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インタビュー企画:俳人の眼から見つめなおす「日本の風土」の今までとこれから

夏井いつき著 『絶滅寸前季語辞典』 を拝読して、この方にお話を伺ってみたいなと感じた。以下、その趣旨をご本人へのインタビュー企画書の形で妄想的にまとめてみたものである。

-------<インタビュー企画書:ここから>-----------
夏井いつき様

はじめまして、野中健吾と申します。
本業はエンジニアを20年ほどしておりますが、近年学んでいる茶の湯で感じていることなどもあわせ、思うままにnoteで記事を書きつづっております。この度、ご著書である『絶滅寸前季語辞典』を拝読し、個人的に最近考えております「日本と日本人のこれから」について、1つの糸口に出会えた思いが致しました。つきましては、是非以下のような形でインタビューをさせて頂き、それを記事化できればと考えております。

【企画名】
俳人の眼から見つめなおす「日本の風土」の今までとこれから

【本企画のポイント】
●歴史と現代性に彩られた「季語」の観点から、日本人が培ってきた季節感の姿を探る。
●近年の異常気象や社会のデジタル化を受け、近未来の日本人の季節感はどのように変化していくのか(あるいは変化しないのか)を想像、検討してみる。
●上記を統合する中で、日本人が持つ「風土」というものの全体像をとらえ直してみる。

【本企画の趣旨】
 古来より、日本人は四季折々の風物詩を愛でてきました。季節感は日本の風土の大きな特徴であり、歴史的に日本人の精神性や文化に大きな影響を与えてきたことは、多くの日本人が同意するところであると思います。
 しかし、戦後の経済発展に伴う都市化や土地開発、それに伴うコミュニティ構造の変化などにより、自然や文化を介して季節を体感する機会は減少しました。また、先日の苛烈な猛暑のように、異常気象により四季のサイクルやバランスそのものが崩れてきているような傾向も近年は見られます。逆に、コロナ禍やデジタル社会の進展によって仮想空間でや在宅で桜の映像を楽しむ「バーチャル花見」といった新たな季節の愛で方も生じています。

 私たち日本人の季節感、ひいては私たちの感じる「日本の風土」といったものが今までどうやって育ってきてこれからどうなろうとしているのか。それをこの時点で一度とらえ直すことは、今後の日本や日本人の在り方を考えるうえで指針の一つになり得るのではないでしょうか。

 『絶滅寸前季語辞典』を拝読した際、上記のための手段として「季語」を通じて季節と向き合ってきた俳人の方のお話を伺うということに有効性を感じました。季語には故事に由来するものもあれば、時代によって意味が変わってきたもの、近年になって新たに生まれたものなど、まさに各時代の日本人の生活実感に根差した季節感を内包してきたものかと思います。特に夏井様は、そういった季語に潜む歴史的豊かさや時代により変化するダイナミズムを重視される視点をお持ちだと感じ、謹んで本企画を提案させて頂いた次第です。

【インタビュー日時】
 よろしければ7,8月の平日の10-17時の時間帯にて、また差し支えなければ普段俳句の思索をされている場所で、1時間ほどのインタビューをお願いできればと存じます。ご都合に応じていくつか候補日時と場所のご指定を頂戴できましたら幸いです。

【伺いたい内容(トピックス)】
 以下は例であり、実際にはざっくばらんにお話をしていく中で「日本の風土」といったもの現在位置や将来像が浮かび上がる様なインタビューにできればと考えております。

●夏井様にとって「季語」とはどんなものか?そして、「季語」を通じて見える季節感といったものはどういったものか?

●現代社会に存在しない過去の風物詩を示す「歴史や概念としてのみ残る季語」を、現代の俳人はどのようにとらえているのか?そして、その中でもよく使われるものと、そうでない(絶滅した、絶滅間近の)ものとの違いとは何か?

●俳壇(俳句を作られる方々の社会)における、古い/新しい季語の改廃についての意見の主な潮流はどういったものか?

●気候変動により四季の移ろいや状態が大きく変化していった場合も「季語」の意義は不変か?あるいは変わるとしたらどのようになるのか?

●社会のデジタル化が進み、メタバースといった仮想空間で過ごすような時間が増えていった場合、日本人の季節や風土といったものへの意識はどうなっていくとお考えか?

●仮に日本人の季節感が今後薄れていくとするならば、それは「日本人」の心根にどのような影響を与えていくとお考えか?

【連絡先】
野中健吾
e-mail : ******
携帯 :******

以上、よろしくご検討ください。

-------<インタビュー企画書:ここまで>-----------


好き勝手なことを気ままに書いてるだけですが、頂いたサポートは何かしら世に対するアウトプットに変えて、「恩送り」の精神で社会に還流させて頂こうと思っています。