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【Forget-it-not】第二十九話「縄文時代は愛の時代か?」

 世界的な文明といえば、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河の四つの地域が有名だけれど、縄文当時の日本にも、それらに匹敵するかもしれない文明があったそうで、それを指ししめすように、日本各地で世界最古級の磨製石器や土器、遺跡などが発見されている。

 特筆すべき点としては、海外で見つかる道具には、人間をあやめる目的のものがおおくふくまれているが、縄文時代のものには対人用の道具は見られないそうだ。これはその時代に戦争行為がなかったことを示している。日本に戦争が生じたのは、渡来人の流入の盛んになった弥生時代かららしく、それ以前の大和民族は、弥生時代のはじまりまでの久遠の時を、平和と共生の文化のなかで暮らしていたのだそう。

 それを裏づける証拠に土偶がある。出土する土偶のおおくは妊婦を模したような形をしていて、そのほとんどが人為的に壊されているらしい。なぜそんなことをするのかというと、医療の発達していない文明では、出産のリスクはかなりたかく、母親と子どもが出産時に亡くなってしまうことがおおかった。それを防ぐ目的で、縄文の人々は、つわりの来る前に妊婦を真似た人形をつくり、その人形を先に壊しておくことで、事前に死を終わらせ、神様に母子を連れていかないでくださいとお伺いをたてていたのだ。

 このほかにも、土偶は破壊と再生を司っていたとする説もある。縄文時代にはすでに栗の木などの植林がおこなわれていた形跡があり、ここからは、生活のために切りひらいた森に栗の木を植え、採れた実を食料としつつ、木が育てばまた伐採して植えるを繰りかえしていたことがうかがえる。縄文の人々は、痩せた森林や、収穫後の田畑の再生のために、子どもという命を生む女性を模った土偶をつくり、それを壊すことで、自然の再生をうながしたのではないかと云う。その根拠となるのが古事記のなかにある、ひとりの神の亡骸から複数の神が生まれる描写で、これは生は必ず死をむかえるが、その死からはまた生が生まれるという考えのあらわれなのだ。

 これが世界史となると、干ばつや不作、洪水に際して行われた祈りの儀式には、土偶の代わりに女性や子どもを使用していた痕跡が見られる。つまりおおくの人類は、安心安全な実りある暮らしのために、大切な人をも犠牲にしていたのだ。

 また、縄文時代の女性のお墓からは、よろづの装飾品が出土していることから、そのころの男性たちは愛する人のために、一所懸命に耳飾りや腕輪などをつくり、心をこめて贈っていたことが分かる。ほかにも、身体の不自由な人を介護していた形跡が見られたり、犬を丁寧に埋葬したお墓が見つかっていたり、貝塚も単なるごみ捨て場ではなくて、食べ物のお墓だったとする説もある。

 これらを総べると、縄文時代の大和民族は自他を愛する、思いやりにあふれた民族だったと言えるらしい(¹注)。

「へぇ、ぜんぜん知らなかった」
 とわたしは榛名の言葉を手帳にまとめながら言った。

「学校だと、はじめの授業のじゅっぷんかんでおわるからねぇ」
「一ページくらいしかないもんなぁ」
 と泉水が言った。わたしはボールペンを置き、
「わたし的にはおじさん達の小競りあいよりは面白いと思ったけど」
 退屈な歴史の授業を思い出す。

「ほんと? それなら話したかいがあるなぁ。でもまあ、いろいろ学説みたいなのはあるけどねぇ。戦争はじつはあったんじゃないかぁとか」
「え、そうなの? ヤだなぁ、ちょっとくらい平和な時代があってもいいと思うけど」
「考古学は出土したモノっていう事実を解釈するのがきほんなんだけどね、たとえばだけど、千ピースのパズルのうち、十ピースしかない状態で全体像をはあくするのってむずかしいでしょ? だから事実をもとに解釈してもさぁ、いろいろな結論になっちゃうんだよね。だから、こうゆう事実もあるから、こうも考えられまへんか~みたいなことがおこるの」
 と榛名は切なげな顔でため息をつく。

「いろいろしらべてみるとさ、人間にちかいどうぶつのチンパンジーなんかも、群れどうしであらそったりしてるんだよね。だから人間やお猿さんにはもともと戦ったり、争ったりする構造みたいなのがきざまれてるって。でもわたしはそうは思いたくないな。だって世の中には、ゴリラやボノボみたいなおだやかな子たちもいるし、人間もそっち側だったらいいなぁみたいなね」
「じゃあ榛名はボノボだねぇ」
 と泉水が榛名に肩を寄せる。

「いずみんはゴリラっぽいよね」
「いいじゃん、ゴリラ強いし。美春はなんだろねぇ」
「かわいいやつにして?」
「ボノボもかわいいじゃん!」
「うーん」
「まあ、美春は猫って感じだよね」
「あ~わかる。なついたらかわいいだろうなぁ」
 と榛名はとおい目をした。

 個人的には十二分に懐いていると思うのだけど、それを口にすると懐いていてもかわいくないということになるので、黙っておいた。

「ともかく、月の民って人たちがどんなかんがえをもってたのかはなんとなくわかるんじゃないかな」
「うん、ホント、ふたりともありがとね」
「「いいってことよ」」
 と肩を組んでいるふたりはピースをする。なんだか左側だけハサミのおおきい蟹みたいだった。

 わたしは考える。

 縄文時代の人々の心は、弥生以降の歴史には反映されていない。大和魂やわびさびともちがう、もっと人間として基本的な心が神代の時代には流れているような気がする。

 人間は海を見るように歴史を見る。海はとおくからながめれば、おだやかで美しいもののように思えるが、実際に中に入ると、海流や波で自由に動けず、生き物の血みどろの生存競争が繰りひろげられ、あくたが浮きつ沈みつしている。平安のみやびやかな文化も、戦国の猛々しい時代も、大正の華やかな浪漫も、すべては歴史の全体の一側面でしかない。それはきっと縄文も同じなのだろう。ただ、歴史へのあこがれを元素レベルにまでつきつめたときに残る一文字に、その時代の底を流れる本質が見られるように思う。縄文の一文字はほかとはすこしことなる字を描きだす。平安が雅、戦国が武、大正が華であるなら、縄文は愛なのだ。

 人間はひとしく幸を求めて生きているのに、人生のなかで、心の底から幸せだと言える瞬間はすくない。美味しいご飯を食べられて幸せ、おもしろい映画を見られて幸せ、では、それ以外の時間は幸せなのだろうか。

 人間の生活の幸せはちいさすぎて、ほとんどの人間が人生単位での享楽を得られていない。それはきっと、憎しみのなかの愛に生きているからなのだ。

¹注)縄文文明 世界中の教科書から消された歴史の真実を参考


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