴明っているでしょ、陰陽師の。その人が熊野地方に来たことがあったらしくて、あるとき、とある村の住民に獣害をどうにかしてほしいって頼まれたらしいんだ。そのときに晴明は十一月二十三日を私の忌として祀れって言って、村の人がそれを実行した結果、その村から獣害がなくなった、みたいなのもなんでか知ってる」
「安倍晴明」
「そ、妖怪退治伝説みたいなのも有名かな。それは忘れちゃったけど」
「妖怪まで」
「まあ、あの地は昔からパワースポットみたいな感じだったらしいから。仏教なんかでは、あそこが補堕落浄土だって云うみたいだし」
「ふだらくじょうど」
「うん、今回の話とも繋がってんね」
 わたしはもう一度、瑠璃にメッセージを飛ばした。返信には『多少面白いことが分かった。今度会ったときに話すね』と書かれてあった。

「にしてもさぁ、美春、顔つき変わったよね」
 わたしは顔をあげる。
「そう?」
「うん、前はもっと辛気くさい顔してたじゃん?」
「自分じゃわかんないけど、まあ、そうかもね」
「その白雪さんってそんないいんだ?」
 と泉水がにんまりと笑う。

「いいとかわるいとかじゃないし」
 わたしは目をそらす。

「ふぅん、なるほどねぇ」
 と泉水は分かったような口をきく――「浅倉さんは白雪さんがお好きなのですね」――突然、となりから声が聞こえてきて、わたしはペットボトルロケットみたく飛びあがった。顔を向けた先には、同期生の晴嵐さんがすわっていた。

「いつの間に」
「ふふ、私を呼ぶ声がしたので」
「晴嵐さん久々じゃん。元気してた?」
 と肝っ玉の泉水が言った。

「ええ、私は元気です。お二人も元気そうで何より」
「いま死にそうになりましたけどね」
「それは失礼。存在感が薄いものですから」
 と晴嵐さんは淡々と言う。

「というか、瑠璃のこと知ってるんですか?」
「この間、暇をつぶすべく大学に赴いたら、エルフのように美しいお嬢さんが歩きにくそうにしていたので、畏れ多くも私がエスコートさせていただきました。そのときにお名前を拝聴いたしまして」
「へぇ、そんなに綺麗なんだその子。見てみたいな」
 泉水が瑠璃に興味をしめしたのに、なぜだかわたしが嬉しくなった。

「そのうちいっしょに行こ? 晴嵐さんもどうですか、よろこぶと思いますけど」
「あなたたちが望むのなら、私はいつでも駆けつけます」
「出た、不思議ちゃん」
 晴嵐さんは微笑し、音もなく立ちあがった。

「世の中は神秘に満ちていますから。それでは、用事ができたのでこれで」
「あ、はぁい」
「気ぃつけてね、変な人についていかないように」
「ふふ、気を付けます」
 榛名よりおおきく、雪乃さんよりちいさい晴嵐さんは颯爽と去っていった。

「なんか不思議な人だよね」
「私からすると美春も十分不思議だけど」
「わたしはぜんぜん普通でしょ」
「まあ、変わった人って皆そう言うよね」
 彼女と入れかわるかたちで、トレーにホットドッグとカフェモカを乗せた榛名がやってきて、機嫌よく泉水のとなりにすわったのだけど、一陣の木枯らしが吹くと顔をしかめ、赤みをおびた鼻をすすった。

「さむくない?」
「そっかな。むしろあったかいけど」
 と薄着の泉水が返す。今日の泉水の恰好は、丈のおおきくジップを開けた紺のパーカーに、謎の英字を刻んだ白シャツを合わせている。その文字はいまにも矢を放ちそうな弓のようにたわみ、彼女から一刻も早く逃げだそうと画策しているようだった。机の下の靴は、二艘の旅客船のようにおおきな肉厚のものを履き、下半身にはショートパンツを身に着け、健やかな太ももをあらわにしていた。

 いっぽうの榛名は退紅色のコートに白いマフラーを巻き、その上にふたつに結んだ明るい茶の髪を寝かせてある。薄桃のちいさなくちびるから覗いた歯はカチカチとふるえ、暖をもとめるのに容器を手で包みこむが、包みきれなくて、蜜柑いろの爪がのぞいている。

「泉水は代謝よさそうだもんね」
 と季節感のおかしな友人に言いながら、鞄から小包を取りだし、榛名に差しだす。

「はい、こないだ誕生日だったでしょ。おめでと」
 わたしが言うと、榛名は川面から飛びあがる鮭のように口角をあげ、よろこびを全身からほとばしらせた。

「わすれられてると思ってた」
「メッセージ送ったでしょ」
「そうだった! ありがと、開けてい?」
 とかわいらしく小首をかしげる。

「うん。ま、たいしたものでもないけどね」
「気持ちがうれしいんじゃん」
 榛名は包みを丁寧にむいて箱を開けると、漆黒の万年筆を手にとり、大げさによろこんだ。

「かっこいい!」
「自分じゃ選ばない感じのがいいかなって」
「うん! ありがと、大切につかうね」
 わたしは笑顔で答える。

「泉水にはなにもらったの?」
「このマフラーもらったの」
 と榛名はちいさな手でマフラーの両の端を持ちあげ、自慢げな顔をする。

「へえ、かわいいじゃん。フリルついてるのって珍しいね」
「手あみなんだよ、すごくない?」
「マジ? 泉水って意外と器用だよね」
「意外は余計だけど、去年からちょこちょこね」
 と泉水は前髪をいじりながら言った。

「ふぅん、なるほどねぇ」
 とわたしはいじのわるい笑みを向けた。

「なんだよう」
「別に?」
「で、榛名にも話すんでしょ、早く早く」
 泉水は露骨に話題をそらした。

 わたしは泉水にした話をそっくりそのまま榛名にもつたえ、神代時代について知りたいんだよねと言った。考古学科の榛名は胸を張る。

「むかしの話ならまかせてよ、古事記のかみよの時代ってようは縄文時代でしょ? それはわたしの得意ぶんやだから」
「お~さすがは榛名様だ」
 わたしは拍手をし、彼女が気持ちよく話せるように持ちあげる。榛名の生態をよく知る泉水も合わせてくれた。

「よし! それではしょくん、ごせぇちょうあれ」
 榛名はふんぞり返ってブリッジをしながら語りはじめた。

 舌たらずな彼女の話はこのようなものだった。


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