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「モノ」より「コト」が価値を持つなんて聞く時代ですが、

ゆとり世代な自分は、物を取っておきたいし、中古品にはなんとはなしの抵抗がある。

そんな自分もカードゲーマーだった若かりし頃から安くでカードを買うためにと、ヤフオクなりネットの個人売買を利用していたりする。

しかし思えば、時間よりもお金の大事な若かりし頃だったのでやっていたが、今なら間違いなく少し高くてもカードショップで買っているような気がする。

そう、あの頃のネットでの個人売買はPCからやり取りを重ねないとダメで、なんとも面倒だった記憶がある。

なので初めてメルカリを使ったときには、そのお手軽さに感動した。カードゲーマーだった若かりし頃にこれがあったら、なんと良かったことか。

恥ずかしながら自分はやったことがまだ無いのだけれど、妻曰く、売る方のほうが尚更その恩恵は大きいらしい。確かにメルカリのCMとかをみていてもわかる気がする。

ということで、そんな便利なメルカリだけど、カードゲームもそんなにやらなくなった物質主義なゆとり世代の自分には無縁かな、、、と思いきや、今でもそれなりに使っていたりする。

何を買っているかというと、昔懐かしいレゴ達だ。

子どもの頃持っていたやつだったり、欲しかったけど買ってもらえなかったやつだったり、、、

物質主義なゆとり世代は、「モノ」を通して想い出という「コト」を感じることが出来るのです。

いや、きっと世代によらず、みんなそんなところはあるんじゃないかと思う。そうでなければ、とっとと肉体なんて捨ててしまって、ネットの海で静かに過ごすのが人類の幸せなんてことになっているはずだ。

便利すぎるメルカリの弊害として、転売ヤーやらせどりやらが問題になっていたりするのをみても、やっぱり物理的な肉体を持つ人間にとって、「モノ」を手に入れることによって得られる幸福感というのは大きいものなのだと思う。

自分の買ったレゴも、定価よりも全然高かったりした訳だけど、それでもやっぱり欲しくなって買ってしまった。

ここで支払っているお金は「モノ」を手に入れることによって得られる幸福感を買っているのだと考えると、ある意味「コト」消費かもしれないなんてことを思う。

そんな訳で、そのものが持つ定価なんてものを気にすることがおかしい話のような気もしてくる。

転売ヤーやらせどりやらのせいで、本当に欲しい人にモノが流通しないというのはモヤモヤしてしまう話ではあるが、多くの人に幸福感を与える「モノ」が定価以上の付加価値を持って取引されるというのは、資本主義社会の宿命だろう。

自分の買った古いレゴなら、これまで大切に持っていてくれた出品者に感謝して喜んで定価以上のお金を支払える。

転売ヤーやせどりに対しては、ただお金のためだけにがんばっているその人達の姿勢が自分の幸福度にどう作用するかを踏まえて、支払うお金は考えないといけないということなのだろう。

ということで「モノ」より「コト」が価値を持つなんて聞く時代、便利で簡単なメルカリの取引で、誰かに幸福を与えたものが、次の誰かの手に渡り、また新しい幸福という付加価値を生み出す。

そんな感じで、みんなの幸福度が上がると良いな〜なんてことを思うのでした。


以上、メルカリの株価が上がって欲しいと思っている私からのPRでした。

がんばれメルカリ。

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