自分の人生を振り返る(5)

 (4)を見た方は、私の異端性が理解できたのではないだろうか? いや、理解できないことこそを理解してほしい。私もそこは重々承知している。誰かどうにかしてくれと、いつも思っている。
 それを理解した上で、続きを読んでほしい。不快になっても責任は取れない。しかし、私の人生を覗きたいというのなら、気軽にどうぞ。

人生と何だろう? ――中学生時代②

 (4)ではゴールデンウィークと書いたが、記憶違いだった。役員として、苦手な体育大会で無理をしすぎて、脱水症状で倒れてから、家で棒きれのように畳の上に横たわっていた。
 ――書いていなかったが、私は運動全般が苦手だ。
 ボールの動きを把握しながら、体を動かすのが苦手なので球技はできない。そもそもボールを見れない。バドミントンやテニスは一歩も動かずに打ち合っていた。バレーボールは打てないし、ドッジボールは逃げる専門。いつも当てずっぽうで、腕を振っていた。
 徒競走も苦手だ。普通に走っているときと線の上を走っているときでは、足の速さが段違いだと親に言われている。学校から帰る速度は誰より速かった自信がある。
 そんな私が周りと合わせて、競争に勝とうとすれば疲れるのは仕方なかった。

 話を元に戻そう。
 人形状態とは、脳の処理が追いつかなくなったような状態だ。体が一切言うことを聞いてくれない。
 高校時代以降はそこまで疲れ切ることはなかったが、中学では合わない周囲との衝突で余裕が一切無かった。治るのに何日かかかり、私の中学校無欠席の実績は消えた。

 まあ、なんやかんやあり、中3になって高校受験の時期になった。宿題の重みがひどかった。宿題をやろうとするだけで、学校への意欲は半減し、ただでさえうるさかった教室に、上乗せするように集中力を削った。読書の時間が少なくなったからなのもあるし、受験に合格するという変なプレッシャーがあった。
 
 自転車で事故ったのは、このくらいだったはず? 日付はいまいち覚えていない。
 私はなんどか事故っていて、一度目は車にぶつかった。図書館からの帰り道だ。相手側の女性がパニック状態の私に携帯電話を突きつけて電話をしろと言った。警察も呼ばず、そのまま親を呼んだ。相手方に迷惑になると思い、私はその女性に帰って良いと言った。正直、その女性が怖かったのだ。降りるなり自分の車の傷を確認し、嫌そうな顔でこちらを見てくる気の強そうな女性は私の苦手の最たる物だった。
 (4)でも書いたが、女の人は気儘すぎて読めないし、陰口のひどさに怯えていた。小学生時代の保健室の先生の二面性(けがをして保健室に行ったら仮病だと言われた)や、私を蹴った母親の顔、仲の良い友人だと言っていた同級生たちが互いに悪口を言い合っているのを見た影響だろうか。
 私は人に迷惑をかけるのもかけられるのも嫌いだし、怖い。だが、それ以上に怖いのは気持ち悪い人と密接につながらなければいけないことだ。
 ムカデが体に這い寄ってくるようなぞわぞわとした感触。汚れたぞうきんで顔を拭かれているような不快感。それ以上、話をすることも耐えられなかった。汚れがうつるという錯覚があった。言い換えれば、異常な人間への忌避感と、生存本能。
 ASDらしい白黒思考とも言いがたいのだが、周りの気持ちを考えない女性は無理だった。陰湿な男性も無理だ。嫌悪感がひどすぎて、人殺しにでもなりそうだ。 

 二度目は、単身事故だ。道路の外壁(岩)に豪快にぶつかり、顔面を縫った。全く痛みを感じなかったので、そのまま帰ろうとしたのだが、男子たちに止められて、親が呼び出された。保健室に行きたくなくて少し抵抗した記憶もあるのだが、目の上に少し傷が残っている(眉毛薄くなった)ので、病院に行って正解だった。
 何もない場所で、自転車から足を踏み外して、自転車からずり落ちて顔面ドッカン。恥ずかしすぎて逆に面白い。頭がふわふわしている状態――いまになって知ったが、私はブレインフォグが常態だった――で、自転車のバランスやその他もろもろが最悪の状況を作り出していた。
 その症状で、MRIを撮ったこともあるが、当時はなんにも分かりやしなかった。なんか事故ったくらいの認識。

 仲の良い男子もいたし、仲の良い女子もまあまあいた中学生時代。いじめっ子もいたようだが、私はだれより速く家に帰る生き物だったので、そこら辺の被害はそこまでなかった。事件と言える出来事はこれらくらいだろう。

 中学校の主な出来事はそんな感じだ。
 あとは、毎日欠かさずに図書室に通ったことと、通いすぎて図書室の先生に嫌われたこと(面と向かって早く来るなと言われた)くらい。妹におばさん呼ばわりされ、それが10年ほど続いているってことだろうか。私も妹の名前を普通に呼ばなくなった。
 
 高校は家から一番近かった自称進学校に決めて、まともな勉強もせず受かった。ストレスがかかりすぎて宿題しか出来なかったのが本音だ。
 高校は偏差値が高くなったからか、周りが大人になったからか、精神的にも安定してくるが、私の人生が平凡であるわけもなく、そこでもいろいろあった。
 そこまで昔の話でもないので、身バレの危険性が高くなるので、次回は高校と大学時代を省きながら書いていこうと思う。良い思い出や得意なことについては、いつかまとめて書き出す予定。

【ここまで書いた感想】
 愚痴を書くのが楽しくなってきた。当時言えなかった文句が山ほど出てきている。効果的なデトックスである。
 嫌な感情は抱え込むより、全部ここに吐き出して捨ててやりたい。怨念化したら、ゴミ箱に入れる。
 

 

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