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【Forget-it-not】第二十三話「自分の弱さを悟られないように、ちょっと背伸びをしているだけで、どんな人も寂しいし、苦しいし、辛いんだと思うな」

「実は、私は両親ともう七年も会っていない。その最たる理由は、中学受験の失敗にある」

 わたしの実家で聞いたとおり、瑠璃の母親は彼女のおさないころから教育熱心で、瑠璃が幼稚園に入園するのに合わせて東京へ引っこし、上流階級の子の集う幼稚園にかよわせる典型的な教育ママだった。

 可哀想な瑠璃はそんな母親を信じて勉強に打ちこみ、結果を残すと褒められるので、これが正しい生きかたなのだと勘ちがいしていた。しかし、明晰な瑠璃は母の干渉にだんだんと違和感をいだくようになる。彼女はどこへあそびに行くにも母親の了承が必要で、出かける際にはGPSの付いた機器をもたされていた。瑠璃は自分を心配してくれていると固く信じていたのだけれど、中学年のときにそれを知った当時の友人に『それって変だよ』と言われ、疑問をいだくようになった。ほかの子どもたちに聞いても、みな口をそろえて『そんなことされたことない』と言うのだった。

 瑠璃は父親に相談しようとしたのだが、思いやりにあふれる彼女はあたまを回したすえ、医業の仕事にいそがしい父に心配事をかけてはいけないと判断した。哀れな瑠璃は、父からアクションをかけてくれることを心のどこかで待ちのぞんでいたが、父はついぞ瑠璃に気を配ることはなく、また、家庭のことはすべて母親に任せきりだったこともあって、ついに全く頼れないという結論にいたった。

 瑠璃は母親がなぜ過干渉であるのかを見極めるために観察をはじめた。母は瑠璃の前では自信あり気に振るまうのに、父や他人に対してはへりくだり、とくに叔母には新入社員が社長に接するような態度で接していたので、これはなにかあると踏み、彼女は親戚にそれとなく姉妹関係を聞いた。姉妹仲はずっと良好だったようなのだけど、見すごせない点がひとつあった。叔母のほうが学歴が上だったのだ。

 その後、瑠璃の思考の刃は父にも向かった。どうして父は仕事ばかりして家庭を顧みないのだろう? 理由は父の子ども時代の貧苦にあると彼女は言う。瑠璃の祖父母は大らかな性格で、仕事はそこそこにのんびりと暮らせればいいじゃないか、といった価値観を有し、それが起因して、むかしはかなり貧乏だったそう(いまはおおきな塀をこしらえるくらいの余裕はある)。

 貧困に苦労した父は、みずからの家庭はそうならないようにと必死に働き、結果的に家庭が蔑ろになってしまったのではないか。もしそうだとしても、家族よりお金と地位を優先するのはいかがなものか、と瑠璃は思っていた。

 瑠璃は三歳からエスカレーター式の学校にかよっていたが、中学への進級をひかえ、母親がさらに上のレベルの中学への受験をすすめた。瑠璃はそれを辞んだものの、母親は勝手に願書を出し、瑠璃を半ば強引に受験させた。

 母の行動に怒りをおぼえた瑠璃は、過去問では全問正解をしつつ、本番では全問不正解という結果をたたき出し、母に反旗をひるがえした。当然受験は失敗に終わり、瑠璃は母に問いつめられた。そこで『私はお母さんの操り人形ではない』と言うと、母は家を飛びでてしばらく帰ってこなかった。帰ってきたあとも、母子が口を利くことはなくなり、瑠璃は次第に自身の行動を後悔しはじめ、過去にもどりたいと願うようになった。四月になって進級をしても、学校に行く気力が湧かず、自室に籠りきりになり、五月にもなると、心優しい瑠璃は良心の呵責に苛まれ、希死念慮をいだくようになった。

 そして二〇一六年の五月二十一日、生まれ故郷である静岡のある砂浜に行き、家族とのわずかばかりの楽しい思い出を振りかえりながら、蒼い水平線を見ているところで記憶が途だえ、気がつくと自宅のベッドの上に横たわっていた。困惑する彼女の周りには、記憶の粒子がただよっていた。

 こうして過去視の力を得た瑠璃は、母の赤い記憶の粒子を見てしまい、それが自分に対する負の感情であることを悟り、さらに心を病んだ。けれどもどうしてか自裁をとげようという気は起きなくなったらしい。

 その夏から父方の祖父母の家にあずけられ、白雪家の距離は、精神、肉体ともに開いてしまった。瑠璃は過去に読んだ哲学、宗教、心理学、自己啓発などの知識を思い出し、それを基にみずからの思想体系を構築することで、どうにか両親との仲を回復させ、苦しい人生を乗りこえようとした。しかしながら、それらが彼女の心を救うことはなく、むしろ考えれば考えるほど勇気はすり減り、行動からは遠ざかった。

 その一年後の五月の長期休みに瑠璃は姉と知りあった。その出会い以降の瑠璃の記憶は、録画していた映画の場面が飛び飛びになるように、自分の人生が線上の繋がりを持たない、点の集合体として認識されるそうだ。その場面が飛ぶごとに、彼女は元気を取りもどし、行動的になっていった。

 そして瑠璃は、十七歳のある時期から国内最難関の大学を目ざしだした。記憶を追っていくと、大学に合格したあとに、両親と会うことを決意したようだ。瑠璃の場合、知性的なハードルは天保山のように低いが、精神的なハードルは富士山のように高いので、勉強はせずに、もっぱら赤い記憶の粒子を克服するために時間を割いていたそう。けれどもそれを乗り越える前に記憶は消え、すべては水の泡となってしまった。

 いまでも両親に会おうとした決意自体は残っているものの、どういった流れで決意にいたったのかがわからず、会おうにも半端な気持ちで会うのはためらわれ、いまもなお、両親とは絶縁状態がつづいているらしい。

「だから、私が千夏さんを見つけたい理由の一つに、自分の記憶を取り戻し、両親ともう一度家族に戻りたいというものがある。きちんと話し合えば、きっと分かり合えるだろうから」
 瑠璃は話しおえるとひとつ息をついた。

「そっか」
 心が火傷をしたみたいにうずき出す。他人の心の奥深くにふれると、なによりも先に、苦しみがやってくる。どんな言葉をかければいいのかがわからないし、どのような表情をすればいいのかもわからない。人は理解できないものに苦をいだくのだろう。

 ただ、わたしと瑠璃は本質的には同じなのだと思う。わたしは学校という壁に苦戦し、瑠璃は家庭という壁に苦悩している。

 学校も家庭も社会の一側面で、現代日本で生きるうえでは、自分の人生と切っても切れない関係にある。そのなかで、子どもたちは常に周囲の大人たちの価値観に振りまわされ、自分の価値観は尊重されないままに育ち、やがて十八になると同時に、大人たちは手のひらを返すかのように、わたしたちに責任を求め、自主性をうながし、個性を欲するようになる。

 そんな虫のいい話を当然のように信じている大人たちに、わたしたち子どもは心を開けず、子ども同士で内緒話のように自分の胸のうちを語りあっていた。それも肉体のともなわない社会になってからはなくなり、人々は孤独にうちひしがれ、虚無におちいりはじめたのだろう。

 瑠璃にとっては姉やわたしが居場所になっていたのに、二年前に何者か――おそらくは月の民――に分かたれてしまった。それはわたしも同じだったのだろう。

 わたしの日記には、八月十六日からブルームーンの晩までの記述がない。孤独に疲れ果てていた夏のわたしと、強くだれかを想う秋のわたしとのあいだに、いったいなにがあったのだろうか。

 瑠璃はつづける。

「過去の美春が指摘したように、私はとても弱い人間。何とか強くあろうと努めているけれど、やっぱり独りは寂しいし、怖くて眠れない夜もある。だから、美春と会えた時は本当に嬉しかった。あなたは私を信じてくれるし、優しくしてくれるし、頼ってくれる。そして、弱さを知ろうとしてくれる。正直、昨日や一昨日は寂しくて、心に穴が空いたようだった。もうじき二十歳になるというのに、私はこんな有り様なの」

「わたしもおんなじだよ。たぶん、他のみんなもおなじなんじゃないかな。自分の弱さを悟られないように、ちょっと背伸びをしているだけで、どんな人も寂しいし、苦しいし、辛いんだと思うな。わたしたちはラッキーだよ、きっと。自分の弱みを晒せる人がいるんだから」

「うん、そうだね。正直言って私は、自分の人生の大半を肯定することはできないけれど、美春と出会えたという一点だけで、人生の全てを許すことができる」
 瑠璃は目を伏せて、
「勿論、そう解釈できない時もあるだろうけど」
 不安そうな顔をする。
「大丈夫、しんどいときは一緒にいればいいんだよ。ひとりでは乗り越えられない寒い夜も、ふたりで寄り添って励ましあえば、乗り越えられるかもしれないじゃん?」
 とわたしは自身のクサイ台詞に身もだえする気配を感じながら言った。

 瑠璃はわたしの言葉を噛みしめるようにうなずく。
 そうしてわたしたちは可惜夜あたらよを、どこか気恥ずかしいような、浮ついた気分のまま、おそくまで語りあってすごしたのだった。


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