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さくらの意味

もうすぐさようなら。その宣告代わりの入院連絡を受けた時は桜の蕾が膨みかけていた頃。2歳の娘と0歳の息子を連れて遊園地に来ていた三月末日のことでした。

「子どもを預けてでも母さんの介護に来て。午後の途中まででいい。託児所にかかる料金は俺が払う」と言って、父がヘルプの電話をかけてきた時、これはもう終わりなんだと察知しました。そこから怒涛の三週間。

毎朝2つのチャイルドシートに子どもを乗せ、スナックパンをかじらせながら車を走らせ30分。病院に近い無認可保育所に二人を預け、実家に住む祖父母の様子を見てから寝たきりの母がいる病院へ。毎日通るその幹線道路には、大きな桜が人工的に植えられていて、病院にも桜の木が沢山。少しずつ咲いていく薄桃色の景色を見ながら、いつ終わるかわからない、あてのない闘病と介護の日々を過ごしていました。

母の病気は元乳がん。末期に近いレベルの凶悪ながん細胞が見つかり乳房摘出後、抗がん剤治療を通院で受けている最中。内臓のどこかに転移してしまえば終わりだと、1年前に告げられていました。

着替えを取り替えたり、食事をサポートしたり、他愛のない話相手をしたり。父が必ず半休とって帰ってきてくれるので、半日しか付き添わない私は特に大変でもなんでもなく、ただ漫然と母子の時間を過ごしていました。それでも、自力でトイレにすらいけない母をシャワールームに連れて行って、ストレッチャーの上で入浴介助するというのを初経験した時、足が桜の木の幹のようになっているのを見て怖くなりました。

こんなの、人間の足じゃない。

それでも入浴できたということは回復してきた証だと言われ、本人はしんどそうにしながらも笑顔で「さっぱりした」と嬉しそう。車いすに乗ることもできた時は託児所帰りに子連れで病院に戻り、みんなで一緒に病院の中庭を散歩しました。
シーズンは終わりかけのはずなのに、まだ満開の桜の花が私たち家族を迎えてくれる。今年の桜は随分長く咲いてるね、と喜ぶ母の車いすと、息子のベビーカーを手押ししながら、私も沢山笑いました。

まだ大丈夫。まだお別れじゃない。なぜかそんな安心した気持ちで帰宅した翌早朝。危篤の報を受けて飛び起き、寝巻きのまま子どもたちを車に乗せてかっとばしました。30分かけてひた走る、いつもの道。早朝の道は空いているので早く行けるはずが、なぜかゆっくりに感じてしまい、気持ちばかり焦る。途中の幹線道路で見かけた桜は、ほとんど散って枝ばかりになっていました。

4月21日。
よく考えたらこんな日まで、いつまでも満開なはずがない。昨日まで目にしていたあの桜は、本当は幻だったのか――。

今でもその真相はわかりません。
最期の母に語り掛けることもできませんでした。

それから私の人生は怒涛の如く変わっていきました。ワンオペ育児、ワンオペ介護。趣味事なんて本当にする暇もない。それでも何もしないなんて気が狂いそうだ。せめてこの感情をどこかに吐き出したい。
ぐずる息子を抱いてあやしながらパソコンの前に座り、ブログを立ち上げ、ハンドルネームをどうするか……悩んだ時になぜかすらっと出てきた名前が「さくら」でした。でもこの名前じゃどこにでもいるな(笑)と思い、元々ゲームで使っていたハンドルネーム「怜音」(ゲームのために作った創作キャラ)をくっつけたのが、今の名前です。

大事な母との思い出と、創作活動を続けたい自分の気持ちが自然につながったものなので、今後もかえることはないでしょう。

子育てと仕事に忙殺される日々の中、在宅勤務へのシフトチェンジを夢見てライター兼デザイナーとしてクラウドワークスに登録しましたが、コンペは不採用ばかりの日々。ただ登録して待機していても仕事はこない。名刺を作り、安い仕事ばかり請け負って実績を積みながらクライアントさんとの縁を深め合った甲斐あって、徐々に広告イラスト業のお仕事をいただけるようになり、第二の本名として使うぐらいには大事なものに育ちました。

もうこの世にはいない母と一緒に育てた、もう一人の私。

そんなに仲のいい母子ではありません。でも仲が悪かったわけでもない。友人と遊ぶより一人で物語を読み書きすることを楽しむ私に本を沢山買ってくれたり、同人誌に興味を持った13歳の私を咎めることなく、神戸国際展示場での同人誌即売会に連れて行ってくれた、理解のある母でした。そういえば、〆切間際の原稿に消しゴムをかけてくれたこともあります(笑)当の本人はそういうの全く興味ないんですよ。夜中まで起きて執筆していたらよく怒鳴られました。でも私の趣味を決して卑下しない。

恵まれた子どもだったと今でも思っています。

そんな母が他界した時の年齢に近づくにつれ、自分はあと何年こうやって生きていられるのだろう、と考えることが増えました。それがそのまま、光くんの心理描写に繋がっているところもある気がします。大人になってからWINGSの物語にきちんと向き合えるようになったのも、思えば母のおかげなのかも。ちなみに祖母は36歳、母は50歳で他界してます。勝手な予想で、私の人生のエンドラインはきっとその中間あたりだろうなと思ってます。私のリアル年齢を知っている人はきっと!?と思われるでしょうね。せめて子どもたち二人ともが成人するまでは生きていたいので、私も当然足掻きますよ。健康第一です。
その戒めのためにつけた名前でもあります。

まだ子どもたちにはこの名前の由来を語っていません。
いつか語る日がくるかも……と思いつつ、「さくらさんへ」と書いてもらった感想お手紙や差し入れに囲まれて、楽しく創作活動を続けています。

今日も私は笑顔です🌸


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