私と義母 その1

もう深夜だけど、夕方からずっと漫画を読んでばかりで全然動けなかった。
さっきようやく重い腰を上げてごみ捨てと台所の洗いものを済ませたところ。
なぜか義母のことを思い出したので、洗濯物たたむのとシャワーがまだだけど、忘れないうちに書いておく。

義母と出会ったのは18くらいだったと思う。
夫と遠距離恋愛をしているうちに、実家暮らしだった夫に泊まればいいと言われ、何も考えずお邪魔させていただくことになった。
常に体重と戦う私にとって、義母の第一印象は「とてもやせている人」だった。
身長も私より小さくて、小柄で、でもばりばりの方言をまくしたてる義母は私の周囲には今までいなかったタイプの人。
夫とは喧嘩腰のような日常会話を交わし(あとになってこれはDVの兆候だったのかもと気づいた)、男きょうだいを育ててるとこうなるんだよね、ごめんね、と言ってくれた。
結婚する前から息子が生まれ、大きくなった去年までずっと言われていたことがある。

義母の身の上は波乱万丈といえるものだった。
生まれてすぐ母親に捨てられ、父とその実家の人たちに育てられたそう。
いい育ちのおうちだったらしく、微熱が出れば大騒ぎで病院に連れていかれたとか。
そのお父さんも消防に務めていて、地元の人なら誰でも知っている大災害に出て亡くなったそう。
その後祖父母も他界して、父の兄夫婦の家でいとこ3人のお姉ちゃんとして育ったそう。
成人してから実母と再会したけど確執がとても深く、実母(夫の祖母)のお葬式は私も出席させてもらったけどとても苦労してるんだな、と思うようなものだった。

だから、結婚する前からとても念を押されたし、結婚が決まってからも何度となく言われた。

「何があっても、離婚はしないで。もし息子がなにかしたら、私があきちゃんを守るから」

私は当然、そんなことあるわけない、離婚なんてしないと思って結婚した。
だから夫のDVに悩んだとき、この言葉が呪いのようにつきまとって離れなかった。
一度だけ、義母の言葉を信じて相談したことがある。
息子が生まれて間もない頃で、ストレスから体調を崩したり夫が家事育児に非協力的で私に批判的な態度を取ることを、世間話みたいに聞いてくれればいいな、と思って打ち明けた。
義母はひとこと、
「ごめんね。でも頑張って耐えて」
とだけ言った。
何度も何度も、義母の生い立ち、離婚しないでということを黙って笑顔で聞き、テレビで見たあの商品が欲しいと言われてネットで何度も手配したり、具合が悪くても自宅に行きたいと言われればお迎えした、そんなことたちが頭をぐるぐると回った。

この人は結局、自分がかわいいだけで守ってくれはしないんだ、とそのとき思ってしまった。

実家に帰っていた一時期も、両親の電話に「私が守るからどうか帰ってきてほしい」と訴えていたそうだ。
それを聞いて私は

ざまあみろ。

とだけ思った。
ずっと義実家の言いなりになっていた私が、おとなしくそこで死んでくれると思ったら大間違いだ。
夫はひとりになった今も、義実家には帰らずひとりあのアパートで暮らしているという。
それが答えだ、と今は思っている。


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