『何者』になるまえに『伴走者』を目指せ

何者かであらねばと思ってしまったすべての人と
何者にもなれないと絶望という安堵を感じている人と
変化を起こそうと思っているけど変わらない人へ

結論から言ってしまえば言いたいコトはこうだ。

みんなの何者になろうとしなくていい。
あなたが誰かの「何者」になってみよう。

ぼくらはとうの昔に終身雇用が安泰という時代から追い出されて久しい。

一般社団法人経団連の中西宏明会長や、トヨタ社長の豊田章男は会社や組織が個人を守り続けることはないと打ち明けている。

これからは個人で生き残っていかなければならない。

そんな空気を誰もが感じ取ったはずだ。


「自分にあっと驚かれるような肩書きを身に付けねば」
「誰しもが知っている有名人にならねば」
「よりすぐりの人脈を作らねば」と
焦り、躍起になっている姿が散見される。

しかし、多くの場合なかなかうまくいかない。

「なにものかになれば安心できる」
「類を見ないようなスキルを手に入れたり、とんでもな成果を出す」

といって鼻息を荒くして、挑戦という山を登ってみても、想像以上に高かったり、本当にやりたいことなのかという違和感を経た先に、疲弊してしまった人も多いのではないか。

人生100年時代といわれ、人間の職の半分をAIに受け渡すと言われる中で、人間はどうすれば生き残れる「何者」になれるのか?

激動の時代の中で、組織ばかりに依存せず、どうやって個を確立し、世を闊歩できるのか。1人でも社会とつながりながら自由に生きていけるのか。


◎役立つから意味がある時代へ


僕らはモノを選ぶとき、よりよいものを選んできた。冷蔵庫など家電は常にエコであったり多機能であったり、より便利なものが台頭し続けてきた。しかし、ユーザーは差などはあまり分からず、結果過当競争に陥ってしまう。なにより機能は、この情報社会の中で簡単に真似ができてしまうため、先陣をきったところで、すぐ追いつかれてしまい、安売り競争へまっしぐらだ。

これは人も同じで、「役立つ」スキルの提供だけでは、今ではネットでだれでも気軽に学べるから競争過多になってしまう。
実際、アメリカのコールセンターはフィリピンやインドなど時給が半分以下でも英語を話せ、優秀な大学を卒業して熱心な人たちによって代替されてしまった。
これは10年以内にリアルタイム翻訳で日本にも起きることだし、きっとその何年か後でAIがあらゆる人の「役立つ」を無効化していくはずだ。

そう。
モノの機能や人の役立てるからなど、「使える」だけでは淘汰される時代なのだ。

そんな中で大事なことは、「他の誰かではなく、『あなた』に仕事を頼みたいっ!!!」というように、誰かにとって意味のある存在になることだ。

『自分が近くの誰かにとって意味のある存在になっていく。』
そして、その積み重ねで、たくさんの人の「意味のある」存在となり、最終的にいつのまにか「何者かになっていく」のだと思う。

そう、「何者か」は、あなたが決める者ではなく、自然と呼ばれるものなのだ。

◎あなたがすべきなのは、小さくても「ありがとう」といわれること。

商売の基本は物々交換。自分にあって相手にないモノをお互いに交換する。山の民が果物を、海の民が魚を、相手にとっては「有ることが難しい」ものを交換しあう。だからこそ、自然と「有り難う」という言葉が出てくる。

例えば、日々の中で学んだことを、それがだれのためになりそうかを考えながら、GIVE表現にしてみる。すると、相手が受け取ったGIVE表現の中に「有ることが難しい」ものがあると「ありがとう」という言葉に変換されて返ってくる。
つまり、私のメッセージは誰かの役に立つものとなるのと同時に、その表現を通して、その友人が何を欲しているかがわかる。

これを続けていくと、
私の存在が、その相手にとって、その旅にほんの少し同伴する「意味のある」友人に変化する。

◎お金は便利を増やしたが、有り難うを減らした。

「老後には2000万円じゃ足りないから、もっとお金を貯めなきゃ」とか
「インフルエンサーの時代だから、ツイッターのフォロワーをもっと増やさなきゃ」とか
変化の時代ゆえに、不安や焦りに踊らされ煽られ、ついわかりやすい「数」ばかり追ってしまって、「目の前の人」よりも「自分のこと」ばかり一生懸命になり、目がいってしまうのではないか。

じゃあなぜ、僕らは「誰かにとって意味のある存在であること」に力を割きにくくなったのか。

お金だ。

お金が発明され、お金が仲介することで、わざわざ苦労して交換相手を探さないでも、必要な物を手に入れていきていくことができるようになった。

交換はより便利になったのだ。

しかし、それによって誰かから「有り難う」と直接言われる機会を失い、誰かにとって「意味のある」存在になれる機会を減らしてしまった。

◎「いいね!数」「フォロワー数」が何者かになる機会を減らしている。

いいね!数とフォロワー数も同じ。お金と同様で、「いいね!数」やフォロワー数を数値で変換してしまうと、一人一人からの「有り難う」の意味が薄れてくる。承認の欲求をみたそうとすれば、何者かになろうとすればするほど、いつの間にか、たくさんの「いいね!」やフォロワーが欲しいと数を追いかけていくようになる。

我々は、「有り難う」の意味を忘れ、「数字のオバケ」にとりつかれやすくなってしまう。
じゃあ、「数字のオバケ」に負けずに「自分の物差し」を育てるためにどうすればいいのか?

自分から誰かから「ありがとう」と言ってもらえる「GIVE」を繰り返し、特定の誰かにとって「意味のある」存在になることを重ねること。

これらによって、ある意味の流れの中で、特定の人たちに呼ばれる「何者かになっていく」

つまり、あえて数字を追う世界から降りることで、「意味のある自分」を見つける。


◎離れてもつながれる、変化の時代にゆるがない武器を手に入れる。


見えている問題に向けて、問題を早く正確に解くことが重要だった時代は、同質な近くにいる仲間とスクラムを組んで走ることが成功ルートだった。
だが、変化が激しく、昨日までの正解が機能しなくなる時代においては、遠くの人ともゆるくでも意味ある絆で強くつながっている方が、誰かが穴に落ちていっても他の誰かは傷が浅かったり、むしろ時代の前線にたったりと、助け合うことができる。

何か一つにいぞんしてしまっている状態から自立するためには、依存しないのではなく、複数に依存先を増やすこと、少数でも、遠くにいる人たちからあなたならば助けたいといわれるような意味のある存在になること。

特に自由業を営んでいる自分としては、下の3つを大事にしたいところだ。

・独立することで、より広いつながりを得る機会にかえていくこと

・独立することで人と触れ合い、より自分の価値観に磨きをかけること

・1人で自由に仕事をしていても、つながりがあり何も困らない自分でありたい

当面GIVEする生活をしていく意気込みであるが、いつかこれをみている人の伴走者にもされたならこの上ないのである。


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