『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第20話
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第3章 多佳子の逆襲
3 不穏な気配
多佳子の存在からようやく解放されたと安堵するも、穏やかな生活は長くは続かなかった。
屋敷では不可思議な出来事が、相次いで起こり始めたからだ。
使用人たちが口々に屋敷内で怪しげな黒い人影を見たとか、気味の悪い呻き声やすすり泣く声を聞いたという噂が日を追うごとに広まり始めた。
「この間、厠に行くとき、変な呻き声が聞こえたんだ」
「俺も聞いた。奥の間からだった」
「わたしは庭の掃除中に黒い影が横切って行くのを見た」
「いったい、この屋敷はどうなってんだ?」
「薄気味悪くてしかたがねえ」
休憩時間はもちろんのこと、仕事中でも彼らは手をとめ、不安でたまらないのか、顔を見合わせこそこそと会話を交わした。
噂話をする使用人たちを見かけるたび、世津子は目を吊りあげ窘める。
「おまえたち何をさぼっているの! さっさと持ち場に戻りなさい。いいですか、今後そんなくだらない話をする者は見つけしだい、この屋敷から出て行ってもらいますからね」
世津子の厳しい叱責に、使用人たちはさっとその場から去って行く。
働き口を失っては、たまったものではないとばかりに。
朝も早くから、使用人たちを叱りつける世津子の声で目覚めた利蔵は、緩慢な動作で寝床から半身を起こした。
布団の上に座ったまま、再びうつらうつらと頭を揺らしながら半分目を閉じかけ、はっとなって頭を振る。
ここのところ、どんなに早く床についても、眠りが浅いせいか寝覚めがすっきりしないのだ。
寝不足のためか、強烈な疲労感がつねに抜けきらず、吐き気や胃の不調、貧血が続いた。
それは利蔵に限らず妻も同じであった。
祝言をあげて以降、妻の様態も思わしくない。
時には、おかしな気配が屋敷内を歩き回っていると言いだし、最近ではすっかり怯えてしまい部屋にこもったきりになった。
食事もあまりとろうとはしない。
このままでは、妻までノイローゼになる。
さらに、利蔵の不安を濃くする事件がこの日起こった。
ゆっくりと時間をかけて布団から起き上がり、着替えを終えたところにその声が聞こえた。
門の前で、大勢の村人がザワザワとした気配を放ちながら群がっていた。
彼らは口々に大変だ、と繰り返している。
何があったのだろうかと、門に駆けつけると、待っていたとばかりに村人たちがわらわらと詰めよってきた。
「たいへんだあ!」
「どうした?」
「とにかく大変なんだ!」
そればかりを口にするのだから何がどう大変なのかを訊ねても、村人たちからは要領を得た答えは得られない。だが、彼らの慌てぶりからして、とんでもない出来事が起きたことは予想できた。
「落ち着いて。何が起きたのかゆっくりと話しなさい」
「それが!」
「伊瀬んところの毅が!」
伊瀬という名を聞き、利蔵の片頬がぴくりとひくついた。
血の気が引いていくのを感じる。
どす黒い嫌な予感が胸に影を落とす。
「伊瀬がどうしたのですか?」
それでも何とか冷静さをよそおい、落ち着くのだと、自分に言い聞かせるようにして村人のその先の言葉を促した。
村人たちは揃って顔を見合わせた。
その中の一人、集まってきた中で一番若い男が頷き、状況を説明するため利蔵の前に一歩足を踏み出す。
「伊瀬が昨日山に入ってからずっと帰ってこなくて、何かあったんじゃねえかって、朝一番で村のみんなと手分けして山に入って探しにいったら」
男はこれ以上口にするのも恐ろしいという顔でぶるっと肩を震わせた。
その怯えようからしてよほどのことがあったとみえる。
「何があった?」
ゆっくりとした口調で利蔵はもう一度男に状況を尋ねる。
「それが……」
男はごくりと生唾を飲み込み口を開きかけたが、やはりこれ以上は口では言えないと頭を左右に振った。
「とにかく利蔵の旦那も来てくれ。大変なんだ」
男は来れば分かる、と自分についてくるよう利蔵に目で訴えかけてくる。
もはやこれは直接現場に行ってみるしかないと判断した利蔵は、急ぎ足で前を歩く村人たちの後をついて行った。
◇・◇・◇・◇
村人たちが向かう先は北の山。
険しい急斜面を登り、しばらくいったところで右にそれた。
そこは、利蔵家が所有する土地で、他の者は足を踏み入れることのない場所だった。
「なんで伊瀬は利蔵家の敷地に踏み込んだんだ?」
あたりまえのように、他の者が疑問を口にする。
「道を間違えたんじゃねえのか?」
「ばかな!」
伊瀬の山菜採りは日常のように行われている。
山深い場所だ。
道などあってないようなものだが、毎日のように山に入り慣れている者なら、どこをどう行けば目的の場所に辿り着くか熟知している。
うっかり道を間違えて利蔵の敷地に踏み込んだということは考えにくい。素人ではないのだから、たとえ山菜採りに夢中になっていたとしてもあり得ないことであった。
「山に詳しい毅が間違えるわけないだろう」
「そんなこと俺が知るか。直接、毅に聞いてくれ」
「毅の奴、とんでもねえ奴だ」
「利蔵さんは知っていたんですか?」
「え……?」
いきなり話題を振られ利蔵は口ごもる。
「毅が利蔵家の敷地に無断で入っていたことですよ」
「いや……」
伊瀬がなぜ、利蔵家の私有地に足を踏み入れ山菜を採っていたか。
それは、利蔵自身が伊瀬に許可をしたからだ。
多佳子を懲らしめる見返りに。
だが、そんなことを他の者に言えるわけがない。
「僕も、分からない……」
そう、答えるしかなかった。
「まったく毅の奴、利蔵家の土地に無断で立ち入って山菜を盗みとろうなんて邪な考えを起こすから、ばちがあたったんだ!」
男は吐き捨てるように言い、その先を指さした。
「あそこに、毅がいる」
村人たちは小走りで男が示した場所へ向かう。
利蔵は彼らの後を慎重な足どりでついていった。
その場にいる誰もがうっ、と声をもらし後ずさる。
木の幹に寄りかかるようにして伊瀬は地面に座っていた。
その首には蔓草が絡まり木に縛りつけられているようであった。
さらに──。
恐る恐るといった足どりで伊瀬に近寄っていく村人たちの顔色が真っ青になっていく。
頬もまぶたも唇もどこもかしこも、様相も分からないほど伊瀬の顔面は膨れあがり歪んでいた。
半開きになった伊瀬の口の中で、何かがもぞもぞと蠢いている。
何だ? と側に寄った村人たちだが、彼らはすぐに身を引いた。
伊瀬の上顎と下あごの歯の間から、一匹のスズメバチが顔をのぞかせ、ぶんと羽音をたて飛び立っていく。
「これは、ひどい」
「蜂に刺されたのか? スズメバチに」
「ああ、見ろ」
男の一人が頭上を指さすと、みな顔をあげ眉をひそめた。
木の上、覆い茂る枝葉の影に、独特の縞模様を描いて膨れたスズメバチの巣があった。
「おい、毅は生きてるのか?」
「いや」
どうみても、生きているとは思えなかったが、それでも村人の一人が伊瀬の鼻先に手をあて確かめる。そして、みなの顔を見渡し首を振った。
「まさか、伊瀬がこんなことになるなんて」
「とにかく急いで運ぼう」
「そうだな。俺たちまで蜂に刺されてはたまらん」
男たちは腰に下げていた鉈を手にとり、手分けをして伊瀬の首に絡まった木の蔦を解こうとする。
「いや、待て」
そこへ、別の者が彼らの手を止めさせた。
「どうした? 早くしねえと、これじゃあ伊瀬もあんまりにも気の毒だ」
「確かに気の毒だが……まずは警察に連絡をしたほうがいいんじゃねえか? そうですよね、利蔵さん」
男は首を傾け利蔵に同意を求める。
「え? あ、ああ……そうだな」
警察という言葉に利蔵はびくりとする。
顔面が蒼白であった。だが、この場にいる者全員の顔色も悪かったため、誰一人、利蔵の様子がおかしいと思う者はいない。
「俺、連絡してくる」
警察にと言い出した男は身をひるがえし、村へと戻っていった。
利蔵は声を発することもできず、ただ茫然と去って行く男の背を見つめるだけであった。
村に降りた男は、山の麓で待ちかまえていた村人たちにことの次第を伝え警察に連絡をした。
やがて、県警から何人かの者がやってきて事情聴取と現場検証が行われた。当然、利蔵家の私有地に、なぜ、伊瀬が立ち入ったのかと聞かれた。
「さあ、僕にもさっぱり」
内心、多佳子のことがばれるのではないかと怯えつつも、何も知らない素振りを貫き通し利蔵は首を傾げ答えた。
警察もそれ以上しつこく追求してくることはなかった。
伊瀬毅の死因は、山に山菜を採りに行っての事故とあっさりと片付けられた。
翌々日、伊瀬毅の葬儀がとり行われた。
伊瀬は早くに両親を亡くしこの村でたった一人で暮らしていた。
兄弟もなく、親戚と呼べるような者もいなかった。
結婚もしていないから伴侶もいない。そのため、伊瀬の葬儀は簡素ながらも利蔵がとりしきることになった。
利蔵自身、伊瀬に対して罪悪感があったこともあり、せめてもの償いの意味もあった。
村人たちが次々に伊瀬の家に弔問にやってきてはお線香をあげ手を合わせていった。
翌日、伊瀬の遺体は村の北側にある共同墓地に埋葬された。
ー 第21話に続く ー
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