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【Forget-it-not】第三十話「月の都からの接触」
一週間後の月曜日に、ふたたび瑠璃の家に行った。前の週は木曜が祝日になっていたため、木曜から日曜までアルバイトのシフトがびっしりと入っていて、行きたくても行けなかったのだった。
わたしたちは泉水と榛名の話をふまえ、いままで得た知識をパズルのように組みあわせつつ、思考を飛躍させた。
まず、古事記における伊邪那美は、自然を擬人化させた存在であると考えられる。なぜかというと、海も島も森も動物も、すべては自然が生みだしたものであるからで、国生みに際してすべてを生みだした伊邪那美が、自然の神であると考えるのは妥当な帰結だろう。
対して伊邪那岐は人間という種の擬人化だと思う。伊邪那美と伊邪那岐のいとなみによって、豊葦原の千秋長五百秋の水穂国が生み出されたのはすなわち、自然のめぐみと人間の知恵によって、この国が生みだされたことをあらわしているのだ。
結婚をしたふたりが神産みをおこなう際、伊邪那美からさそうと不具の子が生まれ、伊邪那岐からさそうとうまくいった。これはなにも男尊女卑がどうのといった単純な話ではなく、自然が意思を持って人間に関われば不具合が生じ、人間から自然に関わるのは具合がいいという話なのだ。
現実でも、自然から人間に語りかけてくることはないが、人間は常に自然に語りかけている。もしも現実の世界で、自然が意思をもって接してくれば、人間は成すすべなく自然に隷属するほかはなくなる。なぜなら自然は人間なしでも生きられるけれど、人間は自然なしでは生きられず、自然の機嫌を損ねればたちまち滅んでしまうからだ。そうなれば人間はもはや主体的に生きられない、不自由な存在となってしまう。だからあくまで人間から語りかけ、自然がそれに応えるのが人間と自然との関係で、自然が人間に応えられなくなったとき、同時に人間は滅ぶという、一方通行的な運命共同体だと編纂者は言いたいのだろう。
その後、伊邪那美が火之迦具土を産んだ際に火傷を負い、それが要因となって死んでしまう話は、アカホヤ大噴火をあらわしていると考えられる。この噴火は七千年以上前に南九州でおこった大災害で、これによって、当時最先端の文化を有していたとされる縄文人は死に絶え、火山灰の降りつもった大地は死の土地と化した。国生みでは最後に九州の島々が生まれていることから、二神が九州にいた可能性は高い。
伊邪那美という自然が大噴火をおこし、大地が死地と化したあと、伊邪那岐(人間)は死地をおとなおうとしたが、そこには雷を纏う伊邪那美(自然)と逃げ遅れた人々の屍がはびこっていた。これが黄泉の兵士らの正体ではないだろうか。そして伊邪那岐は恐ろしくなって出雲の辺りまで一心不乱に駆けぬけた。黄泉の国というのは、火砕流に飲みこまれ、灰に埋まった土地のことを言うのだろう。
時代がくだり、天照と月読、そして須佐之男が生まれ、伊邪那岐が天照に美須麻流之珠をあたえた話は、天照に九州の復興をたくした話であると解せる。
天照は噴煙等の諸々を観測するのに、天高く島を泛べてそこを拠点とした。それがやがて高天原と同一視されるようになり、力を失った現在では長崎県の海に浮かぶ島々となったのではないだろうか。それならば、天照の子孫の神武の東征が、九州からはじまったのもうなずけるし、九州にほどちかい唐国と交流を持っていたことも説明できる。
須佐之男には、八俣遠呂智を退治したのちに、出雲に住みついたという記述があり、また、彼の子孫の大国主の国造りのくだりからも、彼らの勢力は中国地方一帯に住んでいたことがうかがえる。その大国主の協力者である少名毘古那は、医薬を司るちいさな神様だったようで、これは翁の苦しき事をやませた三寸ばかりのかぐや姫と似かよった特徴となっている。かぐや姫が月の民の一員であるなら、そのまま月読の子孫であると考えられ、同じ特徴を有している少名毘古那もまた、月の民であると解釈できる。
ここで三体の月に出てくる美しい娘が月読である可能性が浮かびあがる(少名毘古那が熊野からやってきたこと、竹取物語の舞台が熊野にほど近い奈良県であるのが根拠になる。彼らが熊野周辺からやってきたのであれば、先祖である月読の統治する夜の食国もまた、熊野地方にあったと考えられるだろう)。
夜の食国(=熊野地方)を統べる月読は、毎晩々々月をながめていた。姉弟でいさかいをおこしている二神とちがって、彼女は心に和魂を有していたため、他人と争うことはなかったのだろう。和魂というのは、平和と静穏などを司る魂で、そのなかには幸魂と奇魂がふくまれているそうだ。幸魂は人々に幸福をあたえ、奇魂は神秘の力を持つとされている。これらは人間にとっての理想の魂と言えるだろう。
その美しい心に感心した原初の三神が、月読に美須麻流之珠をあたえ、目の力をあたえたという話が、のちに三体の月の伝説となり、熊野の浄土信仰の基盤を成し、また、瑠璃たちの目の力の根拠となったのではないだろうか。
天照が天岩屋戸に引きこもり、世界が闇につつまれた話は、天照と月読の力関係の変化の比喩なのかもしれない。あるいは天照は美須麻流之珠を弟に噛みくだかれて力を失ったため、昼はなくなり禍が発生したとも考えられる。そして月読は姉に力を分けあたえ、それによって世界にふたたび調和がおとずれた。それをおばかな話に仕たて上げたのが古事記に記された内容なのだ。
時代はくだり、唐国は強大な力をもつ水穂国をぞっとしない心持ちで見ていた。戦争を前提としている彼らは、いつ水穂国に攻められるかと危惧していたことだろう。しかし島を泛べるような民族に武力では到底かなわない。となれば、文化的侵略によって内部から壊すしかないと考えるはずだ。
そして紀元前十世紀ごろから数百年かけて、唐国の文明文化が徐々に日本に行きわたってゆき、むかえた紀元前六六〇年、彼らにまんまとそそのかされた神武天皇が東征をし、月読の子孫の持つ力を奪おうとした。
国造りで月読の子孫と協力し、国譲りで天照の横暴に見まわれた須佐之男の子孫は、那賀須泥毘古や土雲、八十建といった武装集団として神武の軍勢に立ちはだかり、争いを好まない月の民を護ろうとした。しかし八十建たちはやぶれ、月の民も大熊に化けるなど、一行の足止めをするが、それは時間かせぎにしかならず、けっきょく彼らは現世を離れざるを得なくなった。そして常世へ行く集団と現世に残る集団とに分かれ、その残った側の子孫が浅倉家や瑠璃、渡世家の面々となり、二年前の秋に、姉は天上の月の民に連れさられ、彼らの理想の世界を守るために、わたしたちの記憶は消されたのだ。
「だいぶがんばったね」
と考察内容を記したわたしは伸びをする。
「うん。後は常世に行く方法を見つけること。背景が分かれば真相に近付けると思ったけど、結局は難しいまま」
と瑠璃は口元に手をあてた。
わたしは榛名に話を聞いてから、ずっと思っていたことを口に出す。
「なんとなくだけど、地上に残った月の民は、縄文時代の心を受け継いだんじゃないかなって思うんだ。それを和魂とか幸魂っていうんだったら、神武天皇たちは荒魂を受け継いだ、みたいな」
「赤い珠や太陽は荒魂を司っているということ?」
「そういうこと。太陽と月は神様の両目みたいな感じでさ、ずっと地上を見守ってるんじゃないかなぁ。それで月読は月をずっと見てたから、目が青くなって平和主義者になって、それが瑠璃やお姉に遺伝したとか。新月の晩に巫女が逢引きをしてたっていうのも、神様が見てないときに会ってイチャイチャしてたんじゃないかと思うな」
「サクヤのサクも、笑むという意味の咲くではなくて、朔日の朔なのかもしれない」
「あぁ、たしかに」
「朔、見てない、三体、三神……」
と瑠璃はつぶやき、しばらく考えるそぶりを見せると、ため息をついた。
「記憶が多過ぎて、肝心なことを思い出せない。引っかかっているものはあるはずなのに」
「多すぎるとそれはそれで大変なんだね」
「うん。引っかかっているものは思い出せないのに、嫌な思い出は度々フラッシュバックするのが辛い」
「人間の無意識ってスペックひくめだよね」
とわたしたちは苦笑した。
お風呂からあがってリビングに行くと、瑠璃が小卓の座布団にすわって楽しそうにスマホをさわっていた。最近は、わたしの母や雪乃さん、そして泉水と榛名とも連絡をとっていて、彼女たちとのやり取りがおもしろいそうだ。
瑠璃はひと段落したのか、スマホを机に置いた。彼女はわたしといるときはスマホをほとんどさわらない。そういうこまかな気くばりをするところが素敵だと思う。
わたしは瑠璃のとなりにすわって、近頃買ったタブレットの電源を入れる。これはスマホより画面がおおきく、ノートパソコンより手軽だから、調べものをするときに便利で重宝している。
「なんか映画見よ?」
「うん、見たいものはあるの?」
「ファンタジーかなぁ、アニメの」
とわたしはアプリを開いて指を動かす。わたしは性格がわるいのか、評価がひくい作品のほうに興味がいってしまうのだけど、それが瑠璃にあらわになるのはいやなので、無難に人気の最新作をえらんだ。
映像を再生する。
映画のあらすじは美しいヒロインと男前な主人公が冒頭で出会い、はじめはギクシャクしながらも、冒険を経るうちに心をゆるし、ラストで大恋愛をとげるといったパターンのものだった。王道の展開は脳の負担がすくないからありがたい。
三十分が経過した。
ちらちらと瑠璃の顔をうかがうと、彼女はぼんやりと画面を見つめていた。あまりおもしろくなかったかな、と不安に思っていると、彼女はこちらに流し目をやって、やわらかに微笑む。
「どうしたの?」
わたしはたまゆら考えてこう言った。
「うーんと、ちょっと寒いかなぁって」
すると瑠璃は、なにも言わずにわたしの手をにぎり、すこし身体を寄せてくれた。ここでエアコンの温度をあげないのがポイントだ。わたしは大胆にも瑠璃の肩にあたまをあずけ、彼女の温もりを享受する。
姉を早く見つけたい想いは本当だけれど、瑠璃のとなりにはずっといたいと思うのは、欲ばりだろうか。
映画を見おえると、時刻は夜半に近づいていた。
「そういえば、今日って満月だったね」
わたしはカーテンを開ける。月は見えないけれど、外は夜だというのに異様に明るく、辺り一面は青みがかった光に照らされていた。
「これ……」
夢で視た色味に似ている。そう気付いたと同時に、空から青い光の粒子が落ちてきた。
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