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寂しさの正体

昔の下書きを漁ってたら、「今なら答えられる!」っていうテーマを見つけたので、半年越しに下書きの途中から書き出しました。


寂しいとは?

ひとりは寂しいと言う感覚は、万人に共通しているのでしょうか。

最近、ひとりでいる時よりも恋人といる時の方が寂しい。
今から理由を考察したいけど、端的に言うと、

「私だけ寂しいと思っているのが寂しい」

気持ちを理解してもらえないのが寂しい?
私のこと本当に好きそうじゃないから寂しい?

自分だけ寂しがってる=相手は私のこと必要としてない=愛されてない=離れていっちゃう=やだ 

になってるっぽい!

うーん、そもそも、

「なんでそんなに必要とされたいんだろう???」

(さぁ、問いが一つ進んだので考察タイムに入ります。)

問いのアンサーとしては、
「自分で自分を必要としていない、自分のことを大切にできていないから、それを他人に求めようとしている状態」なのかも。

今まで、自分のこと大好きだし割と大切にしているつもりだったから、だいぶ認めるのが難しい。
私は人一倍向上心が強くて、自分が立てた目標に向かって割と前向きに進んでいるつもりだけど。

あ!もしかして、向上心があることはいいことだけど、それって、今の自分じゃダメだっていう前提のもとに成り立ってる??

どこら辺が大事にできてないんだろう。いつから私は私のことを蔑ろにし始めた?

私が強くいなきゃ家族を守れないって思った時かもしれない。
母子家庭で育ったことも影響し「全て完璧にできないといけない」「男に負けちゃダメ」「人の期待に応えないと離れていってしまう」という価値観がどこかにあった。
媚びたり甘えたりするのが苦手だったから、強く完璧であることで人を惹きつけようとしてきた。
そのためには、自分を自分で厳しく律する必要があって、自分のことを無条件で認めたり褒めたりしたことなんてほぼなかった。

自分はこんなもんじゃない、まだやれるって思うことが、自分を信じることだと思ってた。
でもそれって、別に今の自分を否定する必要はない。
けれど、私は私に対して、叱咤激励のつもりでも、「こんなことができないならお前なんていらない」と言ってきたかもしれない。。

小学生の時、褒められるといつも泣きそうだった。
それは、嬉し涙とはなんか違っていて、自分でも不思議だった。

この謎が、数年越しにある人の言葉で解けた。

感情をグッと堪えて外に出さないようにした時、その堪えた感情が氷の塊となって心の中にできる。その氷が、堪えた時より強い熱量を持った何かに触れた時、涙として溶け出てくる

腑に落ちた。
本当の私はいつも、頑張りを認めて欲しがっていた。それによって必要とされている実感を得たかった。

でも、自分で認めたら甘えになる気がして、これ以上成長できなくなる気がして、絶対に自分を認めたりなんかしなかった。
本当は死ぬほど認められたがっているのに。
だから、誰かに一言でも褒められた時、グッと我慢していた「認められたい」涙が出てきていたんだと思う。

「いや、よく頑張ったよ、私」

今の私は、昔ほど自分に対して厳しくはない。
でも、十数年間繰り返してきた思考の癖ってなかなか手強くて、意識しないとまだまだ愛を注げていないかもしれない。

いつか、自分だけで自分を満たせるようになりたい。
けれど、最初からそうしようとすると結局無理を強いる昔と変わらない。
だから、周りには申し訳ないけれど、まだまだ補填のための愛情を求めてしまうかもしれない。
自力だけでどうにかしようとしないくらいには成長できている。笑

少しずつ、自分のことを本当に好きになれたらいい。
そして、周りにも返せていけたらいい。


それでは結論。

寂しいとは、自分が自分に愛を注げていないが故に、相手に渇望してしまうときの状態なのかもしれません。
安易に考えると、相手が好きすぎて〜とかになってしまうけど、相手が好きすぎる時点で自分のことを蔑ろにしているとも考えられる。

そりゃあ大好きな人とはひと時たりとも離れたくないと思うかもしれない。
人間は社会的生物だから、寂しいという感情も一つの本能なのかもしれない。
でも、慢性的に寂しかったり、人といても寂しかったり、そんな時は自分を本当に大切にできてるか見直すタイミングなのかもしれないですね。

肝に銘じておきます。


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