初めてDVを相談した日

去年春、私は働いていた
電車で2駅、住宅街の真ん中にあるそのお店は、数年前にできた大きな道路を降りてすぐのところにあるので、地元客のみならず観光客や長距離トラックドライバーも利用する慌ただしい場所だった
そこで同時間帯に勤務していたAさんとBさんがいた、Aさんは同チェーン勤務5年以上のベテランで私より一回り年上の人、Bさんはこの業種自体が初めてだったけど半年するとひととおりお任せしても大丈夫な私より二回り年上の人
彼女たちと勤務時間のほとんどを過ごしていて、内向的で人見知りな私だけどこのふたりとは気があってたまに別店舗に異動したCさんも呼んで4人で飲んだりする仲だった
3人とも主婦なので、家庭のことや子どものこと、晩ご飯何作ろうかとかそんなとりとめもないことを手が空くと話していた

話をするうちに、あることに気づいた
3人のそれぞれの夫の愚痴が非常に似ているのだ
私は前述した夫の暴言をたまに笑いながら「あきれちゃうでしょー?」と面白おかしく愚痴っていたら、ふたりから「わかる」「うちもそう」と同意をもらうことが多い
私は怒りを表すのが得意ではないので、ふたりが怒ったり夫の言動を否定してくれるのを見て、ほっとしていた
やはり夫はおかしいところがあるんだな、と思った

そのうち、家の最寄り駅に近づくにつれて、視界が狭くなって周りの人が遠くに感じられて現実感がなくなることが増えた
最初はパニック障害かな?と思っていたけど、家から職場に行くときは起こらず、帰りだけ毎日起きるようになった
Googleで調べると「離人症」の文字があった
仕事が休みの日でも、夫が帰ってくる時間になると落ち着かなくなり、その場から消えてしまいたい衝動に駆られた
これは「夫源病」「夫に対するストレス」だとわかった

その頃は夫がなぜかとても荒れていて、暴言が今まででいちばんひどくて息子にもあたるようになっていった
暴言について調べていると「モラハラ」「精神的DV」の文字が何度も何度も出てきた
信じられないとか信じたくないというよりは、私はまだ軽度で当てはまらないのではないかと何度も何度も精神的DVやモラハラのサイトを見た
チェックリストも20回くらい、何種類もやった
そんな生活が1ヶ月続き、だんだんとそれらのワードの後ろに「離婚」「脱出」などをくっつけて検索している自分に気付き、ようやく自分が被害者の立場であることを受け入れるようになった

たまたま夫の機嫌が悪くて、土曜日の出勤にそれまで2ヶ月くらいずっと送ってきてお店でコーヒーを飲んで帰ることが続いてたから急になくなった理由をAさんに聞かれて、そこではじめて不仲だということを話した
大変だね、うちもそうだよ、なんかあったら聞くからね、と言われて本当に嬉しかった
私は顔とお腹に出やすいタイプらしく、夫がずっと冷戦状態を強いている期間は胃腸が悪くてしょっちゅうトイレに行ったり、昼食食べられなくて事務所の机で目をつぶって頭を乗せて休んだり、一度だけ謎のひどい腹痛でBさんの自家用車で家まで乗せてもらったりしていた
特にふたりには迷惑をかけっぱなしだったので、夫がときどき爆発するんだよね、とは話していた
あるときに夫が激怒して(理由失念)、離婚をちらつかせてきたのでまずAさんに「もし離婚したら地元に帰るんだ」と軽く話した
その職場はとある社内資格がある人が必要不可欠で、私とAさんしかその資格を持っていなかったのと、たまたまAさんとのシフトがBさんより多くてその日もAさんとふたりだったので、先にAさんだけが知った形になった
それからBさんが「Aさんから聞いたよ、大丈夫?」と聞いてくれたんだけど、詳細を話そうとするとなぜか涙がぽろぽろこぼれて、うまく話すことができなかった

そんな折、詳しいことは忘れたけど夫が息子とふたりで泊まりの旅行に出かけて、それが急だったから暇だーってAさんとLINEしてたら、暇ならあきさんちの近くでご飯食べようという話になって、AさんBさんと3人で食事をした
自宅近くのファミレスに集まってくれて、最近の家庭の様子はどう?と聞いてくれた
そこで私は堪えきれず、途中から泣きながら夫のこと、できれば相談機関に行こうと思っていることを話した
ふたりもいつものように同調してくれると、そのときは勝手に思っていた
だから彼女たちの次の言葉にとても驚いた
「よくあることよ」「あきらめが肝要」「相談に行ってもあきさんの思う結果にならないと思う」「愚痴って忘れましょ」
もっと建設的な意見をもらえると思っていた私は拍子抜けした、根本的解決はひとつとしてできないような言葉がまさかふたりから出るとは思わなかった
そこでひとつ、私が彼女たちに置いていた信頼が崩れた
彼女たちは偶然にも自分の実家で結婚生活を営んでおり、愚痴る相手に事欠かないのかもしれないが私にとって不満を表に出すというのはとても労力を使うことだった

その3週間ほどあと、自治体の相談所に誰にも黙って相談に行った
とても、とても気が重かったが金曜日のある日「今日行かなければまた来週、来月と先延ばしにしてしまう」と決意して、何度も間違い電話にならないよう番号を確かめ、そのページに書いてあるDVに当てはまるか30分以上チェックをして、iPhoneで電話をかけた
「はい、<部署名>〇〇です」
緊張していて名前が聞き取れなかった
「あの、DVの、相談をしたいのですが…」
その言葉を発した瞬間、涙があふれてしまった
DVという単語を他の人に伝えたのは初めてで、そのときなんとなくもうそういう括りの中に入ってしまったんだな、私は虐げられている立場なんだなと直感的に思った
誰かに聞かれたら大変だと思って、役所の近くの幹線道路の歩道で電話をした
周りがある程度うるさかったら、誰かに見つかっても言い訳としてごまかせると思ったから
「…今から来られますか? お名前は?」
私は自分の苗字と、今から行きますと言って電話を切り、役所に向かった
電話の向こうの人は、名を福部さんと言った

役所は何度か来たことがあったけど、その部署に行くのは初めてでどきどきした
福部さんを呼んでもらうと、すぐ隣の面談室に行きましょうと言われふたりで入った
入るときに福部さんが、ドアの横の空室表示をきちんと使用中にしていて、私は今から外に漏れると困るような話をするんだな、こういうのってちゃんと使う人がいるんだな、とどうでもよいことを思いつつ緊張で体がこわばっているのを感じていた
あらかじめ今までのことを書いたものを持参していたのでそれを渡した
前述のファミレスのことなどもあって、話して伝えるのは難しいと思ったから
福部さんは読んで、あとでコピーを取らせてくださいねと言った、そして
「今までよくがんばってこられましたね、ひとりで辛かったですね」
と言ってくれた
否定せず、私の話を聞いてくれた人は福部さんが初めてだった
私はその場で号泣した 止まらなかった
「これは…夫のしたことはDVなんでしょうか?」
やっと涙が落ち着いた頃、私は尋ねた
私が悪い部分も少なからずあって、借金をしてしまい夫のバイクや高い一眼レフカメラを売ったお金で支払いをしてもらったこともあるので、明らかに足りないお金を渡されても、機嫌が悪いときにそれすら渡されなくても、私が悪いのか夫が悪いのかわからなかったのだ
「これは間違いなくDVです」
福部さんはそう言い切った。

#DV #相談 #離婚 #モラハラ #PTSD

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