ピアノにもカポタストが嵌められたらいいのにね(._.)
主に移動ド音の話。もしかしたら絶対音感とかそういうことにも関係するかもしれない。
俺と音楽との関わり
先日、楽譜が読めるだの読めないだのという記事を書いたが、勢いで書いて公開してから後悔した(駄洒落)。あの内容では、長年の間悩んできた「俺は楽譜を読めているのか問題」の半面しか触れられていない。
何故そんなことになったかというと、最近、俺の日常生活において「音楽」という分野に属する部分の大半が「ピアノの練習」になっているからだ。
簡単に、俺の人生における「音楽」との関わり合いを順不同で説明しておくと、
▼中学3年生の時にギターを握ったが、あまり練習しなかったので「コード弾きは出来る」という程度である。
▼なので、大学生の時にバンドを組んでからは、基本的にはエレキベースが主な担当である。大して上手くはない。ちなみに、ベースはメロディー楽器だと信じて疑わない。
▼しかしここ数年、職場の友人とたまにやってるバンドでは、他にベース弾きがいるので、仕方なくドラムスをやっている。下手である。
▼大学生の頃は混声合唱団にも入っていた。パートはテノールだった。今でもたまにチャリティー合唱団に参加したりしている。
▼歌は、下手ではないが上手くもない。声域が高いことだけが取り柄。全盛期は『大都会』の田中昌之のパートを苦もなく歌えた。今でもカラオケの十八番は『北ウイング』で、中森明菜と同じ実音で歌う。
てなところである。ここに、大人になってから初心者として始めたピアノが加わる。下手である。
再び、「俺は楽譜を読めているのか」問題
さて、ピアノは鍵盤楽器なので、とりあえず鍵を押さえすれば所定の音は出る。「ドを出したい」と思えば、ドの鍵を押せば解決である。
だから、五線譜上の音符の音名さえ言い当てることが出来れば、理屈の上ではピアノは弾けるので、「楽譜を読めている」ことになる。
しかし、歌はそうはいかない。音符の音名が分かっても、その音を自力で発声するという次の段階をクリアしなくてはならない。
そのスキルがなければ、「楽譜に従って演奏する」ことができないのだから、この状態を「楽譜を読めている」と称することはできまい。
この見解に基づくなら、歌を歌うという分野においては、俺は「楽譜を読めない」のである。
より正確に言うなら、「読めるか読めないかと言われれば読めないことはなくて、ただとにかく時間がかかってしまい、それは『質』の差ではなくて『量』の差なのだという前回の記事の主張に従うなら『量』の差に過ぎないので、『読めるけどムチャクチャ遅い』と言えないことはないのだが、いやマジであまりにも時間がかかり過ぎるし、加えて不正確でもあるので、何ぼ何でもこれは『遅いけど読める』というレベルではないだろう」という状態なのである。分かりにくい日本語ですまん(・_・)ゞ
簡単に言い直すと、楽譜上の音符がドの音であることが分かっても、ドの音を声に出して歌うことが、ほぼできないのである。
移動ド音を使って楽譜を書く
ところで俺は、歌を歌うという分野において「楽譜を読める」のかどうか怪しい、と書いたが、実は「楽譜を書く」ことはできるのである。
ちょっと待て、読めもせんのに書けるはずがないやろが?
はい、ご指摘はご尤も。しかし俺も口から出まかせを言っているわけではない。これにはカラクリがある。
俺が「楽譜を書ける」というのは、自分で作った曲の場合である。いちおうバンドマンだから作曲とかもしてたわけだな。けっこういい曲もたくさん作ってきたが、それはまた別の話。
作曲する時には、基本的にはギターを使う。フレーズを思いついたらギターをじゃらじゃら鳴らしながら続きの旋律を作ったり構成を考えたり、コードを付けたりする。
なので、自作曲の旋律が頭の中(というか鼻歌の中)で完成した時点では、その曲のキーやコードも既に決まっている。
キーとコードが決まっているということは、調性も決まっている。調性が分かっていれば、「移動ド音」が適用できる。
例えば、キーGで作曲すればその曲のトニック音は「ソ」になるが、それを「ド」と看做す。すると、たとえばキーGでの「レーシー、ラララシソー」という旋律は、キーCでの「ソーミー、レレレミドー」を平行移動したものと看做すことができる。
ちなみにこれは『大都会』の冒頭部分な(・_・)ゞ あれはキーGつまりト長調の曲だ。
――というか、上の説明はむしろ実態とは逆で、ギターをじゃらじゃら鳴らしながら作曲をしている間、俺の頭の中では「レーシー、ラララシソー」という認識にはなっていない。
俺はその時、頭の中では当該の旋律を「ソーミー、レレレミドー」としか認識していないのである。
加えて述べるなら、仮のこの曲をキーFつまりヘ長調で作っていたとしたら、この旋律は「ドーラー、ソソソラファー」であるはずなのだが、それでもやはり、俺の頭の中では「ソーミー、レレレミドー」なのである。
俺は、頭の中で認識しているこの階名を、当該のキーに応じて音名に翻訳しながら、楽譜を書く。頭の中での「ド」を、キーGという調性に照らして「ソ」に置き換え、ト音記号の譜面であれば第二線の上にオタマジャクシを書き入れる。
こうすれば、楽譜を書くことができるのである。
自作の曲でなくても、楽器があれば楽譜は書ける。
耳で聴いた曲を歌う。その音を、楽器で確かめる。「あ、この曲はトニックがレだから、キーDだな」と判明する。それさえ分かれば、頭の中の「ド」を「レ」に、「レ」を「ミ」に、「ミ」を「ファ#」に、それぞれ翻訳し、五線譜の上にプロットしていく。
移動ド音を使って楽譜を読む?
では、楽譜を読むほうはどうか?
たとえば、第二線の上に音符が乗っている。これが「ソ」であることは分かる。ピアノを弾くなら「ソ」の鍵を押せば、「ソ」の音が出る。楽譜上の他の音符も同じ理屈である。これで一応、「楽譜に基づいて演奏する」ことはできるから、「楽譜を読めた」と称してもよかろう。
楽器がなければ?
俺は、この「ソ」の音を自力で表現できない。「ソ」の音の高さが分からないのである。まあだいたいこの辺かな? というぐらいの見当はつくが、まるで正確ではない。絶対音感が無いのである。
楽譜を見れば調性は分かる。#とか♭の数を数えればよい。
調性が分かれば、第二線の上に乗っている音符が、キーGのトニックなのか、キーCのドミナントなのか、はたまたキーDのサブドミナントなのか、判別はつく。
判別がつけば、それぞれの音符が、移動ド音でいうところのどの音なのかが分かる。楽譜上の「レーシー、ラララシソー」が、移動ド音の「ソーミー、レレレミドー」であることが分かる。
だから、歌えないわけではない。だが音の高さは保証ができない。これでは、言葉の正確な意味において「楽譜を読める」とは言えないであろう。
転調とか、無調とか
さらに厄介なことがある。
今まで書いてきたのは、「歌を歌うという分野においては、言葉の正確な意味においては、俺は『楽譜が読める』とは言えない」ということで、換言すれば、「正確な意味では読めないが、まあナンチャッテ的な意味では、読めると言えないこともない」というような状態である、ということだ。
しかしこれは、日ごろ慣れ親しんでいるポピュラーミュージックの、それも全てではなくて一部に限って言えることである。
移動ド音でいえば、長調の曲はだいたい「ド」で終わるし、短調の曲はだいたい「ラ」で終わる。トニックコードがついてる部分の旋律はドミソが主たる部材(短調ならラドミだな)で、それ以外の音が経過音とか刺繍音とかの非和声音として使われる。
俺の「楽譜を読む」スキルは、そういう前提が成立している曲にしか適用できない。
テンションコード多用されたり、途中で転調したりすると、もう追い切れない。クラシックだと、途中でしょっちゅう調性変わるし、というかポピュラー音楽みたいに最初から最後まで一気通貫の主旋律とかないし、どうかすると無調音楽とかあるし、とても手に負えない。
絶対音感があれば万事解決なのだろうが、あれって先天的に有る無しが決まっているのか、鍛錬によって獲得できるものなのか、どっちなんですかね(・_・)ゞ 教えてえらい人。
ピアノ用カポタスト
それにしても、ギターという楽器は、感覚的には移動ド音での認識と非常に相性がよい。理屈の上では、カポタストを嵌めれば、どんな調性でも同じコードで対応できるからである。
キーDの音が欲しければカポ2のCで弾けばいい。キーGの音がほしければカポ7のCで弾けばいい(実際にはそんなことはしないが)。全て、キーCで対処できる。カポの分だけ、平行移動してくれるのである。
まさに、移動ド音の考え方を体現したような構造である。
その点ピアノというのは面倒くさい。押さえる鍵がまったく平行移動してくれない。移動ド音で旋律を認識している人間にとっては、実に攻略しづらい楽器である。
なんでピアノにはカポタストがないんだ(._.)
ピアノにカポタストを嵌めることができれば、キーCでのスケールと各種和音の運指さえマスターすれば、たいがいの曲は伴奏つけて弾き歌いができるではないかないか道頓堀の角座(.⌒.)
まあ生ピアノはさすがに無理だろうが、電子ピアノなら、ペダルとかスイッチとかで、思いのままに平行移動してくれるような機構が簡単に装備できるのではないだろうか。
というか、俺が知らないだけで、世の中の電子ピアノにはそういう機能が既に備わっているのかもしれない。←ググれよ
以上、とりとめのない話でした(・_・)ゞ
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