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初恋 第15話

  帰りの飛行機はルイスと二人だった。ラストは僕達と別れてスイスに向かった。旅行で全エネルギーを使い果たした僕はすぐに眠ってしまった。
 
 夏休みが終わる前にラストは戻るはずだった。しかし、夏休みが終わってもラストは戻らなかった。彼の乗った飛行機が途中で墜落したのだ。

学会が終わって、これから帰るという連絡が入ったその日、彼がジュネーブからロンドンまで飛んだところまでは僕も母も知っていた。その後、乗り継いだ飛行機が何らかのトラブルに巻き込まれ、大西洋に沈んだというニュースが報じられたのだった。直後に嵐が何日間も続いた。捜索は難航した。結局、ラストの遺体は見つからなかった。

「何てこと! 有り得ないわ!」
 ルイスは泣き続けた。エリックとマギーは彼女を慰めようとすぐに飛んで来た。しかし現実を変えることはできない。彼らの狭間で僕はどうして良いか分からなかった。時間が過ぎて行くのが怖かった。母の悲しみに対して、自分が全く役に立たない存在だと知るのが辛く、それから自分の人生で死(行方不明であったとしても)というものが初めて目の前に明白な形で登場したのに戸惑い、驚愕し、ただ呆然としていた。

もちろん僕も、とてつもなく悲しかった、胸の奥をいつも重たい石で押さえ付けられている気がして何も手に付かなくなった。何かを見ているのに何かを聞いているのに、何も見えない何も聞こえない。(祖父母や母が抱きしめてくれる時にぼんやりとその温もりを感じるのが精一杯だった。)毎朝目を覚ますと、ラストが居ないのを知って涙が溢れた。

ナイロビの空港で学会へ行く父を見送る時、彼は僕と母に手を振って微笑んだ。それから、もっと小さい頃、父に手を繋がれて買い物に行ったり、父の膝の上でピアノをパンパンと叩いたり、一緒に「Happy」を歌ったり、公園の雲梯に肩車をして掴まらしてくれたり——そんな映像がゆっくりと浮かんでは消える状態がずっと続いた。

毎日何気なく見聞きするどんな情景もどんな会話もラストの思い出に変換された。それは亡霊のように現れ、頭が変になりそうだった、誰かがどこかで抱き合っていると、空港に向かうタクシーの中で、三人が抱き合ったシーンが思い出されて、息ができなくなった。とりわけ、父が強く僕を抱いたあの時の「愛してるよ」と言うセリフもきつかった。

そんな時は思い切り首を振って叫んでそれらを振り切ろうとした。僕の様子を見たエリックは時々僕を叱った。
「男の子なら——いつまでもめそめそしちゃいけない。ルイスもきっとそう言うだろう」
 
 頭では分かっていても、心はそう反応できない辛さが僕を二重に苦しめた。僕は暫く授業を休んだ。それから、
「クラスの連中と会えば、きっと気分が変わるぞ」と言われたから、学校に通い出したが、うまくいかなかった。授業の内容は僕の耳と目の届かないところでいつも行われていた。みんなは僕を励ましてくれた。それは嬉しかった。時々涙が出た。でもそれだけだった。体に力が湧き起こらない。いつもぼうっとしているので、ラメラもとうとう、僕を相手にしなくなっていた。

 ただ一つの救いは、学校に行くのが辛くなかったことだ。家にいると父の触れたものに目が止まったけれど、学校ではその心配が無かった。授業の中身は聞かなくても全部理解できた。僕はノートなんて取らなかった。算数や理科は、父が買ってくれたモバイルフォンで調べればすぐに分かったし、先生はみんなに合わせて授業を進めるので、僕はすぐに暇になった。

だが、心の傷は見えないほど深く、元に戻るには何かきっかけが必要だった。それは父に対する気持ちをどうするかで。選択肢は二つ。ラストを死者とするか? それとも生者とするか? 

ラストの墓碑を作ることにルイスは反対した。どこかで生きているはずと信じていたから。僕もそうだった。三年が過ぎた。二人だけの生活が常態化して徐々に気持ちが落ち着いた時——悲しみを時間が麻痺させる——、ルイスは最後には現実を受け止めることにした。そうでないと前に進めない。

ルイスは休んでいた大学に戻り、ラストの後任教授のマークの秘書になった。僕はエリックとマギーに頼んで、ラストが生前よく弾いていたグランドピアノに似せた石の彫刻を墓碑の代わりに作ってもらい、先祖が眠る墓地公園に置いてもらった。ラストがもし生きていたら八十歳になる誕生日の日だった。

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