原文の持つ空気
英語がオリジナルのミュージカルは、舞台であれ映画であれ、できる限り英語で観る。それが私のミュージカル鑑賞ルールです。
もちろん、劇団四季や日本の俳優陣による日本語公演も観ます。歌詞が日本語か英語かに関わらず、素晴らしい役者は素晴らしいし、いい舞台はいい。
それでもできれば原文歌詞で観たい。原文でないと消えてしまう歌詞の遊びが、特に何度も同じ主題をアレンジして引用する手法をよく使うミュージカルには多いのです。また、歌に合わせて翻訳するとどうしても日本語は音数の影響で意味を削らなければならなくなる。物語としては十分通じるのですが、そこで削られたニュアンスがものすごく、なんというか、惜しいと感じることがあります。
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例えば、昨日観てきた『RENT』。
ミュージシャンのロジャーに、階下に住むミミが強引に迫ってくるシーン。「Come back another day. Another day!(また別の日に来るんだな、別の日に!)」とミミを遠ざけようするロジャーに、ミミは「No other road, No other way. No day but today(他の道も方法もないの。今日しかないの、今が全てよ)」と歌います。この「Another day」と「No other」「today」の掛け合いの気持ちよさ。英語じゃないと出てこないと思う。
また、この二人が歌う場面には、「I should tell you」という言葉が何度も繰り返されます。これもまた、シーンや背景によってどんどん色を変えていくキーワードです。
元恋人がHIV陽性でその死への絶望に耐えられず自死してしまったのを引きずり、恋愛に臆病になっていたロジャー。また、自身もHIV陽性で、それを気にしてミミを遠ざけようとしていました。ミミにキツく当たりながら、時折つぶやく「I should tell you, I should tell…」。それは「自分はHIV陽性なんだと、だから君とは恋愛できないのだと、伝えなければ、伝えなければいけないのだけど……」という、迷いと恐怖。
ところがミミもHIV陽性であったことがわかり、二人の間は少しずつほぐれていきます。そこで口にされる「I should tell you」は、「さっきは、こういうつもりだったんだ、ごめんよ」という、謝罪やコミュニケーションの意思。
そして最後の最後の「I should tell you」は、「愛してる」。「伝えなくては」ではなく、「伝えたいんだ」になるのです。
何度も繰り返されるフレーズが、こんなにグラデーションのように意味合いを変えていく。同じフレーズなのに込められている気持ちが違う、そこに二人の関係性が色濃く出ているのであり、言語が変わるとその表現が薄れてしまう場合があります。
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ちなみにタイトルの「RENT」とは家賃という意味のある言葉なのですが、それについて今日こんなことをツイートしました。
で、パンフレットを見ていたら、こんな解説があったのです。
なるほど〜! やっぱり、こういうダブル・ミーニングは原作の言語じゃないと出ないですよね……。
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もう一つ、私が大好きな、今まで観てきた中で一番好きだと言っているミュージカル『Wicked』についても少し。
作中最も有名な楽曲「Defying Gravity」は、“善き魔女”グリンダと、“緑のウィケッド”エルファバの口論から始まります。オズの魔法使いの元を飛び出してきたエルファバに対して、「満足なんでしょう? ええ、そんな選択をして一生を台無しにして、満足なんでしょうとも!」とものすごい皮肉の意味で「I hope you're happy, I hope you're happy now(満足なんでしょう?)」と歌うグリンダ。それに応えるエルファバも同じく「I hope you're happy, I hope you're happy too.」と歌い、「あなたこそ満足なんでしょう?! 野心を満たすために卑屈になって、それで満足なんでしょうとも!」とものすごい皮肉で返すのです。
しかし少し落ち着いて想いや決意を語り合い、友情を確かめ合う二人。そうしていよいよ追手がやってきて、エルファバが箒に乗ってたたなければならないという別れのシーンに二人がハーモニーで歌い上げる歌詞も、「I hope you're happy in the end, I hope you're happy right now」。今度の「I hope you're happy」は、これ以上なく優しい祈りのようなのです。
同じ「I hope you're happy」でここまで変わるのかと驚くほど。けれど、日本語歌詞だと一つずつ表現が変わってくるので、「同じ言葉のを使うことで二人の感情や関係性の変化を際立たせる歌詞」が消えてしまいます。
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Wickedのナンバーからもう一つ。これは同じフレーズを使った表現ではないのですが、なかなか英語でないと醸し出せないニュアンスのある楽曲があります。「For Good」です。
第二幕、エルファバとグリンダの、本当の本当に最後のお別れのシーン。「Because I knew you I have been changed for good」と互いに歌います。単純に訳すと「あなたに出会って、私は変わったの」という意味。でも、それ以上の深みのある言葉で。「I have been changed」と受動態にしていること、さらに「for good(永遠に)」と加えることで、「あなたの存在のおかげで、私という人間の在り方が変わるほど、あなたは私の人生にどうしようもないくらい多大な影響を与えた。その影響はこれからもずっと続く、もう会う前の私には戻れないほど」というような、相手の存在の大きさと感謝・敬意を表している、と私は捉えています。
このニュアンスがなかなか日本語だと出てこない。
ちなみに日本語歌詞は「いつまでも あなたを忘れない ずっと」。いや、間違っちゃいない、そうなんだけど、そうなんだけど!! 想い出のアルバム、仲のよかったあの子、みたいな話ではなくて、自身の在り方にまで影響しているのだというニュアンスがどうも消えてしまって、歌詞を見るたびに「もったいない!」と思ってしまいます。
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なんて書いているけれど、私がWikcedを観たのは劇団四季。つまり日本語歌詞でした。
ステージで観ているときは歌詞の違いは全然気になりません。没入していたし、本当に俳優陣が素晴らしかったから。濱田めぐみさんのエルファバと、沼尾みゆきさんのグリンダという、この上ないキャストで観た私は、その記憶が鮮烈すぎて他のキャストでは観られないと思うほどにいいステージでした。それだけ歌詞や音以外の要素って大切なんだとも言えると思います。俳優の演技や演出で、歌詞でこぼれ落ちてしまう部分が十分に表現されているから、気にならないんだもの。
でも、家でサウンドトラックを聴き比べると、どうも「う〜ん、惜しい……!」となるんですよね。その言葉遊び、言葉表現まで含めて、作品だと思うから。
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ただし一曲だけ、英語版より日本語歌詞が好きなミュージカル曲があります。『アラジン』の「Speechless」です。
「私は黙ってなんかいない」という意味で歌われる「'Cause I know that I won't go speechless」。英語歌詞だと、一番クレッシェンドで伸び、繰り返される言葉は「speechless(沈黙)」という単語です。
これが日本語歌詞だと「心の声あげて 叫べ!」と歌われます。一番力強く繰り返される言葉が「叫べ!」。なかなか爽快なので、よければYouTubeで聴き比べてみてください。
▼Speechless 英語
▼Speechless 日本語版
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