第七回:新選組との共闘「甲州勝沼の戦い」 [武心の源流・幕末日野篇]
旧幕府軍を京都で破った新政府軍、いよいよ関東進撃。江戸に帰還した新選組の隊士たちは、新政府軍の江戸進軍を阻むべく甲州街道を西進します。
局長・近藤勇や副長・土方歳三らにとって甲州街道沿いの多摩地方は生まれ育った故郷。新選組をずっとサポートしてきた佐藤彦五郎は、久方ぶりに義兄弟の近藤勇、土方歳三らと再会。そして新選組と共に「甲州勝沼の戦い」へと身を投じることになるのです……。
歴史上のエピソードから現代ビジネスの経営やマーケティングに活かせるヒントを見つけ出す人気コンテンツ「歴史発想源」。
新選組の活躍と並行して幕末時代の多摩地方を描いていく「幕末日野篇」、第五回をどうぞ!
▼歴史発想源「武心の源流・幕末日野篇」〜佐藤彦五郎の章〜
-----------------------------------------------------------
【第七回】新選組との共闘「甲州勝沼の戦い」
-----------------------------------------------------------
■ 佐野彦五郎、ついに新選組に合流
京都で旧幕府軍を大いに打ち破った新政府軍は、いよいよ旧幕府を完全に叩き潰すべく、旧幕府の本拠地である江戸に向かって東へと進軍します。
江戸城では旧幕府の幕臣たちが、抗戦派と恭順派が意見を対立させており、軍権を任された勝海舟は、その両者の意見を取りまとめるのに苦労します。
そこで勝海舟は、抗戦派の主軸とも言える新選組の局長・近藤勇に、2000両もの軍資金を渡して、甲府城の防衛を命じます。
「新選組」は会津藩が与えた名前でしたから、勝海舟は会津藩ではなく幕府が新たに直接与える名前として「甲陽鎮撫隊」と改名させ、甲府へと送り出したのです。
新選組改め甲陽鎮撫隊の面々は、「江戸が守れるかどうかは自分たちに懸かっている」という意識を強く持って江戸を出発し、甲州街道を西へと進軍しました。
とは言っても、旧新選組を含めた甲陽鎮撫隊の数は、わずかに200名ほどの寄せ集め部隊でした。
江戸から甲州城へと甲州街道を進めば、途中に通るのは新選組のふるさと、多摩地方。
近藤勇、土方歳三たち多摩出身の面々は、数年ぶりに故郷へと足を踏み入れるのです。…
noteマガジン『マーケティング発想源』では、皆さんのお仕事やご商売に活きる有用で有益な発想源を多数お届けしています。新事業や新企画のアイデアの発想源がいろんな視点から次々と。応援よろしくお願いいたします!