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『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第39話

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第5章 雪子の決意

1 まさかの妊娠 

 隆史に対する疑惑と不信感、何より彼への気持ちが離れつつある。
 そう感じ始めた雪子に妊娠が発覚したのはそれからすぐのこと、十二月に入って幾日か過ぎた日のことであった。

 月のものが遅れていたことにすら気づかなかった雪子の体調の変化に、誰よりも目敏く察した世津子が八坂医師を呼んだことにより、妊娠が分かったのであった。

「これはこれは、おめでたですな」
 屋敷に駆けつけてきた村医者、八坂の言葉に雪子の頭の中が真っ白となった。
 次に抱いたのは複雑な思い。
 おめでた、という言葉が、ただ頭の中を通り抜けていく。

 お腹のあたりに手を当てるが、ここに新しい命が宿っているという実感がどうしてもわいてこない。いや、正直待ち望んでいた子どもなのに、嬉しいという感情がこみあげてこなかった。

「まあまあ」
 一方、側では世津子が涙を流しながら手を叩き、大喜びをしていた。
 待ちに待っていた跡継ぎができたのだから、その喜びかたは尋常ではない。
 泣くほど跡継ぎが欲しかったのか。
 そんな彼女を、雪子はどこか他人事のような冷めた目で眺めていた。

「先生、男の子ですか? もちろん男の子ですよね? 男の子でなければ困るの」
「気が早いですなあ。まだ、どちらか分かりませんよ」
 そうですよね、と世津子は先走った気持ちを恥じ入りながらも、落胆の色を浮かべ肩を落とす。

 これで生まれた子が男子ではなく女の子だったらどうするのだろうか。
 そんなことを考えた瞬間、雪子の胃がしくしくと痛みだす。
 男の子が生まれない限り、世津子の重圧からは解放されることはないのだ。
「雪子、よくやった」
 さらに、世津子の横では隆史が正座し、膝に置いていた手を小刻みに震わせている。

「それにしても、身ごもっていながら利蔵家の嫁さんはずいぶんと無茶をするものですなあ。一歩間違えば、流産をしていたかもしれないというのに。いや、流産してもおかしくなかった状況ですぞ」
 鈴子の一件のことを言っているのだろう。
 診察道具一式を鞄にしまい、八坂はそんな嫌味をぽそりと口にするが、やはり、雪子はぼんやりとした頭で聞いていた。

「本当にあの時はうちの世間知らずの嫁が先生に大変なご迷惑をかけたようで申し訳ございません」
「先生すみませんでした」
 頭を下げる世津子と隆史に、八坂はいやいやと機嫌良く手を振る。
「お二方とも頭をあげてください。気にするほどのことでもないですから」
 だが、そんな雪子に無茶をさせた原因は他ならぬ、目の前にいる八坂本人ではないか。
 この男が怪我をした鈴子を放って村の仲間と飲みに出かけたから、雪子もあんな無茶をした。

 そんなことを思ったが、当然のことながら口に出して八坂医師を責めることもできず、雪子は無言でお腹のあたりをさすった。
 もし、流産をしたらこの医師はどうしただろう。
 それでも、責められるのは鈴子の診療を拒否したこの村医者ではなく、雪子だったに違いない。

「まあ、これでようやく跡継ぎもできたことですし、利蔵家もひとまず安泰ですかな。おっと、何度も言うようですが、まだ男の子かどうか分かりませんよ」
 世津子は袖元で涙を拭いながらええ、ええ、と何度もうなずいた。
「いいえ、きっと男の子に決まっています」
 胃の痛みが、次第に吐き気をともなうものへと変わり、雪子は顔を歪める。

「では、わたしはこれで失礼しますよ。何かあったら遠慮せず呼んでください」
 鈴子のときとは態度が違う八坂に雪子は嫌悪を抱く。
 この村では人の命は平等ではなく、身分や出生、その者がどれだけ村のしきたりに従順であるかで決まり、それが昔から根づいてきた村の価値観であった。

 部屋を出て行く八坂につられ、世津子も立ち上がり上機嫌な足どりで老医師の後をついていく。
「ああ、そうそう。雪子さん、あれは痩せすぎだ。もっと栄養のあるものを食べさせて肥えさせなければ丈夫な子は望めませんぞ。こう言ってはなんだが、あっと、気を悪くせんでくださいよ。雪子さんは少々年もいっておられるし、とにかく今が大事なときですからな」
「ええ、ええ。先生のおっしゃる通りですわ。何を気取っているのか、あまり食べない嫁でしてね。町の人間はみなそうなのか、田舎料理が口に合わないのか。まるで、うちがお嫁さんに何も食べさせていないように思われるじゃないかって気にしていたのだけれど。とにかく、今日からは栄養のある食事を今まで以上に与えることにしますわ。豚のように太ってもらわなければ」
「はは、そうされるとよいでしょう。無理にでも食べさせることです」
 廊下の向こうから、二人のそんなやりとりが聞こえ雪子は苦笑いを口元に刻む。

 食事を与えるだの、肥えさせるだのって、まるで家畜扱いだ。
 隆史と二人、部屋に残された雪子は沈痛な表情を浮かべる。
「雪子、ほんとうによくやった」
 伸ばされた隆史の手に手を握りしめられる。
 一瞬、手を引っ込めそうになった自分に驚く。
 心のどこかで、触れられることを拒絶していたのかもしれない。

「僕たちの子どもだ」
 世津子同様、待望の跡継ぎに隆史は感極まって震えた声を発する。
 数日前の言い合いなど、まるで何もなかったかのように接してくる隆史を、雪子は言葉もなく見つめ返す。

 あの時の、悪鬼さながらの隆史の形相は今でも忘れられない。
 その男との間にできた子どもが今、お腹の何かにいる。
 子どもは欲しかった。
 生まれた子と愛する夫、仲良く幸せに暮らし、いずれはもう一人子どもを授かれればいいと夢をみていた。

 その夢が叶おうとしているのに、雪子の胸には複雑な思いしかなかった。
 初めて隆史と出会ったとき、彼は穏やかそうな人で優しかった。
 自分を守ってくれると言ってくれた。
 この人になら、ついていってもいいと思っていた。
 だが、つまりは隆史も家が大切だった。
 単純に自分を好いてくれたわけではなく、跡継ぎを産むだけの余所者が欲しかっただけ。

 胸に落ちた小さな波紋がさざ波をたてていくように、隆史に対する嫌悪感が雪子の中で膨らんでいく。
 こんなことで、この子を愛せるのか。
 隆史とやっていけるのか。
 この先の未来に、どす黒い不安の影しかないような気がして、その思いが雪子の心をさらに暗くさせた。


◇・◇・◇・◇


 村医者の言葉をそのまま鵜呑みにしたのか、その日の夕食は本当にいつもの倍近くの量が膳にのぼった。おかずの量もさることながら、お茶碗によそわれた白米は山になって盛り上がっている。
 食べ盛りの男の子でもあるまいし、ここまでされると好意を通り越して、嫌がらせとしか思えない。

 それこそ家畜ではないのだから全部を食べきるにも無理があり、残すと世津子は人の好意を無駄にすると激怒して不機嫌になる。
 使用人たちも、大奥様が不機嫌になると屋敷内がぴりぴりと険悪な空気になって仕事がやりづらくなると言い、非難の目と怒りの矛先を雪子に向けるのだから、これまで以上に嫌な雰囲気となった。

 身ごもった雪子に遠慮してか、家の雑用ごとも極端に減り、それでも何か自分にできる仕事を探そうと屋敷内をうろつけば、使用人たちに迷惑な目で見られるから結局は部屋にこもるしかなかった。

 そうなると、することもなく、かといって一日ぼんやりするのも退屈で、それこそ神経が参る。
 だが、考えようによっては雪子にとって都合がよかった。
 少しは身体を動かしたほうがいいと、散歩を理由に、屋敷を抜け高木の元を訪れた。

 鳥居の前でおじぎをして階段を上ると、高木が草むしりをしている。
 それにしても、この人は会うたびに境内の掃除ばかりをしているが、仕事は何をやっているのだろうか。
 改めて不思議に思う。

 階段を上りきった場所で立ち尽くす雪子に目をとめた高木は腰をあげた。
「あんたか。どうした?」
 ええ、と答えたままいつまでもその場から動こうとしない雪子の様子に、何か話したいことがあるのだろうと察した高木は、こっちに来いと手招きをする。

 作業を中断することになっても嫌な顔ひとつせず、高木は雪子を家に招き茶をいれ座るよう促した。
 受け取った湯飲みを両手で持ち、雪子はそっと家の中を見渡した。
 この村を出る決意をした高木はあの日以来、片付けをしていて、家の中は物が減り、こざっぱりとしてしまっていた。

 いずれ高木はこの村を去って行くのだと思うとふっと、寂しさを覚えた。
 二度と会えないわけではないのに、それでもこの村と外ではまるで住む世界が違う。
 高木が遠くへ行ってしまう気がしてならない。

「どうしたんだ? 思いつめた顔をして。何かあったのか? 俺でよかったら聞くぞ」
 高木から見ても自分の顔は情けないものに映ったのだろう。手にした湯飲みに視線を落とし、雪子は重い口を開いた。
「子どもができました」
 今にも消え入りそうな声だった。
 一瞬の間が落ちる。

 さわさわと、風で枝葉が揺れる音さえ聞こえるほどの静寂。
 やがて、高木はわずかにまぶたを落とし、そうか、と呟いただけであった。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
「あまり嬉しそうに見えないな」
「そんなこと……」

 それきり言葉を発しない雪子の心情を察したのか、高木はそれ以上のことに触れてはこなかった。
 ただ雪子の身体を労る言葉をかけるだけ。
「大事な身体だ。無茶はするな。この間みたいなことはな」
 かすかに笑う雪子の目に、涙が盛り上がりこぼれ落ちた。

 あんな家に縛られることはないから戻ってきなさいと母が言ってくれたように、今ここで高木に同じことを言われたらどうしただろう。
 利蔵家に嫁いだ身だからとか、多佳子の行方をつかめたら、という決意を胸に村に戻ってきたあの時とはまるで状況が変わった。
 もう自分だけの身体ではないのだ。

 簡単に屋敷を出ると口にすることさえできなくなった。
 皮肉なことに、待ち望んでいた子どもの存在が鎖となり、雪子をあの屋敷に縛りつける羽目となった。

 一瞬、戸惑ったように雪子の肩に伸ばされかけた高木の手が虚空でとまり、引っ込められた。
 慰めの言葉も何もなかったが、ただ黙って泣き止むまで側にいてくれた高木の優しさに救われた。

第40話に続く ー 

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