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正解がある世界線から正解がない世界線へ。

こんにちは!ぱんだです!

書きたいことが多すぎて何をテーマに書こうかわからなくなったのでとりあえず書きたいこと書いてからテーマを決めようと思いまーす。

私、社会人になってまだまもないと言われる代なんですけれども、学生と社会人これは全然違うってものを見つけたんですよねー。

それはね、
学生時代は「複数の選択肢から一つの正解を見つける」例;テスト
社会人は「多種多様な正解の中から、自分に合う正解を試行錯誤する」
これだと思うんですよ。

言い換えると、「正解はいつも一つ」な世界線からこれといった正解がない世界線になんか来ちゃった感覚なんですよね笑笑

これ昨日くらいに人と喋ってる時にいってみたらめちゃめちゃ盛り上がったんですよ〜!ある程度無意識のうちに縛りある中から選択肢選んでたのに、いきなり、はい自由にしていいよー!って言われたらほんと困るよねって。

でね、なんでそんなことが起こるのかを考えてみたときに、誰も悪くないんですけれども、学生の思考の矢印が大人とか周りの人の目を気にする方向に向いてしまっている傾向にあるが故に自分の心の声に耳を傾けられてないからじゃないかっていう結論が出たんですよ。
また、こういうことが起こる背景として、学生が大人に対して怒られたくない、期待を裏切りたくない、褒められたいっていうような承認欲求とか自己防衛みたいな気持ちが働いていて顔色伺ってしまうことがあるよねーって話してたんですよ。(※これは成長段階において大体自然的な流れらしいから誰も悪くないです!!!)

まあしょうがないけどさ、このままだと自分の価値観がわからなくなってくる気がしていて、自分に合う環境や生き方がわからないと辛くなっちゃうんじゃないかな。って思いました。ちなみに第3者視点で偉そうに書いているけど私もバリバリこれなんですよ笑笑

ここからは完全なる持論なので異論は認めます!
できるかどうかは別として些細なことでいいから、自分の心の声を聞いて他者に表現してみる、ちがった時にはま、いっか、って気楽になる習慣を大切にしたいなって思いますね。最初は難しいかもしれないけどねー。

そこを起点としてこれから様々な人生の選択をしていくけど、した選択が正解って思えたらいいですよね。選択をした時点で正解だって考える人もいるし、選択した先に行動して結果が出て、振り返った時に自分の糧になったから正解って捉える人もいるけどどちらにせよいいよね。
だって多様性の時代だもん笑

みなさんがこれといった正解のない世界線で自分の心に正直に生きられますように!!!心のコンパスに従って生きよう!







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