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ことばは、まだ、わたしたちの領域だ。

ここ最近、考えていたことがある。

chatGPTが話題。
noteにもAI機能。

最初は、シレッとウソをつく
なんて言われていたchatGPTも
いろいろ学習させれば、
指示の仕方を工夫すれば、
それなりにいいものが出るという。

下調べ、これでOK。
定型文、これでOK。

ちょっとした見出し、
そのまま使うにはまだ甘いけど
最初の案出しは、これでOK。

驚きとともに、ちょっぴり怖かった。

でもコンテンツは、編集は、
やっぱり人を通すから意味があって
どう切り取るかが大切なんだって、
言ったりしていた。

ちゃんと、本気で。
半分は、強がりで。

ライターも、編集者も、コピーライターも。
一流の仕事は、きっと残る。

だけど、淘汰されていく人も
いるに違いない。

企業が出す仕事の総量も減るかもしれない。

その中でわたしは
それでも仕事をお願いしよう、
それでも予算を掛けよう、
と思ってもらえる人になれるだろうか。

不安だった。

半年くらい前から、思ってた。
このままだと、先細りするぞって。
そこそこ、で終わるぞって。

だから、コピーを学ぼうと思った。

でも、その先細りは、
そこそこ、の終わりは、
半年前に思っていたより
ずっと早く来るかもしれない。

そう、chatGPTの話題を見ながら
焦りと不安を抱いていたのです。


今日、一冊の本を読んだ。

児島令子さんのコピー集め
『私、誰の人生もうらやましくないわ。』

買って、読んで、読み切った。

大丈夫だ、と思った。

大丈夫。
わたしたちの〝ことば〟は
〝こころ〟だ。

AIが扱っているのは、
〝言語〟であっても、〝ことば〟じゃない。
扱っているのは、情報だ。

〝ことば〟と〝こころ〟は
まだ、人間の領域だ。

わたしたちの、領域だ。

その力が今のわたしにあるかは、
まだ未知数だけど。

それでも、
コピーを学ばねばと思ったのは
きっと、正解だ。

大丈夫。まだ、当面は
取って代わられるなんてことはない。

〝ことば〟は
わたしたち人間の、領域プライドだ。

そう、思えた。
今度は、強がりではなく、本当に。


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